半年ぶりのブログ更新となってしまったが、今回は正に音楽人生でもある「自分史」の一部、ハードロック~ヘビーメタルというジャンルの変遷について非常に周到に編集されている、あるドキュメンタリー作品を紹介したい。

『Heavy Metal Britannia』

1960年代後半から1980年代初頭にかけての英国のハードロック~ヘビーメタル史を俯瞰した、英国BBC制作の映像ドキュメンタリーがYouTubeにアップされていた。
タイトルは『Heavy Metal Britannia』というもので内容的にはミュージシャンや音楽ジャーナリスト等、当時の模様を知る関係者の証言により貴重な映像を交えて約90分の番組に構成したものである。
最初の20分間は英国ハードロック黎明期の1960年代後半を振り返ったもので工業都市バーミンガム出身のジューダス・プリースト(名盤『ブリティッシュ・スティール』がある)のロブ・ハルフォードやグレン・ティプトン、ディープ・パープルのイアン・ギラン等が英国の典型的な労働者階級の若者の娯楽の一つであったと証言する。よく言われるようにブリティッシュ・ビート・グループのキンクスの『ユー・リアリー・ガット・ミー』の有名なリフが後々ハードロック・バンドに大きなインスピレーションを与えたと、これまたバーミンガム出身のブラック・サバスのビル・ワードが語っている。またヒッピー・ムーブメントの洗礼を受けたジミ・ヘンドリックス、クリームの英国サイケデリック・ロック勢、さらにシアトリカルで演劇的なパフォーマンスで衝撃的なデビューを飾ったクレージー・ワールド・オブ・アーサー・ブラウンも英国ハードロックの雛型であった。そして米国のビートニク作家、ウィリアム・バロウズの代表作『ソフト・マシーン』(1961年)に「ヘビーメタル」というフレーズが出てくるのだが、米国のハードロック・バンド、ステッペン・ウルフの『ボーン・トゥ・ビー・ワイルド』の歌詞にはそのものズバリ、「ヘビーメタル・サンダー」と歌われている。これが後に所謂ハードロックを形容するジャンル用語として定着する事になる。1960年代後半に多数のバンドを輩出した米国のサイケデリック・ロック周辺ではドアーズやアイアン・バタフライ、そしてエディ・コクランの『サマータイム・ブルース』の超ヘビーなカバーで名を馳せグランジの元祖との見方もあるブルー・チアー、カーマイン・アピスが在籍していたテクニカルなバニラ・ファッジ等の初期のアメリカン・ハードロックも英国ハードロック・バンドに多大な影響を与えた。同時期の英国のアンダーグラウンド・シーンではブルースをベースにしたユニークなサイケデリック・ハードロック・サウンドを確立したエドガー・ブロートン・バンドが白眉の存在だ。そして当時、個々のパートとしては最高のプレイヤーが結集したレッド・ツェッペリンが満を持してデビューし、名実共に「ハードロッ
ク・バンド」の第一人者として大きな商業的成功を収める。
続く20分過ぎにはヘビーメタル史の最重要バンド、ブラック・サバスが登場。トニー・アイオミ、オジー・オズボーン、ギーザー・バトラー、ビル・ワードのオリジナルラインナップで制作されたファースト・アルバム『ブラック・サバス』は1970年2月13日の金曜日にリリースされ、全英アルバムチャートで最高8位、米国のビルボードチャートでは最高23位を獲得するという新人バンドとしては驚異的なセールスを記録する。バンド名はギーザーのアイディアでホラー映画俳優のボリス・カーロフ主演の映画『ブラック・サバス』(1963年作品)から拝借した。当時の英国の労働者階級の若者達は超自然現象や魔術等を題材としたサイファイSFやホラー小説、またはそれをベースにした映画やTV番組に夢中で、そうしたテーマをロックというイディオム、フォーマットに於いて具現化し、またそれらの作品が描写する人間の持つ暗黒面(=悪魔崇拝等)をサウンドや歌詞に反映させるというのが初期の彼らのバンドコンセプトであった。同じような指向性を持ったバンドではユーライア・ヒープも成功を収めている。1980年代に勃興したNWOBHMの雄、アイアン・メイデンのブルース・ディッキンソン曰く、日々退屈な仕事の繰り返しに疲弊しきっていた労働者階級の若者が悪魔主義や超現実的なファンタジーを表現するハードロック・バンドに共感を覚えたのはごく自然な事であると。1960年代後半、米国のサンフランシスコを発祥とする「ラブ&ピース」をスローガンとしたフラワーパワー~ヒッピー・ムーブメントが盛り上がったが、続いてローリング・ストーンズのコンサート会場のオルタモントレース場で起こった殺人事件やチャールズマンソン一味による連続殺人事件により「サマー・オブ・ラブ」と謳われた若者にとって夢と希望に満ちた時代が終焉を迎えた。若者達にとって時代の新たなテーゼとなった泥沼化するベトナム戦争への反対運動も盛り上がり、そうした世相を反映してブラック・サバスも『ウォー・ピッグス』という作品を作った。それまで比較的ポップなビート~サイケデリック・ロックを演奏していたディープ・パープルがイアン・ギラン、ロジャー・グローバーの加入を経て本格的にハードロックに取り組んだ『イン・ロック』をリリースしてこのジャンルの確立に大きく貢献した。初期のブラック・サバスと同じレコードプロデューサー、ロジャー・ベインに発掘されたウエールズ出身のバッジーのベーシスト、バークシェリーのハードロック・バンドのリズムセクションの役割についての証言は興味深い。
タイムラン40分以降はイアン・ギランがブラック・サバスの代表曲『パラノイド』に於ける革新的だったギター・リフについて言及したり、ジョン・ロードのオルガン弾きのワンフレーズを発展させてディープ・パープルの『ブラック・ナイト』が完成したというエピソードも語られている。この頃、ハードロックはレコード・セールスが飛躍的にを伸び、音楽マーケットに於ける商品的価値が高まるとクラシック音楽との融合等、数々の実験的な試みも行われた(ディープ・パープルがロイヤル・フィル・ハーモニック・オーケストラと共演)。レッド・ツェッペリンのようにレコードを初めとした関連商品が莫大なセールスを上げ、世界を股にかけた大規模なアリーナ・ツアーを敢行してバンド活動そのものがビッグビジネスに成長すると、フロントマンのロバート・プラントはある種のセックスシンボルとして持て囃され、金髪のロングヘアーというスタイルがバンドマンの憧れ、ステロタイプともなった。1970年代中期に登場したジューダス・プリーストは6オクターブの声域を誇るボーカリ
ストのロブ・ハルフォードを看板としてツイン・リードギターによる更にラウドで斬新なサウンドを構築し、ヘビーメタルの新しいスタンダードを作った。ロブはロバート・プラント、イアン・ギランのハイトーン・ボーカルにジャニス・ジョプリンのシャウトからインスピレーションを得て独特のスタイルを作り上げた。ジューダス・プリーストが出現するのと時を同じくしてヘビーメタルの観客サイドでも独特のダンスやヘッドバンギング、エアギター等メタル特有のオーディエンス・マナーが形成された。また長髪にベルボトム・ジーンズ、鋲打ち革ジャン等のクラシックなメタルキッズの定番ファッションを確立したのもジューダス・プリーストである。1980年代に勃興したNWOBHM(ニュー・ウェイブ・オブ・ブリティッシュ・ヘビーメタル)・ムーブメントを代表するバンドの一つ、サクソンは1981年にその名も『デニム・アンド・レザー』という作品をリリースした。時代は少し遡るがブラック・サバスが米国でも商業的成功を収める(1970年代中期)と、彼らのトレードマークであったファンタジーとしての悪魔主義を厳格なキリスト教徒のグループから非難されたり、またそれを曲解した一部のファンが悪魔主義にのめり込んでトラブルを引き起こす事もあった。こうしたエピソードは時代を下って1990年代にマリリン・マンソンが引き起こした一連の騒動の雛型を見る気がする。
60分過ぎからは有名なロンドンのヘビーメタルDJとして「サウンドハウス」(1975年に「バンドワゴン」としてオープン)のハウスDJとして活躍したニール・ケイの回想で、こがヘビーメタル・ディスコとしてメタルキッズの新たなコミュニティーとなり、キッズは大音量のメタルサウンドに合わせて手製のペーパーギターでエアギターを掻き鳴らしたりと各々自由なスタイルで楽しんでいた。ニール・ケイはNWOBHMムーブメントの立役者でもある。続いてヘビーメタル史に於ける重要バンドの一つ、モーターヘッドも紹介される。1975年にこれまた大音量のリフ・ロックで一部のファンに熱狂的に支持されていたホークウインドを脱退したベーシストのレミー・キルミスターがホークウインドのコンセプトを先鋭化させ、よりラウドでアグレッシブなサウンドを追求するべくモーターヘッドを結成、彼らもまたNWOBHMの波に乗って爆発的な人気を博す。これと前後して英国では1976年に長髪のロック=ヘビーメタルのアンチテーゼとして短髪でD.I.Y.精神を標榜し、演奏テクニック不要のシンプルな3コード・ロックを特徴とするパンクロックが台頭し始める。初期のパンクロック・バンドを代表するヴァイブレーターズの貴重な映像も紹介されている(70分過ぎ)。パンクロックの持つ攻撃性やエナジーはNWOBHMのバンドも少なからず影響を受けたとサクソンのやビフ・バイオフォードやダイアモンド・ヘッドのブライアン・タトラーも証言している。これに関連してモーターヘッドのレミーがパンクロックが登場して来た時、ホークウインド時代に交流のあった米国・デトロイトのハイエナジー・ロック・バンド、MC5を連想したと語っている。新進気鋭のバンドの台頭を待つ中、1970年代後半にはディープ・パープルはギタリストのリッチー・ブラックモアの脱退が引き金となって開催、ブラック・サバスはボーカリストのオジー・オズボーンが深刻なアルコールや薬物中毒に陥り、またギタリストのトニー・アイオミとの不仲もあってバンドを脱退するという事態を迎える。ハードロック草創期のバンドの活動が低迷する中、英国では1979年に「鉄の女」サッチャーが就任し、大胆な経済政策を推進し新たな時
代を迎える。同時期にアイアン・メイデン、ダイアモンド・ヘッド、サクソンを旗頭とする、先述した新たなハードロック(ヘビーメタル)・ムーブメント、NWOBHMの時代が幕を開ける。このうちダイアモンド・ヘッドは商業的成功を収める事な叶わなかったがアイアン・メイデンは1982年にリリースした『魔力の刻印-The Number of the Beast』は米国のマーケットでも30万枚を超えるセールスを記録し、その後長らくメタルシーンに君臨する事になる。余談だがディープ・パープルを脱退した後、自身のバンド、ギランを結成して活動していたイアン・ギランは因果は巡るの喩え通り1983年にブラック・サバスに加入し、『ボーン・アゲイン』をリリースする。

このドキュメンタリーを見終えてヘビーメタルというジャンルに於けるブラック・サバスというバンドの存在の大きさを再認識した。ファンタジーとしての悪魔主義や超自然現象=オカルトへの傾倒は単調な日常に退屈していた英国の労働者階級だった彼らの現実逃避であり、それらが投影された彼らの作り出す音楽世界はアナログ・レコードにパッケージされた一種のメディアとなって米国やヨーロッパ、アジア(日本も)と時空を超えて同じような境遇の若者の心を捉えたのだ。1990年代に隆盛したグランジロック・ムーブメントのバンドが口々にブラック・サバスの影響を語り再評価の気運が高まって以来、現在でもサバス直系のサウンド指向を公言するドゥーム・メタルや、乱暴な物言いであるが彼らをイメージ付けた悪魔主義はブラックメタル、ダウナーなリフ主体のサウンドに見え隠れするドラッグの香りはストーナーロックへと等など、21世紀に入っても尚、後発のバンド群に大きな影響力を持っている。個人的にはロックを聴き始めた10代の頃(1970年代中期)、たまたまラジオでかかった「パラノイド」のキャッチーなリフに耳を奪われ、同曲が収録された『パラノイド』とファーストの『黒い安息日』を購入した程度であまりのめり込んだ記憶はないが、この2枚のアルバム・カバーを手掛けたマーカス・キーフの不穏なデザインな子供心に奇妙な衝撃を与えた。アルバム・カバーをしげしげと眺めながらアナログ盤に針を落とし、想像力を駆使して彼らの音楽世界に身を浸すのはスリリングな体験で、それは抑圧された日常から開放される一時でもあった。PCや携帯からいとも簡単に音楽をダウンロードできる昨今では考えられない時代の話だ。闇雲に昔は良かったというつもりはないが、それはそれで今とは違った娯楽としての音楽の楽しみ方があった。