はじめに
今回ご紹介する本は、『アンネ・フランクの密告者』です📖
この本は第二次世界大戦が終わった1945年から現在まで明らかにされていなかった謎、「誰がアンネ・フランクを密告したか。」という真実の核心に迫った作品です。
今回の書籍に関しては『アンネの日記』の内容を理解している前提でお話ししますので、まだの方はひとつ前の記事、「【書籍紹介①】~『アンネの日記』~」に目を通してから今回の記事を読んでいただけるとより理解が深まるかと思われます
また今回の書籍ですが、私が今まで読んだ本の中でトップ5に入るくらい面白いものでした
ホロコーストという非常にセンシティブなテーマのため「面白い」という表現が正しいかは分かりませんが、なるべく分かりやすくご紹介しますので、ぜひ最後まで読んでいただけたらと思います
『アンネ・フランクの密告者』の概要
「アンネ・フランクを密告した人物は誰なのか?」
長年解き明かされなかったこの謎に立ち向かった組織がありました。オランダ・アムステルダムにオフィスを構える、「コールドケース・チーム」です。
この組織には元FBI捜査官をはじめ、歴史学者、犯罪学者、筆跡鑑定家など、数多くの専門家たちがスタッフとして在籍しており、最新のテクノロジーやプロファイリング技術等を駆使して一つの真実を追い求めていました。
そんな現代の英知を結集しても、調査には約5年もの歳月を費やさなくてはならなかったといいます
それほど複雑で闇が深い事件だったということです。
本書では数多くの容疑者の取り上げ、仮説と実証を繰り返していますが、今回はその中から、5人の人物をピックアップしてご紹介していきます
摘発時の詳細
まず容疑者の紹介をする前に、1944年8月4日に《隠れ家》メンバー8人の身に何があったかを振り返ります。
アンネたち《隠れ家》メンバーが摘発された1944年8月4日はよく晴れた暑い日だったといいます。(クレイマンの証言)
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【9:00 a.m.】
ミープ、ベップ、クレイマン、クーフレル出社。仕事開始。
【9:10 a.m.】
ミープ、裏手の隠れ家へ行き、この日の買い物リストを受け取る。
【10:00 a.m.】
SD(親衛隊保安部)本部のⅣB4課(ユダヤ人狩り部隊)に電話が入る。
「プリンセンフラハト263番地(隠れ家の住所)の裏側の部屋にユダヤ人が隠れている」という通報。
親衛隊のデットマン中尉が電話に出て、次にSD所属のカール・ジルバーバウアーにその住所へ向かうよう伝える。
デットマン中尉はⅣB4課に出向している巡査部長アーブラハム・カペルに電話をかけ、SD所属のオランダ人警官を何人かその住所へ向かわせるよう命じる。
【10:30~10:55 a.m.】
SDの摘発チームがジルバーバウアーと共にプリンセンフラハト263番地に到着。
摘発チームが中に入り、倉庫番のファン・マーレンに声をかける。
《隠れ家》の場所が発見される。
【11:20~11:40 a.m.】
摘発チームが《隠れ家》の住人たちと向き合う。
その後、《隠れ家》の住人8人にクーフレルとクレイマンを加えた10人が連行される。
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(SD所属、カール・ジルバーバウアー。隠れ家の摘発を先導した。)
今回の調査で争点となったのは、”10:00a.m.にⅣB4課に《隠れ家》の情報を電話で通報したのが誰なのか”、という点です。
このたった一人の人物を特定することが、実は迷宮への入り口だったのです…
容疑者①~ファン・マーレン~
1人目の容疑者は、ファン・マーレンです。
オットーの経営するオペクタ商会で倉庫主任をしていたファン・マーレンですが、今回の調査が行われるまで、何十年間も彼が密告の最有力容疑者であると考えられてきました。
というのも、彼が倉庫主任として雇われてしばらく経ってから、「終業後の商品貯蔵庫に誰かがいるのではないか」と彼が従業員に尋ねたことがあったといいます。
あるときには、「フランクさんという人がこの建物で働いていないか」と彼がクレイマンに訊いたこともあったといいます。
詮索好きな彼は会社の裏手に人が住んでいることを嗅ぎ付け、自分でひそかに調べていたのです…
これだけだと好奇心旺盛な人物のように思えますが、彼はオペクタ商会に雇われてから、会社から物を盗んで闇市で売りさばいていたこともあったようです。そうした事実を彼自身が認めたこともあり、ファン・マーレンは長年最有力容疑者として疑いをかけられてきました
しかし今回のコールドケース・チームによる調査では、最終的に彼は容疑者から除外されることとなります。主な理由は2つ。
①. 通報時間のアリバイ
②. 動機がない
の2点です。
まず①に関しては、1944年8月4日の《隠れ家》摘発の日、彼が9時に出勤していたことでアリバイが成立しています。
1944年8月4日に《隠れ家》は摘発されますが、そこにユダヤ人が隠れていると通報が入ったのは当日の午前10時です。
その時間、ファン・マーレンはすでに出勤していました。仮に会社から電話をかけたとしても、事務所にはミープやクレイマンがおり、近所のどこかで電話を借りたとしてもその時間に外出していたことを会社の人間が証言するはずです。
次に②に関しては、彼が一貫して反ナチスの姿勢を貫いており、《隠れ家》メンバーを密告する動機がなかったということです。
以前彼に対する調査が行われた際、周囲の人間は、彼は金銭面では信用できない男だったが、裏切り行為は一度も見られなかったと証言していました。
また、彼の長男のマルティネスが強制労働の義務を怠っており、SDに調べられればすぐに露見してしまうため、わざわざ自分で《隠れ家》を通報して注意をひくような真似はしない、と本人は主張しています。(証拠がないため真偽は不明)
いずれにしろ、ファン・マーレンはその会社での勤務態度や詮索好きな面によって長年密告者の最有力容疑者として挙げられていましたが、そこにはいくつかの矛盾が発見されることとなり、疑いは晴れていくこととなります🌞
容疑者②~ネリー・フォスキュイル~
2人目の容疑者は、ネリー・フォスキュイルです。”フォスキュイル”と聞いてハッとした方もいるかもしれません
そうです。オペクタ商会でオットー・フランクと共に仕事をしていた、ベップ・フォスキュイルの妹です…
2015年、ベップの息子であるヨープ・ファン・ヴェイクによって『Anne Frank: The Untold Story(アンネ・フランク:秘密にされてきた物語)』が出版されました。
(ヨープによる、叔母のネリーが密告の犯人であると主張する記事。ネリーの顔写真あり)
著書の中で彼は、母ベップへの愛を語ると同時に、叔母のネリーが《隠れ家》の密告に関わったのではないかという疑念にも触れ、叔母の有罪を示す強力な説を述べています。
ネリー・フォスキュイルは8人兄弟の4番目で、長女のベップよりも4歳下でした。当時フォスキュイル一家の家10人家族が住むには狭すぎたため、上の娘たちは住み込みの仕事を探す必要があり、ネリーもとある裕福な家で住み込みのメイドとして働いていました。
しかしその家がナチスの支持者だったため、ドイツの兵士たちが四六時中出入りしていたといいます
当時18歳のネリーは、その家の常連だったジークフリートというオーストリア出身の青年に夢中になってしまったのです
ジークフリートと交際を始めたネリーでしたが、それをよく思わない人物がいました。父のヨハンネス・フォスキュイルです。彼は大のナチス嫌いで、交際をやめるようネリーに厳しく言っていたといいます。
しかしネリーが交際をやめることはなく、ジークフリートと別れた後も依然としてドイツ人たちと交際していたため、ヨハンネスはしばしばネリーを殴りつけることがありました。
これほどまでにヨハンネスが激怒したのも、ネリーが付き合っていたドイツ人に《隠れ家》を密告したからだとヨープが思い込んだ結果なのかもしれません。
また、ネリーは家族との口論の際、父やベップに対し、
「仲間のユダヤ人のところへ行きなさいよ」
と発言したことがありました。これはネリーが《隠れ家》の存在を知っていた可能性がある、大きな証拠となりました。
以上を踏まえてコールドケース・チームは、”知識、動機、機会”という条件からネリー説を捜査しました🔍
父とベップが《隠れ家》の話をしているのを小耳にはさんだ可能性があり、動機についても父に殴られたことが原因で仕返しにSDに情報を流した可能性、そして機会についても常にドイツ人と付き合っていたことからいつでも情報を流すことができる状況にありました。
しかし、ネリーが《隠れ家》を密告したという具体的な証拠はなかったため、ネリーに関する捜査はここで行き詰ってしまいます…
容疑者③~八百屋に関係する人々~
3つ目は、八百屋に関係する人々です
その名の通り、《隠れ家》のあるプリンセンフラハト263番地から100mほどの距離にあったファン・フーフェン夫妻の営む八百屋と、そこに関係する人々数名に疑念の目が向けられました。
当時夫妻は新鮮な野菜やじゃがいもをアンネたちの住む《隠れ家》のために用意し、定期的に配達してくれていました。そんな夫妻も自宅の裏手に隠れ家を設置しており、ユダヤ人夫婦を匿っていました。そのユダヤ人がヴェイス夫妻です。
一見すると普通の人々に見えますが、なぜ密告の容疑者として取り上げられてしまったのでしょうか…
1944年5月25日、ピーテル・スハープという男に率いられた逮捕チームがファン・フーフェン夫妻の自宅を摘発し、ファン・フーフェン夫妻と隠れていたヴェイス夫妻を逮捕しました。
このピーテル・スハープという男ですが、SDに所属していたオランダ人警官で、最も多くのユダヤ人を連行してきた男の一人だったと言われています。
こうして逮捕されたユダヤ人たちは通常、潜伏中の他のユダヤ人の居所を白状するように強要されます。コールドケース・チームは、ファン・フーフェン夫妻やヴェイス夫妻の逮捕が後のアンネたちのいる《隠れ家》の摘発に関わっているのではないかと考え調査を始めます
ヴェイス夫妻は逮捕された後、オランダ北東部に位置していたヴェステルボルク通過収容所へと送られました。
隠れていたユダヤ人は犯罪者とみなされ、67号バラック(懲罰バラック)に収容され、収容者カードには最低レベルを示す”S”の文字を入れられました。
ヴェイス夫妻も例外ではなく、彼らの収容者カードには”S”の文字が入れられていました。
しかし数週間後、彼らのカードのバラック番号が変更されることとなります。67号バラック(懲罰バラック)から、87号バラック(病院バラック)へ書き換えられたのです。
さらにその後ヴェイス夫妻へ宛てられた手紙には、宛先に”85号バラック”と書かれていました。この85号バラック、収容されるのは身分の高い特権階級の人々であり、最上のバラックと言われていました。
最下層の囚人が短期間で最上の身分へと移ったのです
大金を出せばそうした変更は可能ですが、ヴェイス夫妻にそんな大金があったとは思えません。だとすれば方法は1つ。他のユダヤ人の居所という”情報”を渡すことで支払いをしていたのではないか。コールドケース・チームはそのように考えます
しかしここでも矛盾が見つかります。
ヴェイス夫妻の待遇が良くなったのが1944年6月。アンネたちの住む《隠れ家》の摘発が行われた1944年8月4日よりもかなり前のことです。
渡された情報の真偽を確かめずに褒美を与えることはナチスとしてはありえないことです。
《隠れ家》の情報を知る機会、収容所での待遇が良くなりたいという理由で情報を渡すという動機があるにも関わらず時期に矛盾があったため、ヴェイス夫妻は容疑者から除外されることとなります。
ちなみに、ヴェイス夫妻の待遇が良くなった本当の理由については本書では記述されていませんでした…。なんだかモヤモヤします
また、八百屋のファン・フーフェン夫妻に関しても、強要されて《隠れ家》の情報を白状したのではないかという容疑かかけられていましたが、これもやはり時期的に矛盾があります。
ファン・フーフェン夫妻が逮捕されたのが1944年5月25日。《隠れ家》の摘発の2ヵ月以上前のことです。仮に夫妻が《隠れ家》の情報を暴露したとしても、摘発まで2ヵ月もかかることはありえません。
以上の事実から、ファン・フーフェン夫妻とヴェイス夫妻が《隠れ家》密告に関係しているという説は薄まっていくのでした。
八百屋の主人ヘンドリク・ファン・フーフェンは、1950年代に映画化された『アンネの日記』で、彼自身の役で出演しています
容疑者④~アンス・ファン・ダイク~
4人目の容疑者は、アンス・ファン・ダイクです。
先ほどから”ファン”という名前が多くややこしくなっていますが、この女性は戦時中の裏切り行為によって処刑された唯一のオランダ人女性として有名な人物です。
(アンス・ファン・ダイク)
アンス・ファン・ダイクは少なくとも145人以上のユダヤ人に巧妙な罠を仕掛けて他のユダヤ人の居場所を探り出し、700人以上のユダヤ人の死に関わったと言われています
1905年にアムステルダムで生まれた彼女は、両親がユダヤ人だったために自身もユダヤ人として育ってきました。
初めはナチスに対するレジスタンス活動をしていましたが、ある時、自身を匿ってくれていた女性とその娘に密告され、1943年4月25日に先ほども登場したピーテル・スハープによって逮捕されてしまいます。
ピーテルは彼女にとある選択を突きつけます。
「このまま収容所へ送られて死ぬか、それともナチスに協力して生き残るか。」
彼女はナチスに協力して生き残る選択をし、この選択が彼女を優秀な”V-フラウ”へと変えていくのです…。
V-フラウとはナチスに協力したユダヤ人であり、他のユダヤ人の居場所を密告する報酬として金銭を受け取ることができました。いわば、他人の命を差し出して生活していた人々です。
具体的には、7.5ギルダー(現在の価値で47.5ドル、日本円で6,500円程度)という金額でした。
彼らは全員がナチスに賛同していたというわけではなく、金欲しさや自身の安全を確保したいという理由で活動していた人がほとんどでした
(有名なV-フラウについて書かれた記事)
彼女は今回の調査以前から《隠れ家》の密告に関わった有力人物として取り上げられていましたが、現在も彼女が《隠れ家》密告に関わったという証拠は発見されていません。
《隠れ家》のあったプリンセンフラハト263番地周辺はファン・ダイクの”狩場”だったことは間違いありませんが、彼女が《隠れ家》の情報を知っていたかどうかについてはいまだに謎に包まれています…
容疑者⑤~アルノルト・ファン・デン・ベルフ~
最後の容疑者は、アルノルト・ファン・デン・ベルフです。
初めに言ってしまいますが、コールドケース・チームは今回の調査において、このファン・デン・ベルフが《隠れ家》密告の犯人であると結論付けました。
(アルノルト・ファン・デン・ベルフ)
ファン・デン・ベルフは1886年、オランダ・アムステルダムの南東100kmほどのところにある町、オスで生まれました。
彼の職業は公証人で、会社設立や不動産取引などの現場に立ち会ってそれを認証するという仕事を行っていました。その世界で彼はトップに君臨していました。
また彼はユダヤ人評議会の評議員もしており、ユダヤ人へ働き口や住まい、食糧などを提供する役割も果たしていました。ユダヤ人社会の中で、彼はかなり高い身分に位置していたことになります。
そうした地位にいた彼はナチスとのコネも多少あり、彼らとビジネス取引をしていたといいます。具体的な取得過程は不明ですが、彼は”カルマイヤー・ステータス”を手に入れ、もはやユダヤ人とみなされることはなくなったのです。
しかし彼がそうした肩書によって守られていたことに変わりはありません。ある時、彼のことを憎む人物から告発され、ファン・デン・ベルフは”カルマイヤー・ステータス”を失ってしまうのです
こうして”ユダヤ人”に戻ってしまったファン・デン・ベルフ。当然彼だけでなく、彼の家族にも被害が及ぶ可能性があります。
少し時間が飛びますが、戦後しばらく経った時、アンネの父オットーの元に匿名の人物から手紙が届きます。
あなたが身を隠していたアムステルダムの建物の住所は、あの時、A・ファン・デン・ベルフなる人物からエーテルペストラートにあったユダヤ人移住促進中央局へ通報済みでした。彼は当時、フォンデルパールク、O・ナッサウラーンに住んでいました。中央局にはファン・デン・ベルフが渡した住所リストがすべて置いてあります。
これにより、①知識、②動機、③機会、の全てのパズルが揃うこととなります。
①. ユダヤ人評議会で評議員であり、《隠れ家》の情報を知っていた可能性
②. 家族を守るために《隠れ家》の情報を使った可能性
③. SDと密な関係を築いていたため、情報を渡す機会がいくらでもあった可能性
また、時期的にも大きな矛盾がないため、コールドケース・チームはファン・デン・ベルフが《隠れ家》密告の犯人であると結論付けたのでした。
おわりに
”アンネ・フランクを密告したのは誰か”
長年解明されることのなかったこの謎に、ついに終止符が打たれました。
もちろん今回の調査も最新技術を用いて行われたとは言っても、あくまでも可能性の一つに過ぎません。このドラマに関わった人物はほとんどがすでに亡くなっており、真実を聞き出すことは不可能であるからです。
また、今回の調査が書籍化されたことに対してはいまだに多くの批判があるのも事実です。ファン・デン・ベルフ本人がすでに亡くなっているとは言えど、その子孫は今も生きているからです。
今になって犯人を特定しそれを公表することに何の意味があるのか。
このような声が日本でも上がっています。
また、ファン・ダイクにしろファン・デン・ベルフにしろ、好きでユダヤ人を密告していたわけではありません。
私個人の意見ではありますが、彼らも同様に”ナチス・ドイツの被害者”ではないでしょうか。
是非皆様のご意見もお聞かせください
【📚今回の書籍情報📚】
タイトル:『アンネ・フランクの密告者』
著者 :ローズマリー・サリヴァン
出版社 :ハーパーコリンズ・ジャパン
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