(前回からの続き)

日本武道、武士道から見た観点でお話ししてみたいと思う。


武道競技としての最近の武道大会やオリンピックの柔道競技などにおいて、倒した対戦相手が痙攣している横でガッツポーズをとるのは絶対に人間として評価すべきではない。


何故ガッツポーズをとるのか。


たとえば武士道において戦場にてどうしても雌雄を決する生死をかけての戦いの場合、どちらかが生きるか死ぬかの状態で闘い、敗者に対しガッツポーズをとる事はなかったと言われている。


これが、相手に対しての、死者に対しての礼儀であった。


ゆえに日本武道の世界では、やってはいけない、と私は思う。


極端に言えば殺した死人に対してガッツポーズで誇るという事になる。


武道の試合の場合、自分の強さを知るために身体を貸してもらったということはあっても、そこには何の怨恨も復讐も、何もないはずなんだ。


私が倒してしまったけれど、あなたの身体をお借りして試させてもらいましたという感謝と礼がなくてはいけない。


そういう気持ちでいるべきなのに、何故ガッツポーズなのか。


たまたま勝ち負けが決まったというだけなのに、相手を倒した、と思ってガッツポーズをとっている傲慢なただ強さのみを誇る人間としてはいかがなものでしょう…というのが私の考えだね。


そのガッツポーズを見て、手を叩いたりして周りが喜んでいる事にも違和感を感じるのは私だけであろうか。


そこに人間として崇高なる精神と人格が表れ、人間としてその姿勢に感動が伴った場合にこそ、賞賛し称える事には感動がある。


スポーツの世界にも、そういう人格が伴った人間力を見たいものである。


それからもう一つ。


最近の相撲界にしても、問題を起こし引退することになった力士にかつて「日本の相撲道」を教えてあげる人がいなかったのかと残念に思う。


可哀想だった。


ただ強くなる事だけが目的ではない、日本民族には人間としての、人格・品格・品性と姿勢を伴った、日本国技としての古来から伝わる武道精神があることを教え導く事が重要であり、日本民族の誇るべき財産であった。


何故、天皇皇后両陛下が相撲を観覧にお越しになるのか。そして何故相撲が我が国の国技であるのか、ということを再確認、検証しないといけない。


古来から伝わる相撲の根底には、深い人格に基づいた、人間としての、崇高なる美しい心と姿勢を体現する武士道精神があることを、もう一度考え直さなければまた同じことが起きると私は思います。


空手界、柔道界などの武道の世界には、素晴しい謙虚なる武士道精神を実践されている方が、師が、まだまだ沢山いらっしゃる。


是非、若者には武道に興味を持ってもらい、精神と肉体を鍛えて頂きたい。必ず何かを発見するはずである。


厳しい世界にこそ、自己を磨く、糧があると私は思う。


合掌、
藤岡弘、


藤岡弘、オフィシャルサイト