FUNAのライヴも無事終わり、町田氏他バンドの面々はは大阪へ帰還した。後日談になるがFUNAはこの後、10月29日に京都の同志社大学の学祭(通称・EVE祭)の一環として同大学学館ホールで行われた「LIVE ACT#7」というイベントに東京からZELDA、コクシネルの2バンドを迎え、地元のIDIOT O'CLOCKと共に出演した。が、この時既にバンドは解散状態でイベントでは町田氏が当日ギター一本持って会場入りし、たまたま楽屋にいたハニー&ザ・コスチューム(INUのベーシストだった西川さんの妹がボーカルを取っていたバンド)のドラマー、森田氏に声をかけてギターとドラムの即興の伴奏に合わせて10分ほどのパフォーマンスをやって引っ込んでしまったと言う。
この辺りの詳しい事情なよく知らないがこの頃、町田氏は英国のピンク・フロイドのオリジナルメンバーで「狂気の天才」と謳われたシド・バレットに(ちょっとだけ)傾倒しており、そのシドがソロアーティストになってからのライヴパフォーマンス時の逸話(伝説)を意識したものだったような気がしないでもない。シド・バレットについては知っている人は知っていると思うが彼は重度の精神障害を患い、2006年にこの世を去るまで(享年60歳)、音楽活動からリタイアした後は絵画に興じたりしてずっと隠遁生活を送っていた。ピンク・フロイド時代からステージ上での数々の奇行で知られ(プライベートでも)、恐らく本人が単なる思い付きで無意識にやった事でもそれが周囲の関係者やファンは何かしら深い意味のあるパフォーマンスだと受け取ったりして過度にカリスマ性を高め、無為に神格化されてしまったアーティストである。ソロ活動を始めた頃、セッティングされたライヴでバッキングメンバーの演奏を全く無視してギター一本でリハーサルとは全く違った即興パフォーマンスをやった等と常人の思いもよらぬ行動を取り、それらのエピソードが多くのファナティックなファンを生んだ。勿論、シドの創作した楽曲、歌詞は他に類を見ないユニークなもので天才的な(紙一重の)閃きを感じさせるものだった。確かこの頃、そのシド自身が隠遁してから何年かぶりに英国の雑誌にパパラッチされ、丸々と太った身体に坊主頭で眼光鋭い異様な容貌の写真が掲載されて話題になった。勿論、その当時もシドは音楽活動はしていなかったのだが、様々な憶測が飛び交い、またファンの幻想を掻き立てたものだった。町田氏はしきりに「シド・バレットはカッコええなあ」と語っていたものだ。参考までに以下に当時発行された音楽誌『DOLL』のアーティスト手書きによる町田氏のインタビュー記事を原文ママ掲載する。
■これが最高!!Challenge Interview
町田町蔵(元イヌ、フナ)
良く聴くレコード・ベスト5無回答
●好きなミュージシャン(バンド):シドバレット
●一度は観てみたい・会ってみたいミュージシャン(バンド):三上寛
●フェイバリット・ソングを3曲:ムーンライトオンバーモント、サンシャインオブラブ
●好きな場所(又は街):京都
●好きな喫茶店(飲み屋):ザックバラン
●好きな食べ物(飲み物):ビール
●最近読んだ本(or雑誌)でおもしろかったもの:ソロモンの指輪
●好きなスポーツ:すもう
●好きな女の子又は男の子のタイプ:きれいな人
●好きな友人(関係者性も):ない
●最高に気分の良いお金の使い方(ある・無しに関わらず):テレビを買う
●一番面白かった夢:大たこがでてくる
●好きな動物:いぬ
●好きな時間帯:ない
●好きなテレビ番組:皇室アルバム
●好きな服装:ない
●好きなマンガ家:東海林さだお
●口ぐせ:ない
●お風呂で体を洗う順番:○んぽ
●自分が最高に好きなトコロ(誇れるトコロ):ち○ぽ
●最高に楽しい行為は(~してる時)?:ちん○をいらう
(※1983年2月25日発売の『DOLL』誌14号より)
以前触れたが町田氏はこの後12月18日には目黒・鹿鳴館でザ・フールズとの共演ライヴに連続射殺魔の和田哲郎氏(現・琴桃川凜)とのユニットで出演し、12月にはその和田氏とのコラボ作品『ボリス・ヴィアンの憤り』を徳間ジャパンからリリースされたオムニバスアルバム『REBEL STREET』に提供、また山崎春美氏率いる不定型ロックユニット、タコの1stアルバム収録曲『きらら』にボーカルで参加する等、自身のバンド以外での音源リリースが相次いだ。『REBEL STREET』は町田&和田ユニットの他にリザード、ZELDA、吉野大作&プロスティテュート、元FRICTIONのツネマツ・マサトシ氏率いるE.D.P.S.等、当時の日本のパンク~ニューウェイブ系のアンダーグラウンドシーンを俯瞰できる好コンピレーション作品だ。タコの1st『TACO』に関しては「大」の付く問題作であり、当時フリーミュージックや前衛ニューウェイブ系の作品を数多くリリースしていたピナコテカ・レコードというインディーズレーベルから限定500枚プレスで市場に出回った筈だが、歌詞の問題で回収するハメになり、実質何枚ユーザーの手元に渡ったのかは定かではない。後年山崎氏自身が語ったのだが発売当時、様々な圧力?団体から抗議を受け、対応した山崎氏の心労は相当なものだったようだ(最近、CDでフツーに再発されている)。参加メンバーは豪華極まりなく町田氏の他に坂本龍一氏、ザ・スターリンの遠藤道郎氏、ボーカルを取る故・篠崎順子嬢、意外と知られていないのは現在精神科医としてメディアで引っ張り凧の香山リカ氏(当時は東京医科大学の学生だった)等など、山崎氏曰くその作品コンセプト同様「目茶苦茶」である(笑)。香山氏とは僕は当時、面識はなかったのだが、タコ関連の一連のイベントや山崎氏の執筆活動をサポートしていた。前回触れた山崎氏が中野Plan-Bで敢行した伝説の「自殺未遂ギグ」にも「ドクター見習い」として同行していた。香山リカなるペンネーム(今や通名)も実は山崎氏が命名したものである。
年が明けて1983年の年頭、当時ザ・スターリンのマネージャーだった高橋氏から、1月15日に池袋の某喫茶店(名前が思い出せない)で町田氏と遠藤道郎氏との公開トークイベントをやるから来て欲しいとの連絡があった。それまでに当の町田氏からは特に連絡もなく、12月に目黒・鹿鳴館でやった和田氏とのユニットでのライヴ以降、連絡も途絶えていたので(この頃、町田氏は大阪で転々としていたらしく、連絡先を明かさなかった)、訝しげに思いながら当日、トークイベント会場に向かった。
今回はネタも少なく小休止ということで(笑)、以下に徳島県の先鋭疾風社という名門自費出版社から発売された知る人ぞ知る硬派ミニコミ『ハードスタッフ』第11号(1993年発行)に掲載されたINU時代の町田氏の人となりが伺えるエピソードを書き抜きしてみた。
■関西パンク年表(INU、FUNA関連)
●1979年9月8日 京都・拾得
出演:INU、ノーコメント(後にNO COMENTSとしてビクターからデビューするスカバンド)
※INUの演奏の際、ウイスキーのボトルを片手に登場した町田(Vo)は「メシ喰うな!」演奏中、炒飯を食べていた女性客にからむ等狼藉を働き、拾得側の再三の勧告を無視して机の上でパフォーマンスを展開、店員を挑発し続けた。以後、INUは拾得出演停止。
●1980年1月15日 豊中市蛍池・クルセイド
「『DOKKIRI RECORD』発売記念ギグ」
※発売ギグと銘打ちながらレコードはまだ出来ていなかった。
●1980年2月24日 京大尚賢館『ODWARA #3 PUNK PARTY』
出演:INU、ODWARA、変身キリン、UPメーカー
※この時が本当の「『DOKKIRI RECORD』発売記念ギグ」。必要レコード社(『DOKKIRI RECORD』発売元)社長・町田はスーツ姿でステージに登場。ネクタイをむしり取り、ワイシャツのボタンをひきちぎっての熱演であった。
※『DOKKIRI RECORD』とは町田氏が必要レコード社を名乗り、バンド仲間から資金を募って制作された関西のアンダーグラウンド・シーンで活動するINU、ULTRA BIDE、変身キリン、アルコール42%、チャイニーズ・クラブの5バンドの音源を収録したオムニバス・レコード。1980年2月にリリースされた。
参考リンク
Aunt Sally:ラストライブ
※FUNAの女性ギタリスト、ビッケが在籍していた神戸のパンクバンド、Aunt Sallyのラストライヴ。
Syd Barrett:Two of a Kind
※数々の逸話を残す「狂気の天才」シド・バレットのソロ作品から。
Syd
※1982年にパパラッチされた際の映像。当時30代後半の筈だが、その容貌はポップスターだった若き日の面影もない。
Pink Floyd: (Promo Video)
※シド・バレット在籍時のピンク・フロイドのライヴ・パフォーマンスを全面的にフィーチャーした映像作品『London 66 67』のプロモーションビデオ。
PINK FLOYD:BBC 1 1967 Astronomy Domine Unedited
※ピンク・フロイドが英国のBBCに出演した際の映像。時代を反映したサイケデリックな演出。
E.D.P.S.(ツネマツマサトシ):Nigashita Hajimari (1982)
※(この楽曲はアルバム収録曲ではないが)オムニバス・アルバム『REBEL STREET』に収録された元FRICTIONのツネマツマサトシ率いるE.D.P.S.。
NON baNd
※オムニバス・アルバム『REBEL STREET』に収録されたNON BANDの当時の貴重なライヴ映像。。
Non Band:ダンカン・ダンシン Duncan Dancin' (1982)
※1983年にリリースされたNON BANDのミニ・アルバムから。
吉野大作 Daisuck Yoshino:ここそしてここじゃない場所 (1982)
※オムニバス・アルバム『REBEL STREET』に収録された吉野大作&プロスティテュートの名曲。
Aunt Sally:かがみ
※前出のFUNAの女性ギタリスト、ビッケが在籍していたAunt Sallyの『かがみ』。これは今も忘れられない佳曲。
Kate Bush:Suspended in Gaffa
※英国の超個性的女性パフォーマー、ケイト・ブッシュ。この曲は当時、耳にタコができる位、色んなクラブで良くかかっていた。戸川純さんに多大なる影響を与えた。
この辺りの詳しい事情なよく知らないがこの頃、町田氏は英国のピンク・フロイドのオリジナルメンバーで「狂気の天才」と謳われたシド・バレットに(ちょっとだけ)傾倒しており、そのシドがソロアーティストになってからのライヴパフォーマンス時の逸話(伝説)を意識したものだったような気がしないでもない。シド・バレットについては知っている人は知っていると思うが彼は重度の精神障害を患い、2006年にこの世を去るまで(享年60歳)、音楽活動からリタイアした後は絵画に興じたりしてずっと隠遁生活を送っていた。ピンク・フロイド時代からステージ上での数々の奇行で知られ(プライベートでも)、恐らく本人が単なる思い付きで無意識にやった事でもそれが周囲の関係者やファンは何かしら深い意味のあるパフォーマンスだと受け取ったりして過度にカリスマ性を高め、無為に神格化されてしまったアーティストである。ソロ活動を始めた頃、セッティングされたライヴでバッキングメンバーの演奏を全く無視してギター一本でリハーサルとは全く違った即興パフォーマンスをやった等と常人の思いもよらぬ行動を取り、それらのエピソードが多くのファナティックなファンを生んだ。勿論、シドの創作した楽曲、歌詞は他に類を見ないユニークなもので天才的な(紙一重の)閃きを感じさせるものだった。確かこの頃、そのシド自身が隠遁してから何年かぶりに英国の雑誌にパパラッチされ、丸々と太った身体に坊主頭で眼光鋭い異様な容貌の写真が掲載されて話題になった。勿論、その当時もシドは音楽活動はしていなかったのだが、様々な憶測が飛び交い、またファンの幻想を掻き立てたものだった。町田氏はしきりに「シド・バレットはカッコええなあ」と語っていたものだ。参考までに以下に当時発行された音楽誌『DOLL』のアーティスト手書きによる町田氏のインタビュー記事を原文ママ掲載する。
■これが最高!!Challenge Interview
町田町蔵(元イヌ、フナ)
良く聴くレコード・ベスト5無回答
●好きなミュージシャン(バンド):シドバレット
●一度は観てみたい・会ってみたいミュージシャン(バンド):三上寛
●フェイバリット・ソングを3曲:ムーンライトオンバーモント、サンシャインオブラブ
●好きな場所(又は街):京都
●好きな喫茶店(飲み屋):ザックバラン
●好きな食べ物(飲み物):ビール
●最近読んだ本(or雑誌)でおもしろかったもの:ソロモンの指輪
●好きなスポーツ:すもう
●好きな女の子又は男の子のタイプ:きれいな人
●好きな友人(関係者性も):ない
●最高に気分の良いお金の使い方(ある・無しに関わらず):テレビを買う
●一番面白かった夢:大たこがでてくる
●好きな動物:いぬ
●好きな時間帯:ない
●好きなテレビ番組:皇室アルバム
●好きな服装:ない
●好きなマンガ家:東海林さだお
●口ぐせ:ない
●お風呂で体を洗う順番:○んぽ
●自分が最高に好きなトコロ(誇れるトコロ):ち○ぽ
●最高に楽しい行為は(~してる時)?:ちん○をいらう
(※1983年2月25日発売の『DOLL』誌14号より)
以前触れたが町田氏はこの後12月18日には目黒・鹿鳴館でザ・フールズとの共演ライヴに連続射殺魔の和田哲郎氏(現・琴桃川凜)とのユニットで出演し、12月にはその和田氏とのコラボ作品『ボリス・ヴィアンの憤り』を徳間ジャパンからリリースされたオムニバスアルバム『REBEL STREET』に提供、また山崎春美氏率いる不定型ロックユニット、タコの1stアルバム収録曲『きらら』にボーカルで参加する等、自身のバンド以外での音源リリースが相次いだ。『REBEL STREET』は町田&和田ユニットの他にリザード、ZELDA、吉野大作&プロスティテュート、元FRICTIONのツネマツ・マサトシ氏率いるE.D.P.S.等、当時の日本のパンク~ニューウェイブ系のアンダーグラウンドシーンを俯瞰できる好コンピレーション作品だ。タコの1st『TACO』に関しては「大」の付く問題作であり、当時フリーミュージックや前衛ニューウェイブ系の作品を数多くリリースしていたピナコテカ・レコードというインディーズレーベルから限定500枚プレスで市場に出回った筈だが、歌詞の問題で回収するハメになり、実質何枚ユーザーの手元に渡ったのかは定かではない。後年山崎氏自身が語ったのだが発売当時、様々な圧力?団体から抗議を受け、対応した山崎氏の心労は相当なものだったようだ(最近、CDでフツーに再発されている)。参加メンバーは豪華極まりなく町田氏の他に坂本龍一氏、ザ・スターリンの遠藤道郎氏、ボーカルを取る故・篠崎順子嬢、意外と知られていないのは現在精神科医としてメディアで引っ張り凧の香山リカ氏(当時は東京医科大学の学生だった)等など、山崎氏曰くその作品コンセプト同様「目茶苦茶」である(笑)。香山氏とは僕は当時、面識はなかったのだが、タコ関連の一連のイベントや山崎氏の執筆活動をサポートしていた。前回触れた山崎氏が中野Plan-Bで敢行した伝説の「自殺未遂ギグ」にも「ドクター見習い」として同行していた。香山リカなるペンネーム(今や通名)も実は山崎氏が命名したものである。
年が明けて1983年の年頭、当時ザ・スターリンのマネージャーだった高橋氏から、1月15日に池袋の某喫茶店(名前が思い出せない)で町田氏と遠藤道郎氏との公開トークイベントをやるから来て欲しいとの連絡があった。それまでに当の町田氏からは特に連絡もなく、12月に目黒・鹿鳴館でやった和田氏とのユニットでのライヴ以降、連絡も途絶えていたので(この頃、町田氏は大阪で転々としていたらしく、連絡先を明かさなかった)、訝しげに思いながら当日、トークイベント会場に向かった。
今回はネタも少なく小休止ということで(笑)、以下に徳島県の先鋭疾風社という名門自費出版社から発売された知る人ぞ知る硬派ミニコミ『ハードスタッフ』第11号(1993年発行)に掲載されたINU時代の町田氏の人となりが伺えるエピソードを書き抜きしてみた。
■関西パンク年表(INU、FUNA関連)
●1979年9月8日 京都・拾得
出演:INU、ノーコメント(後にNO COMENTSとしてビクターからデビューするスカバンド)
※INUの演奏の際、ウイスキーのボトルを片手に登場した町田(Vo)は「メシ喰うな!」演奏中、炒飯を食べていた女性客にからむ等狼藉を働き、拾得側の再三の勧告を無視して机の上でパフォーマンスを展開、店員を挑発し続けた。以後、INUは拾得出演停止。
●1980年1月15日 豊中市蛍池・クルセイド
「『DOKKIRI RECORD』発売記念ギグ」
※発売ギグと銘打ちながらレコードはまだ出来ていなかった。
●1980年2月24日 京大尚賢館『ODWARA #3 PUNK PARTY』
出演:INU、ODWARA、変身キリン、UPメーカー
※この時が本当の「『DOKKIRI RECORD』発売記念ギグ」。必要レコード社(『DOKKIRI RECORD』発売元)社長・町田はスーツ姿でステージに登場。ネクタイをむしり取り、ワイシャツのボタンをひきちぎっての熱演であった。
※『DOKKIRI RECORD』とは町田氏が必要レコード社を名乗り、バンド仲間から資金を募って制作された関西のアンダーグラウンド・シーンで活動するINU、ULTRA BIDE、変身キリン、アルコール42%、チャイニーズ・クラブの5バンドの音源を収録したオムニバス・レコード。1980年2月にリリースされた。
参考リンク
Aunt Sally:ラストライブ
※FUNAの女性ギタリスト、ビッケが在籍していた神戸のパンクバンド、Aunt Sallyのラストライヴ。
Syd Barrett:Two of a Kind
※数々の逸話を残す「狂気の天才」シド・バレットのソロ作品から。
Syd
※1982年にパパラッチされた際の映像。当時30代後半の筈だが、その容貌はポップスターだった若き日の面影もない。
Pink Floyd: (Promo Video)
※シド・バレット在籍時のピンク・フロイドのライヴ・パフォーマンスを全面的にフィーチャーした映像作品『London 66 67』のプロモーションビデオ。
PINK FLOYD:BBC 1 1967 Astronomy Domine Unedited
※ピンク・フロイドが英国のBBCに出演した際の映像。時代を反映したサイケデリックな演出。
E.D.P.S.(ツネマツマサトシ):Nigashita Hajimari (1982)
※(この楽曲はアルバム収録曲ではないが)オムニバス・アルバム『REBEL STREET』に収録された元FRICTIONのツネマツマサトシ率いるE.D.P.S.。
NON baNd
※オムニバス・アルバム『REBEL STREET』に収録されたNON BANDの当時の貴重なライヴ映像。。
Non Band:ダンカン・ダンシン Duncan Dancin' (1982)
※1983年にリリースされたNON BANDのミニ・アルバムから。
吉野大作 Daisuck Yoshino:ここそしてここじゃない場所 (1982)
※オムニバス・アルバム『REBEL STREET』に収録された吉野大作&プロスティテュートの名曲。
Aunt Sally:かがみ
※前出のFUNAの女性ギタリスト、ビッケが在籍していたAunt Sallyの『かがみ』。これは今も忘れられない佳曲。
Kate Bush:Suspended in Gaffa
※英国の超個性的女性パフォーマー、ケイト・ブッシュ。この曲は当時、耳にタコができる位、色んなクラブで良くかかっていた。戸川純さんに多大なる影響を与えた。