サムライエッセンス

サムライエッセンス

往古の武士道・武術の心法・技法・思想の中から、有意な知恵を抽出して、発信します。

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手の外なる大将-戦国武将の資質①
建武の新政から南北朝の対立を経て、突き上げの多極化、つまり戦国時代を迎えます。下克上といわれる戦国の世では実力本位の傾向が強まり、既存の権威は失墜します。ではこの時代における「実力」とはいかなるものなのでしょうか?「サムライ」として戦闘時に発揮する個人の武力は当然必要ですが、その他に、戦闘指揮、戦略・戦術を立案する知恵、戦時におけるヒト・モノ・カネ・情報の動員力、平時における領民の統治力、人脈、人徳、運などなど、全人的な力が戦国の「サムライ」の実力と呼ばれるものでした。このようにトータルな力量に優れていなくては生き残れない時代であったのです。

武田信玄・勝頼に仕えた高坂弾正が著したとされる『甲陽軍鑑』によると、実力者揃いの「サムライ」たちを束ねることができる真の大将の資質を「手の外(ほか)」という言葉で形容しています。


武士は手の外を仕り、下よりつもられぬが、本の大将なり。



部下より見積もられない「手の外」を行うのが本物の大将だというのです。常に部下の発想の外で考え、結果につなげるリーダーシップを発揮する。このような働きなくして、現場の実力者が心服して従うことはないのでしょう。それが命がけの現場ならなおのことです。



武辺・慈悲・情け-戦国武将の資質②

戦国の世を生きる実力稼業において、武将は『甲陽軍艦』で「手の外なる大将」と形容される、部下からみて予想外な働きを示すことが必要でした。この「手の外なる」働きには、3つのベクトルがあると、大久保彦左衛門忠教が著した『三河物語』の中に記されています。3つとは、「武辺」と「慈悲」と「情け」の3つです。


「武辺」というベクトルは、言わずもがな戦闘力の度合いです。戦国時代では要は一番強い人が大将になっているようなものですからね。戦闘稼業のサムライにとっては外せない第一の前提となる要素です。ただこの「武辺」だけあればいいのかといえば、そのようなことはありません。「武辺」だけ優れていても、負け戦になれば部下は逃げていきます。一緒に討ち死になどしてくれません。二つ目三つ目のベクトルが必要になってきます。


「慈悲」と「情け」は、共に主君からの思いがけない贈与のことを指します。「慈悲」は褒美や恩賞、恩赦など、主にモノに関わる贈与であり、贈られる対象は無制限で、部下だけとは限らず、領民や敵に対しても行われることがあります。これに対して「情け」は主君から部下に対してのみなされることで、主に心情的な働きかけを指します。『三河物語』では、この「情け」を徳川家康の祖父にあたる松平清康のエピソードで説明しています。

清康が食事をとっていた時のこと、突然自分用の汁椀の中味を空けて、家来一同にこれで酒を飲めといって差し出した。一同が畏れ入っていると、「なぜ飲まぬ、さあさあ」と重ねて勧める。一同は、いくら何でも主君が使われるお椀を手に取るのは恐れ多いといよいよ畏まって平伏していると、清康は「サムライであることに上下はない、構わぬから飲め」と言う。あまりに辞退するのも悪かろうと思った家来一同は、恐る恐る避けを頂戴すると、清康はにっこりと笑って、家来たち一人残らず三杯ずつ飲ませよと命じた。帰路家来達は語り合った。「このご酒杯と殿のお言葉を思うに、たとえ宝物を山のように賜ったとしても、このお情けには替え難い。ただ今の酒杯の酒をなんとみるか。これは我らの首の血である。このお情けには、妻子を顧みず、主君の御馬の先にて討ち死にしてご恩に報ずることこそが
今生の面目、冥土の思い出というものだ。」と。

以上のような、「慈悲」や「情け」という、物心両面の思いがけない贈与と、手の外なる「武辺」とが一体となって示されることが、戦国に世におけるリーダーたる条件であったといえます。


そして最終的にこの条件を最も満たした「手の外なる大将」の代表格が織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の3名ということになるでしょう。彼らによって戦国の世に終止符が打たれ、サムライたちの在りようにも大きな変化が生じるようになっていきます。