藤川球児の代名詞「火の玉ストレート」。
実は、その名前に深く関わっていたのが、巨人の清原和博だったことをご存じでしょうか。
しかも二人の関係には、ある暴言事件がありました。
2005年4月21日、東京ドーム。
「ケツの穴小さいわ。チ○ポコついとんのか」
巨人の清原が、阪神の藤川に激怒したあの事件です。
今でも二人の因縁を検索すると、この過激な発言が真っ先に出てきます。
もちろん、相手投手に向ける言葉として褒められたものではありません。
でも、私は以前から少し引っかかっていました。
あの日の清原は、通算500本塁打まであと1本だったんですよね。
しかも舞台は、巨人の本拠地・東京ドーム。
相手は、まだ24歳だった藤川球児。
清原はなぜ、あそこまで怒ったのか。
そして、なぜ後に藤川のストレートを「火の玉」と呼んだのか。
二人の因縁を振り返ると、暴言だけでは終わらない野球の物語がありました。
清原和博、通算500号目前の東京ドーム
2005年4月21日、巨人対阪神戦。
7回裏、阪神が10対2と8点リード。
2アウト満塁で打席に入ったのが、通算499本塁打の清原和博でした。
当時37歳、プロ20年目。
西武、巨人で数々のホームランを積み重ねてきた大打者です。
あと1本で500号。
それを巨人の本拠地で達成できるかもしれない。
清原にとって、特別な打席だったことは想像できます。
一方、阪神にとっては大量リードとはいえ、満塁でホームランを打たれれば一気に4点を失う場面。
清原には記録がある。
でも阪神には、試合に勝つという仕事がある。
この二つがぶつかった打席だったのです。
藤川球児はまだ24歳。火の玉ストレートで飛躍する途中だった
今でこそ藤川球児といえば、阪神を代表する名投手。
ストレートが来ると分かっていても打てない、あの火の玉ストレートを思い浮かべる人が多いでしょう。
でも、2005年4月の藤川はまだ24歳でした。
1998年のドラフト1位で阪神に入団したものの、最初から順調だったわけではありません。
先発として結果を残せず、二軍生活や試行錯誤を経験。
2004年にリリーフとして頭角を現し、2005年に大きく飛躍していく途中でした。
つまり、当時の二人には実績も立場も大きな差があったのです。
37歳の清原と24歳の藤川。
私は、この年齢差もあの事件を理解するうえで大切だと思います。
清原はなぜ藤川のフォークに怒ったのか
カウントはフルカウント。
清原はストレートを待っていました。
ところが藤川が投じたのは、フォークボール。
清原は空振り三振。
そして試合後、あの過激な発言が飛び出しました。
清原は若い頃から、速球派投手との力勝負に強いこだわりを持っていた選手です。
相手の最高のストレートを打ち返す。
そこに打者としての誇りを感じていたのではないでしょうか。
しかも、この日は500号が懸かっていた。
若い速球派投手との真っ向勝負で、大記録を達成したかったのかもしれません。
ただ、ここは分けて考えたいところです。
清原がストレートを期待する気持ちは理解できます。
でも、藤川にはフォークを投げる権利があります。
清原の記録達成に協力する義務もありません。
清原の発言が適切だったかどうかと、清原がなぜ怒ったのか。
私は、これは別の問題だと思います。
実はフォークのサインを出したのは矢野だった
さらに、見落とせない事情があります。
あのフォークのサインを出したのは、当時の阪神の捕手・矢野輝弘(現在の矢野燿大)でした。
藤川はそのサインに従って投げていたのです。
まだ24歳の若手投手。
大先輩の捕手とバッテリーを組み、チームの勝利のためにマウンドに立っている。
もちろん投手がサインに首を振ることはできます。
でも、当時の藤川の立場を考えれば、捕手の判断を尊重したとしても不思議ではありません。
そして2020年。
清原は藤川の引退セレモニーで、この出来事を振り返りました。
フォークのサインを出したのは矢野だったと語り、藤川に謝罪したのです。
あの日の事件は、清原と藤川だけでなく、阪神バッテリーの判断も含めて考える必要があるのだと思います。
2005年6月25日、藤川はストレートで清原を三振に
事件から約2か月後。
甲子園で二人が再び対戦しました。
今度の藤川は、清原が求めていたストレートで勝負します。
結果は空振り三振。
清原は試合後、藤川の直球を称え、完敗を認めました。
藤川は後年、この再戦について振り返っています。
当時の岡田彰布監督や矢野捕手からは、次も気にせずフォークを投げればいいと助言されていました。
しかし藤川は、自分のストレートでも清原を抑えられることを証明したかったのでしょう。
私は、ここからが本当の名勝負だったと思います。
清原はストレート勝負を望んだ。
藤川はストレートを投げた。
そして清原は三振し、相手を称えた。
言葉ではなく、野球で決着をつけたのです。
清原和博と藤川球児の通算対戦成績は?
では、実際に清原は藤川をどれくらい打っていたのでしょうか。
デイリースポーツが報じた公式戦通算対戦成績は、次のとおりです。
- 12打席
- 10打数1安打
- 5三振
- 2四球
- 打率.100
清原は通算525本塁打、2,122安打、1,530打点を記録した大打者です。
その清原が、藤川との公式戦では10打数1安打。
5つの三振を喫しています。
もっとも、対戦はわずか12打席。
この数字だけで二人の実力差を決めつけることはできません。
ちなみに、2005年4月の騒動後、公式戦で二人が対戦したのはわずか2打席。
2005年6月25日の空振り三振。
そして2006年6月17日のセンターフライ。
これが公式戦での最後の対決になります。
火の玉ストレートの名付け親は清原和博だった
藤川球児の代名詞「火の玉ストレート」。
打者から見ると、ボールが浮き上がってくるように感じられる独特の直球です。
この「火の玉」という表現を広めるきっかけになったのが、清原でした。
2006年6月17日。
交流戦で藤川と対戦した清原は、そのストレートを「火の玉みたいやった」と表現しています。
さらに同年7月23日のオールスターでも、藤川の直球に対して「火の玉」という言葉を使いました。
この二つの対戦が、火の玉ストレートという呼び名の由来として語られています。
最初はフォークを投げられて怒った清原。
その清原が、藤川のストレートのすごさを印象的な言葉で表現したのです。
なんとも不思議な話ですよね。
ただし、藤川のストレートそのものが清原の発言によって生まれたわけではありません。
藤川はそれ以前から投球フォームや球質を磨いていました。
清原との対戦は、そのストレートに対する自信やこだわりを強めるきっかけの一つだったのでしょう。
2006年オールスター、全球ストレートの名勝負
2006年7月23日、宮崎で開催されたオールスター第2戦。
清原はオリックスに移籍していました。
セ・リーグの藤川と、パ・リーグの清原。
再び二人が対戦する機会が訪れます。
藤川は全球ストレートで勝負しました。
最初の2球は空振り。
3球目はファウル。
そして4球目。
151キロのストレートで空振り三振。
清原は完敗を認め、これまで経験したことのない4球だったと称賛しました。
2005年にはフォークで三振して怒っていた清原が、2006年には直球勝負で三振し、藤川を称えた。
たった1年で、二人の因縁は野球ファンの記憶に残る名勝負へと変わっていたのです。
2020年、清原は藤川の引退セレモニーで謝罪した
2020年11月10日。
甲子園で行われた藤川球児の引退セレモニー。
清原はビデオメッセージで登場しました。
そして2005年の東京ドームでの騒動について、自ら触れました。
藤川に非はなかったことを認め、謝罪したのです。
さらに清原は、藤川のストレートについて、自分がバットを振った上をボールが通過していくような経験は初めてだったと語りました。
通算525本塁打を放った清原が、ここまで認めた投手。
藤川の直球がどれほど特別だったかが伝わってきます。
あの騒動から15年。
二人の因縁は、互いへの敬意を言葉にできる関係へと変わっていました。
あわせて読みたい|藤川球児、最後の火の玉ストレート
清原との直球勝負から、長い年月が流れた2020年。
藤川球児は甲子園で現役最後のマウンドに立ちました。
相手は巨人。
坂本勇人、中島宏之、重信慎之介に対して、12球すべてストレートで勝負。
私はあの日の映像をYouTubeで見返して、思わず涙が止まらなくなりました。
清原との因縁を知ってから見ると、あの12球がさらに特別に感じられます。
▶ 藤川球児の引退試合|最後の12球と矢野監督への一球を振り返る
清原と藤川の因縁は、どちらが正しかったのか
ここまで振り返って、私は改めて思います。
清原の暴言は、決して正当化できるものではありません。
ただ、あの一言だけで清原を語ってしまうのも、何か違う気がするのです。
500号本塁打まであと1本。
巨人の本拠地・東京ドーム。
相手は24歳の若手速球派投手。
そして清原自身は、プロ20年目を迎えた37歳の大ベテラン。
清原は、野球人生の大きな節目を、相手の最高のストレートを打ち返して飾りたかったのではないでしょうか。
一方の藤川には、清原の期待に応える義務はありません。
阪神の勝利のために投げたフォークは、野球の勝負として何も間違っていませんでした。
だからこそ、その後の展開が面白いのです。
藤川は直球勝負で清原を三振に取った。
清原は完敗を認めた。
そして藤川のストレートに「火の玉」という言葉を残した。
最初は暴言から始まった二人の因縁が、最後には互いへの敬意につながっていたのです。
清原和博がプロ野球に残したものは、525本のホームランだけではありません。
藤川球児が投げ続けた、あの火の玉ストレート。
その名前にも、清原の存在が刻まれているのです。
野球の記録は数字として残ります。
でも、ファンの記憶に残るのは、案外こういう勝負なのかもしれません。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます😊
みなさんはどう思いましたか?
「清原の気持ちも分かる」「いや、藤川は何も悪くない」など、コメントで教えてもらえると嬉しいです。
ユカリです。40代主婦で、阪神タイガースやガンバ大阪、ドラマの感想などを書いています。
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