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武道は何故、生まれたか。


昔は生死をかけて愛する者や家族、一族、国を守り血統を絶やさない為に戦わざるを得なかった歴史があった。


そのため、鎌倉時代から武士道、武道が構築されていった。


つまり、決して人を殺したり侵略する事が目的ではなかった。


そして、武道で強くなっていくためには誰かと試合をして自分の能力、技術がどこまで高まっているのかを知らなければならない。


これは、強い人と戦ってみないとわかることではない。


自分の実力や実践の感は、誰かと対戦しなければわからない。


だから、試合というのは相手の力、相手の身体を借りてお互いに試させて戴くということであった。


もし万が一倒してしまった場合には、決して驕らず、“申し訳ない”という心で敬意をもって正座し瞑想する。


体を借りて試させて戴いた事、自分の技術に気づかせて戴いた事に心から感謝の気持ちを持ち、また、静かに礼と敬意を持って相手の回復を祈り待つ。


もしくは、すぐに介抱しなければならない。


こういう人格、品格、品性と人間としての崇高なる素晴しい精神性を体現する。


武道では、このような魅力ある精神性、人間力を持った姿勢が重要であった。


古来から伝わる日本武道とスポーツ化した武道とは全く違うものと思う。


具体例についてはまた明日。


合掌、
藤岡弘、



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