前回から随分と間が空いてしまいましたが、自分史、続けていきます。
「横浜サイケデリックビート」なる、アンダーグラウンドなムーブメントの企画集団に参加して、それまでの「観る側」から「観せる側」にポジションが変わり、この頃は音楽に携わる自分の意識も徐々に変化してきた。また音楽だけでなく、多くの映画や演劇関係者とも知り合い、色んな意味で視野が広がっていったのもこの頃の事である。
1981年の秋から暮れにかけて埼玉県川口市の某所でINU解散後の町田氏が初出演した(役目:キチガイ弟)映画『BURST CITY(爆裂都市)』(石井聡互監督作品)がロケーションを敢行していたが、この撮影では前回触れた横浜市立大学の学園祭でザ・スターリンのコンサートを企画した後藤君が、映画のエキストラを大学のサークルから仕込んだり、ロケ地の現地アルバイトを調達していた。またこの映画にはザ・スターリンのメンバーも「マッドスターリン」という役名で出演していた(確かこの撮影には僕は一度も現地には行かなかった)。
当時の記録を調べてみると、この年の11月の15日から21日にかけて横須賀の通称ドブ板通りにあった「セカンド・ニューヨコスカ」という廃業したキャバレーの跡地を無料で使用出来るというので、後藤君の発案?でこの場所でパンク~ニューウェイブ系バンドを集めてイベントをすることになり、ザ・スターリンや暗黒大陸じゃがたら、ザ・フールズ等のバンドが出演して「キャバレーギグ」という連続ライブの企画があり、これをサポートした。この時の事で記憶に残っているのはイベントの何日目だったか定かではないが、前回触れた中医電解カルシウムという女性バンドが出演した日に近くにある米軍横須賀基地の海兵隊の連中が多数来場し、大騒ぎをして盛り上がった事だ。後で聞くと彼らは志願兵で、言わば仕事が無くて軍隊に入ってきた者が多いという事だったが、非常にフレンドリーでウイスキーを紙コップに注いで僕達や出演バンドのメンバーにふるまってくれたりして、ライブ自体も非常に良い雰囲気だった。
この時、イベントに出演した暗黒大陸じゃがたらやフールズのマネジメントを手掛けていた通称・溝口洋(実は本名・福田洋介 笑)氏と出会った事が一つの転機となり、氏との出会いが、翌年以降の僕の人生に大きな影響を及ぼす。この溝口氏、その風貌や佇まいから僕(当時20歳)よりは相当年長者だと思っていたが、後々聞いてみると僕より2歳、学年で1年上級だと分かってビックリした記憶がある。それ程に胡散臭く、怪しい雰囲気を持った正に「怪人物」だった。溝口氏は愛知県名古屋市出身で明治大学の文学部を中退し、先に挙げたじゃがたらやフールズという、これ又怪しい(笑)アンダーグラウンドなロックバンドのマネジメントを努め、片や山本政志というカルトムービー・プロデューサー兼監督の片腕として、今思えばホンッとに訳のワカラナイ活動をしていた。僕も当時、自分の通っていた大学では「怪しい奴」と警戒されていたようだが(笑)、溝口氏の発するパープルなオーラには到底敵わなった。
さて年が明けて1982年、激動の年がスタートしたわけだが、新春早々に企画仲間の赤坂君、伊沢君、牧野君等と新年会を開いてその年の年間計画等話し合う機会があったのだが、「横浜サイケデリックビート」の動きも一段落し、新たな活動目標を何にするか、真剣に(笑)討議するつもりが…やはりそこは皆さん19~20歳の血気盛んな年頃で、今で言う「コイバナ」話になり、この中で牧野君以外は特定の彼女がいなかった。という事で、じゃ近場でナントカしよう、と話は発展して(笑)…先に話題に出た女性バンドの中医電解カルシウムのメンバーが一人を除いて他の全員が彼氏がいないけど、どうかな?と話は発展し、誰が誰に行く(笑)とかの話にまでなり、とんだ年間計画ミーティングになってしまった(笑)。この時に早速、4月に新春ロフトで中医電解カルシウムをフィーチャーした女性バンドばかりを集めたイベント(思い出すのも恥ずかしい)「Sweet Presentation For You~女の子バンド・フェスティバル」を開催する事が決まった。この企画は4月9日から11日迄の3日間、女の子バンドば
かり十数バンドをを集めて敢行されたのだが…今にして思えばロフト(のブッキング担当の 長沢さん)もよくこんな下心丸出しのイベントに週末の金土日と開けてくれたものだ(笑)。ちなみに中医電解カルシウムは当時、DOLLという音楽雑誌が巻末で編集部雑談会みたいなものを掲載していたのだが、その欄である編集者が「可愛いみたいですよ」とコメントしていたり、『ギャルズライフ』というヤンキー系の少女雑誌にZELDAをメインにフィーチャーした女の子バンド特集でも紹介されていたりもした。実はその中心メンバーは伊沢君の幼なじみで相模大野にあるS女子短大生が4人、M美大生が一人の、ごく普通の女子大生バンドだった。その後は中医~のメンバーと企画ミーティングをする度にまるで合コンのようなノリになって、音楽の話等あまりしなくなってしまった。そして4月のライブイベント本番ではサプライズとして僕と伊沢君がライブ後にステージに上がってお気に入りのメンバー二人に花束を渡すという演出をしてクライマックスを迎えるというアホさ全開の企画だった。実際にこのイベント当日、僕はJ-PRESSのジャケットを着用し、伊沢君も上下スーツ姿でメンバーに花束を渡したのだが‥本当は僕のお気に入りは一番清楚な雰囲気のあったキーボードの愛称・ヒロミさんという方だったのだが、ステージに上っただけで余りにこっ恥ずかしくなり、思いを遂げられずにステージフロントにいたマミさんに渡して直ぐに引っ込んでしまったというオチがついてしまった(笑)。このバンドは結局、この年の秋には解散してしまうのだが、そのメンバー(皮肉にも間違って花束を渡してしまった方)とはその後、一時的なブランクを経て腐れ縁的な付き合いが始まる。
話は前後するが先の溝口氏とも春頃から頻繁に連絡を取り合うようになり、確か3月の初旬だったと思うが、山本政志監督の最高傑作とも言われる『闇のカーニバル』の完成試写会に呼ばれて、その後の飲み会で大いに盛り上がったのを覚えている。その後はなし崩し的に溝口氏の企画ライブを手伝う事になり、じゃがたらやフールズ、そしてフールズのギタリスト・川田良氏が並行して活動していたジャングルズという渋いインストメンタル・バンド(後ノブというにボーカリストが加入する)のライブ・ブッキングや自主制作レコードの配給(といっても直接店置きに行った)、チラシ撒き等、慌ただしく動き回る日々が続いた。一緒に動いていた伊沢君というのが元々このザ・フールズの大ファンで、スタッフとして動けるのが楽しくて仕方ないという感じだった。因みに伊沢君が如何にフールズというバンドに入れ込んでいたかというと、今でも忘れられないのが僕が最初に彼に会った時に「フールズってどんなバンド?RC(サクセション)みたいな感じ?」と聞いたところ、即座に「あん
なモン(RCの事)と一緒にしないでよー。」と答えた事だ。この返答には恐らく現在の音楽ファンには理解し難い微妙な感覚があると思う。確かにRCや忌野清志郎氏も優れたロックバンドだが、フールズというバンドは当時ロックという音楽にファンが抱く幻想‥例えば社会からはみ出した歌舞伎者・厄介者が演じる音楽、本当にヤバい音楽、危険なものであって欲しい、そうした要素をほぼパーフェクトに持っていたように思う(逆に言えば人畜無害なRCにはそれが欠けていた)。実際、フールズのメンバーは僕の知っている限りでも何回か警察のお世話になっている(殆どが大麻関係)。まあ犯罪行為を奨励する訳ではないが、フールズはRCにはない、危険な魅力に溢れたバンドだった事は確かだ。特にボーカルの伊藤耕氏は豪放磊落を絵に描いたような人物で、一緒に行動しているとハプニングの連続で本当にスリルとサスペンスに満ちた(笑)日々を送ることが出来た。溝口氏やフールズのメンバーと攣るんでいたこの頃は本当に毎日々が楽しくエキサイティングで、夜帰宅してから「明日はどんなトンデモナイ事が起きるのだろう」とワクワクしながら眠りに就いたものだった。
伊藤耕氏に纏わるエピソードは数知れないが、僕が実際に見聞・体験したものでは、この年の12月18日に溝口氏の企画で東京・目黒のライブハウス鹿鳴館で町田町蔵氏のユニットとライブをやった時の事だ。まずこの頃は(本当だっかのかどうか定かではないが‥笑)毎年、年末になるとフールズに対して警察のマークが厳しくなると言って(溝口氏談)、ライブ会場に私服警官が来るとかいって大騒ぎしていたものだ。この時はリハーサルが終わった後に溝口氏が僕にクラッカーを手渡し「会場入口で待機して、本番中に鹿鳴館に刑事が踏み込んで来たら、これを鳴らしてくれ!そうしたら俺は耕を鹿鳴館の楽屋の窓から逃がすから。」と真顔で言った(笑)。僕は内心「何考えてんだろ、この男は‥」とほくそ笑みながらも、安っぽい犯罪ドラマの登場人物になったような気がして、それなりに楽しんでいた(笑)。ただ、この時に本番後楽屋を怪しい人物が尋ねて来て「町田氏に会いたい」と言うもので溝口氏にその旨報告すると「いかん、私服(刑事)かも知れん。名刺を貰って来てくれ。」と言われたので名刺を預かると何と日本テレビのドラマ・プロデューサーで「傷だらけの天使」を手掛けた清水欣也氏で、町田氏をテレビドラマの役者としてスカウトしに来たのだった(笑)。あいにくこの時、町田氏は気分が優れず自分のステージが終わると直ぐに飲みに行ってしまったのでその旨を告げると町田氏が向かった先の店を追っかけていった。結局、警察も踏み込まず私服刑事も来場せず「良かった、良かった」とホッと胸を撫で下ろした伊藤耕氏や溝口氏を見ていて僕は「ホントかよ???」という感じだったが「こういうオメデタイ人達がいるのも良いな」と何となく幸せな気分になった。またこのライブではリハーサル不足の為か町田氏の調子が悪く町田氏のステージ本番後、町田氏目当ての客が一様にガッカリしていたのだが、伊藤耕氏がそんな空気を察したのか町田氏が引っ込んだ後直ぐにステージに出て来て帰ろうとする客に「おいお前ら、帰るなよ。町蔵機嫌悪かったけど、俺達が楽しませてやるから。分かったな!絶対帰るなよ!」と最高のMCをかまし、実際ライブそのものもいつになくテンション高めで最後には客も大乗りで全員総立ちのショウを披露した。この展開にはさすがにウルウルするものがあり、この時初めてフールズの本当の魅力が分かったような気がした。この後打ち上げでフールズのメンバーや取り巻き(グルーピー)のお姉さん達と居酒屋や(当時流行っていた)プールバーを数件ハシゴしたのだが、この時に伊藤耕氏がプールバーの男子トイレでお姉さんの一人と○×しているのを目撃したのも衝撃的だった(生まれて初めて他人の○×を目の当たりにした 笑)。この日出演した町田氏は元・連続射殺魔の和田哲郎(現在は琴桃川凜名義で活動)氏との急造ユニットで出演だった為、持ち歌もこの年の初夏に徳間ジャパン・レコードからリリースしたオムニバスアルバム『Rebel Street』に和田氏が作ったバックトラックにボーカルを被せた『ボリス・ヴィアンの憤り』(これはカッコイイ!)をメインに、他は和田氏がリーダーだったロックバンド・連続射殺魔のレパートリー(『G線上のアリア』等)に町田氏が即興で歌を入れるという、ちょっと実験的な試みのライブだった。このレコーディングが行われたのはロックバンド・じゃがたらが所有する通称「じゃがスタ」と呼ばれるマンションの一室を防音改造した小さなスタジオで和田氏は当時、このスタジオのエンジニアのような事をしていたらしい。これも溝口氏のコネクションだ。
その他諸々、書き出したらキリがないが溝口氏周辺の人間模様は興味深いものであった。その中の一人、山本政志監督は高田馬場にあったレイライン(Ley Line)という映画制作会社を運営していて後に町田氏も出演する『ロビンソンの庭』や『てなもんやコネクション』を制作したりするが、実は溝口氏も協力して密かに仕事単価の良いアダルトビデオを制作してもいた。町田氏も一度山本政志監督のアダルト作品に出演していてその一部がYou Tubeにアップされている。この作品は84年頃のものだと思うが、町田氏もかなりブチ切れたキャラで出演している。内容的にはシュールな設定であまり猥褻感がなく、どちらかと言うと蛭子能収描くところの不条理漫画のような世界だったが、山本氏はやはり根っからのアーティスト(笑)だなあと妙に納得した。
町田氏はこの頃、山崎春美氏というマルチな才能を持ったアーティストとも共同作業をしていて山崎氏が結成した「タコ(TACO)」なる実験音楽ユニットにも参加し、坂本龍一氏やザ・スターリンの遠藤道郎氏等、豪華ゲストを迎えて制作されたアルバム『タコ』にも参加した(タコの2作品が最近、CD化復刻再発されている)。僕がこの年の夏、町田氏と約一年ぶりに再会したのは山崎氏の住んでいた渋谷・宮益坂のマンションであった。この年、僕の身の回りで起きた出来事はまだまだ沢山あり、とても一度に書ききれない程なので、また稿を改めて続けます。
参考リンク
THE FOOLS『いつだってそうさ』1983.8.21@日比谷野音ライブ『天国注射の昼'83』
※00:30過ぎにアップになるサングラスをかけた町田氏、最初客席にいるがステージに上っていい加減なコーラス入れたりアジったりノリノリで飛び入りライブ参加している。他にもじゃがたらの江戸アケミ氏もステージに。この曲はザ・フールズ最高のブギナンバーで、この時はとにかく皆カッコ良かった。
THE FOOLS『空』
※ザ・フールズの90年代のライブから。伊藤耕氏の調子がイマイチだが、この曲は僕のフェイバリット・ナンバー。
石井聰互監督作品・映画『爆裂都市』予告編 ※冒頭、戸井十月氏の運転するバイクのサイドカーに乗っているのが町田氏。
映画『爆裂都市』THE STALIN登場シーン(「マッドスタ―リン」名義)
山本政志監督作品・映画『闇のカーニバル』
※じゃがたらの江戸アケミ氏出演シーン
じゃがたら『Hey Say』
町田町蔵 with 和田哲郎『ボリス・ヴィアンの憤り』
TACO featuring 町田町蔵@日比谷野音ライブ『天国注射の昼'82』
山本政志監督AV作品[『お尻ラプソディー』(別タイトル『タンポンタンゴ』)・その1
↑同作品での町田氏のブッ飛んだいでたちに影響を与えたであろう(笑)米国の前衛ロックミュージシャン・Captain Beefheart:Big Eyed Beans from Venus
同作品・その2
「横浜サイケデリックビート」なる、アンダーグラウンドなムーブメントの企画集団に参加して、それまでの「観る側」から「観せる側」にポジションが変わり、この頃は音楽に携わる自分の意識も徐々に変化してきた。また音楽だけでなく、多くの映画や演劇関係者とも知り合い、色んな意味で視野が広がっていったのもこの頃の事である。
1981年の秋から暮れにかけて埼玉県川口市の某所でINU解散後の町田氏が初出演した(役目:キチガイ弟)映画『BURST CITY(爆裂都市)』(石井聡互監督作品)がロケーションを敢行していたが、この撮影では前回触れた横浜市立大学の学園祭でザ・スターリンのコンサートを企画した後藤君が、映画のエキストラを大学のサークルから仕込んだり、ロケ地の現地アルバイトを調達していた。またこの映画にはザ・スターリンのメンバーも「マッドスターリン」という役名で出演していた(確かこの撮影には僕は一度も現地には行かなかった)。
当時の記録を調べてみると、この年の11月の15日から21日にかけて横須賀の通称ドブ板通りにあった「セカンド・ニューヨコスカ」という廃業したキャバレーの跡地を無料で使用出来るというので、後藤君の発案?でこの場所でパンク~ニューウェイブ系バンドを集めてイベントをすることになり、ザ・スターリンや暗黒大陸じゃがたら、ザ・フールズ等のバンドが出演して「キャバレーギグ」という連続ライブの企画があり、これをサポートした。この時の事で記憶に残っているのはイベントの何日目だったか定かではないが、前回触れた中医電解カルシウムという女性バンドが出演した日に近くにある米軍横須賀基地の海兵隊の連中が多数来場し、大騒ぎをして盛り上がった事だ。後で聞くと彼らは志願兵で、言わば仕事が無くて軍隊に入ってきた者が多いという事だったが、非常にフレンドリーでウイスキーを紙コップに注いで僕達や出演バンドのメンバーにふるまってくれたりして、ライブ自体も非常に良い雰囲気だった。
この時、イベントに出演した暗黒大陸じゃがたらやフールズのマネジメントを手掛けていた通称・溝口洋(実は本名・福田洋介 笑)氏と出会った事が一つの転機となり、氏との出会いが、翌年以降の僕の人生に大きな影響を及ぼす。この溝口氏、その風貌や佇まいから僕(当時20歳)よりは相当年長者だと思っていたが、後々聞いてみると僕より2歳、学年で1年上級だと分かってビックリした記憶がある。それ程に胡散臭く、怪しい雰囲気を持った正に「怪人物」だった。溝口氏は愛知県名古屋市出身で明治大学の文学部を中退し、先に挙げたじゃがたらやフールズという、これ又怪しい(笑)アンダーグラウンドなロックバンドのマネジメントを努め、片や山本政志というカルトムービー・プロデューサー兼監督の片腕として、今思えばホンッとに訳のワカラナイ活動をしていた。僕も当時、自分の通っていた大学では「怪しい奴」と警戒されていたようだが(笑)、溝口氏の発するパープルなオーラには到底敵わなった。
さて年が明けて1982年、激動の年がスタートしたわけだが、新春早々に企画仲間の赤坂君、伊沢君、牧野君等と新年会を開いてその年の年間計画等話し合う機会があったのだが、「横浜サイケデリックビート」の動きも一段落し、新たな活動目標を何にするか、真剣に(笑)討議するつもりが…やはりそこは皆さん19~20歳の血気盛んな年頃で、今で言う「コイバナ」話になり、この中で牧野君以外は特定の彼女がいなかった。という事で、じゃ近場でナントカしよう、と話は発展して(笑)…先に話題に出た女性バンドの中医電解カルシウムのメンバーが一人を除いて他の全員が彼氏がいないけど、どうかな?と話は発展し、誰が誰に行く(笑)とかの話にまでなり、とんだ年間計画ミーティングになってしまった(笑)。この時に早速、4月に新春ロフトで中医電解カルシウムをフィーチャーした女性バンドばかりを集めたイベント(思い出すのも恥ずかしい)「Sweet Presentation For You~女の子バンド・フェスティバル」を開催する事が決まった。この企画は4月9日から11日迄の3日間、女の子バンドば
かり十数バンドをを集めて敢行されたのだが…今にして思えばロフト(のブッキング担当の 長沢さん)もよくこんな下心丸出しのイベントに週末の金土日と開けてくれたものだ(笑)。ちなみに中医電解カルシウムは当時、DOLLという音楽雑誌が巻末で編集部雑談会みたいなものを掲載していたのだが、その欄である編集者が「可愛いみたいですよ」とコメントしていたり、『ギャルズライフ』というヤンキー系の少女雑誌にZELDAをメインにフィーチャーした女の子バンド特集でも紹介されていたりもした。実はその中心メンバーは伊沢君の幼なじみで相模大野にあるS女子短大生が4人、M美大生が一人の、ごく普通の女子大生バンドだった。その後は中医~のメンバーと企画ミーティングをする度にまるで合コンのようなノリになって、音楽の話等あまりしなくなってしまった。そして4月のライブイベント本番ではサプライズとして僕と伊沢君がライブ後にステージに上がってお気に入りのメンバー二人に花束を渡すという演出をしてクライマックスを迎えるというアホさ全開の企画だった。実際にこのイベント当日、僕はJ-PRESSのジャケットを着用し、伊沢君も上下スーツ姿でメンバーに花束を渡したのだが‥本当は僕のお気に入りは一番清楚な雰囲気のあったキーボードの愛称・ヒロミさんという方だったのだが、ステージに上っただけで余りにこっ恥ずかしくなり、思いを遂げられずにステージフロントにいたマミさんに渡して直ぐに引っ込んでしまったというオチがついてしまった(笑)。このバンドは結局、この年の秋には解散してしまうのだが、そのメンバー(皮肉にも間違って花束を渡してしまった方)とはその後、一時的なブランクを経て腐れ縁的な付き合いが始まる。
話は前後するが先の溝口氏とも春頃から頻繁に連絡を取り合うようになり、確か3月の初旬だったと思うが、山本政志監督の最高傑作とも言われる『闇のカーニバル』の完成試写会に呼ばれて、その後の飲み会で大いに盛り上がったのを覚えている。その後はなし崩し的に溝口氏の企画ライブを手伝う事になり、じゃがたらやフールズ、そしてフールズのギタリスト・川田良氏が並行して活動していたジャングルズという渋いインストメンタル・バンド(後ノブというにボーカリストが加入する)のライブ・ブッキングや自主制作レコードの配給(といっても直接店置きに行った)、チラシ撒き等、慌ただしく動き回る日々が続いた。一緒に動いていた伊沢君というのが元々このザ・フールズの大ファンで、スタッフとして動けるのが楽しくて仕方ないという感じだった。因みに伊沢君が如何にフールズというバンドに入れ込んでいたかというと、今でも忘れられないのが僕が最初に彼に会った時に「フールズってどんなバンド?RC(サクセション)みたいな感じ?」と聞いたところ、即座に「あん
なモン(RCの事)と一緒にしないでよー。」と答えた事だ。この返答には恐らく現在の音楽ファンには理解し難い微妙な感覚があると思う。確かにRCや忌野清志郎氏も優れたロックバンドだが、フールズというバンドは当時ロックという音楽にファンが抱く幻想‥例えば社会からはみ出した歌舞伎者・厄介者が演じる音楽、本当にヤバい音楽、危険なものであって欲しい、そうした要素をほぼパーフェクトに持っていたように思う(逆に言えば人畜無害なRCにはそれが欠けていた)。実際、フールズのメンバーは僕の知っている限りでも何回か警察のお世話になっている(殆どが大麻関係)。まあ犯罪行為を奨励する訳ではないが、フールズはRCにはない、危険な魅力に溢れたバンドだった事は確かだ。特にボーカルの伊藤耕氏は豪放磊落を絵に描いたような人物で、一緒に行動しているとハプニングの連続で本当にスリルとサスペンスに満ちた(笑)日々を送ることが出来た。溝口氏やフールズのメンバーと攣るんでいたこの頃は本当に毎日々が楽しくエキサイティングで、夜帰宅してから「明日はどんなトンデモナイ事が起きるのだろう」とワクワクしながら眠りに就いたものだった。
伊藤耕氏に纏わるエピソードは数知れないが、僕が実際に見聞・体験したものでは、この年の12月18日に溝口氏の企画で東京・目黒のライブハウス鹿鳴館で町田町蔵氏のユニットとライブをやった時の事だ。まずこの頃は(本当だっかのかどうか定かではないが‥笑)毎年、年末になるとフールズに対して警察のマークが厳しくなると言って(溝口氏談)、ライブ会場に私服警官が来るとかいって大騒ぎしていたものだ。この時はリハーサルが終わった後に溝口氏が僕にクラッカーを手渡し「会場入口で待機して、本番中に鹿鳴館に刑事が踏み込んで来たら、これを鳴らしてくれ!そうしたら俺は耕を鹿鳴館の楽屋の窓から逃がすから。」と真顔で言った(笑)。僕は内心「何考えてんだろ、この男は‥」とほくそ笑みながらも、安っぽい犯罪ドラマの登場人物になったような気がして、それなりに楽しんでいた(笑)。ただ、この時に本番後楽屋を怪しい人物が尋ねて来て「町田氏に会いたい」と言うもので溝口氏にその旨報告すると「いかん、私服(刑事)かも知れん。名刺を貰って来てくれ。」と言われたので名刺を預かると何と日本テレビのドラマ・プロデューサーで「傷だらけの天使」を手掛けた清水欣也氏で、町田氏をテレビドラマの役者としてスカウトしに来たのだった(笑)。あいにくこの時、町田氏は気分が優れず自分のステージが終わると直ぐに飲みに行ってしまったのでその旨を告げると町田氏が向かった先の店を追っかけていった。結局、警察も踏み込まず私服刑事も来場せず「良かった、良かった」とホッと胸を撫で下ろした伊藤耕氏や溝口氏を見ていて僕は「ホントかよ???」という感じだったが「こういうオメデタイ人達がいるのも良いな」と何となく幸せな気分になった。またこのライブではリハーサル不足の為か町田氏の調子が悪く町田氏のステージ本番後、町田氏目当ての客が一様にガッカリしていたのだが、伊藤耕氏がそんな空気を察したのか町田氏が引っ込んだ後直ぐにステージに出て来て帰ろうとする客に「おいお前ら、帰るなよ。町蔵機嫌悪かったけど、俺達が楽しませてやるから。分かったな!絶対帰るなよ!」と最高のMCをかまし、実際ライブそのものもいつになくテンション高めで最後には客も大乗りで全員総立ちのショウを披露した。この展開にはさすがにウルウルするものがあり、この時初めてフールズの本当の魅力が分かったような気がした。この後打ち上げでフールズのメンバーや取り巻き(グルーピー)のお姉さん達と居酒屋や(当時流行っていた)プールバーを数件ハシゴしたのだが、この時に伊藤耕氏がプールバーの男子トイレでお姉さんの一人と○×しているのを目撃したのも衝撃的だった(生まれて初めて他人の○×を目の当たりにした 笑)。この日出演した町田氏は元・連続射殺魔の和田哲郎(現在は琴桃川凜名義で活動)氏との急造ユニットで出演だった為、持ち歌もこの年の初夏に徳間ジャパン・レコードからリリースしたオムニバスアルバム『Rebel Street』に和田氏が作ったバックトラックにボーカルを被せた『ボリス・ヴィアンの憤り』(これはカッコイイ!)をメインに、他は和田氏がリーダーだったロックバンド・連続射殺魔のレパートリー(『G線上のアリア』等)に町田氏が即興で歌を入れるという、ちょっと実験的な試みのライブだった。このレコーディングが行われたのはロックバンド・じゃがたらが所有する通称「じゃがスタ」と呼ばれるマンションの一室を防音改造した小さなスタジオで和田氏は当時、このスタジオのエンジニアのような事をしていたらしい。これも溝口氏のコネクションだ。
その他諸々、書き出したらキリがないが溝口氏周辺の人間模様は興味深いものであった。その中の一人、山本政志監督は高田馬場にあったレイライン(Ley Line)という映画制作会社を運営していて後に町田氏も出演する『ロビンソンの庭』や『てなもんやコネクション』を制作したりするが、実は溝口氏も協力して密かに仕事単価の良いアダルトビデオを制作してもいた。町田氏も一度山本政志監督のアダルト作品に出演していてその一部がYou Tubeにアップされている。この作品は84年頃のものだと思うが、町田氏もかなりブチ切れたキャラで出演している。内容的にはシュールな設定であまり猥褻感がなく、どちらかと言うと蛭子能収描くところの不条理漫画のような世界だったが、山本氏はやはり根っからのアーティスト(笑)だなあと妙に納得した。
町田氏はこの頃、山崎春美氏というマルチな才能を持ったアーティストとも共同作業をしていて山崎氏が結成した「タコ(TACO)」なる実験音楽ユニットにも参加し、坂本龍一氏やザ・スターリンの遠藤道郎氏等、豪華ゲストを迎えて制作されたアルバム『タコ』にも参加した(タコの2作品が最近、CD化復刻再発されている)。僕がこの年の夏、町田氏と約一年ぶりに再会したのは山崎氏の住んでいた渋谷・宮益坂のマンションであった。この年、僕の身の回りで起きた出来事はまだまだ沢山あり、とても一度に書ききれない程なので、また稿を改めて続けます。
参考リンク
THE FOOLS『いつだってそうさ』1983.8.21@日比谷野音ライブ『天国注射の昼'83』
※00:30過ぎにアップになるサングラスをかけた町田氏、最初客席にいるがステージに上っていい加減なコーラス入れたりアジったりノリノリで飛び入りライブ参加している。他にもじゃがたらの江戸アケミ氏もステージに。この曲はザ・フールズ最高のブギナンバーで、この時はとにかく皆カッコ良かった。
THE FOOLS『空』
※ザ・フールズの90年代のライブから。伊藤耕氏の調子がイマイチだが、この曲は僕のフェイバリット・ナンバー。
石井聰互監督作品・映画『爆裂都市』予告編 ※冒頭、戸井十月氏の運転するバイクのサイドカーに乗っているのが町田氏。
映画『爆裂都市』THE STALIN登場シーン(「マッドスタ―リン」名義)
山本政志監督作品・映画『闇のカーニバル』
※じゃがたらの江戸アケミ氏出演シーン
じゃがたら『Hey Say』
町田町蔵 with 和田哲郎『ボリス・ヴィアンの憤り』
TACO featuring 町田町蔵@日比谷野音ライブ『天国注射の昼'82』
山本政志監督AV作品[『お尻ラプソディー』(別タイトル『タンポンタンゴ』)・その1
↑同作品での町田氏のブッ飛んだいでたちに影響を与えたであろう(笑)米国の前衛ロックミュージシャン・Captain Beefheart:Big Eyed Beans from Venus
同作品・その2