自分史‥とか言って改めて振り返ってみるとイロイロと恥ずかしい思い出がイッパイある。と言うより自分史=恥の歴史と言っても過言ではない(笑)。特に20代の頃はホントに思い出すだけでも顔から火が出る程、赤面してしまうことばかりである。
恥ずべき青春時代(笑)、今回は大学入学の為上京して「大志」ならぬ邪心バリバリだった1981年にタイムスリップしてみる。
まず4月、大学の入学式というのに3月中旬に入学手続きの為上京し、その足で居候していた東急東横線の学芸大学駅界隈の友人宅(アパート)に居座り続けていた。
人の良い友人にもさすがに疎まれ始めた4月中旬、大学の学生部の紹介で最寄り駅が山手線の大塚駅の賃貸アパートに居を定めた。
何故、友人宅に居候し続けていたかと言うと、この友人が希代の遊び人で、当時渋谷のセンター街にあった「ブラックシープ」という俗悪ディスコに毎日のようにナンパに出掛けていて、そのオコボレに預かろうと金魚の糞状態で付いて回っていたからだ(笑)。大塚に居を定めた後も毎週末には学芸大学在住の友人と件のディスコに繰り出し、ナンパ⇒合コンというパターンで遊びほうけ、渋谷と学芸大学を行ったり来たりする自堕落な生活を送っていた(しかし、平日は大学の授業にしっかり出席してはいた)。
ナンパの成果は後一歩の詰めが甘く、首尾よく学芸大学の友人宅に連れ込んでも、結局そこで朝までお互い差し障りのない、健全な(?)語らいの時間を過ごすことが殆どだった。
ナンパ相手の女性陣は短大生、OL、その他素性の解らない家出娘っぽい輩も多々いたが、大体はその後2度と会うこともなかった。
一度、国際興業社のバスガイドさんをナンパした時にはこちらが合コンを持ち掛けると向こうが「何人くらい連れて来たらいい?」というので、「連れて来れるのなら何人でもOKだよ。そっちがその気ならこっち(男)は50人でも100人でも連れて来るから(笑)」といい加減なことを言ってみたりしたが、寮住まいだったそのバスガイドさん達は本気になって「ええ、でも寮に何人か残っていないといけないから‥」とか(笑)。
そんなこんなと受験のプレッシャーから解放され、有頂天になって天国の日々を送っていた6月のある日、その後の僕の人生を決定付ける(今思えば、その後音楽業界に入ってしまう原点でもあった)、大きな出来事があった。
忘れもしない、6月12日(つい最近まで僕の記憶では6月4日だったと思っていたが‥)に当時オープンして間もないライヴハウス目黒・鹿鳴館で観たパンクロックバンド、INU(犬)の解散ライヴである。
このバンド、詳述は避けるが日本のパンクロックの先駆けであり、この年3月に徳間ジャパン・レコードから名作の誉れ高い『メシ喰うな!』でレコード・デビューしていた。実はこのバンド、その前年の1980年に僕が受験浪人中、京都のライヴハウス「サーカス&サーカス」etcで観たことがあり、メンバーの町田氏、西川さんとは何となく顔見知りで、勿論ファンであった。
町田氏は当時町田町蔵と名乗っており(現・町田康)、血気盛んで向こう見ずなパンクロッカーであった(笑)。その後町田氏とは約11年間、1992年まで公私共に腐れ縁のような関係が続き、レコード一枚をディレクションすることにもなった(現在は廃盤扱いだが、ミニアルバム『ほな、どないせぇゆうね』)。ご存知の方も多いかと思うが、この町田氏、2000年に小説『きれぎれ』で第123回芥川賞を受賞してしまう、という笑ってしまうような展開をするのだが‥僕はもう数年、全く交流はない。現在は「ランデブー」なるプロダクションに身を置いて音楽活動をしているとのこと。
※この辺りの事情は僕がアメブロとリンクしてやっているtwitterでフォローし合っている、シナロケの鮎川誠の事務所関係の方や町田氏と因縁浅かぬ、大阪の"Club nu-thing"のオーナーでもある阿木譲氏が閲覧しているかも知れないので、あまりいい加減なことは書けない(笑)
さて、この解散ライヴ‥事前の通告もなくセットリストの全曲終了後に突然町田氏の口から発表された。
ただ、ライヴ開始時からメンバー全員に何か言い知れぬ緊張感が漂っていたことは確かだ。
このライヴ中、特に町田氏と女性ベーシストの西川成子さんのMCが妙に心に突き刺さった。
例えば『おっさんとおばはん』という曲では演奏前に西川さんが「この曲はおっさんとおばさんを馬鹿にしたものではありません」と言って驚かせ、続いて町田氏が「お前ら他人を笑えるか?己を笑え」と脳天気な僕達聴衆全員が凍りつくような一言を放った。
この時、前年に抑圧された受験浪人生活をしていた自分、そこから一気に解放されて享楽的・自堕落な生活を送り始め、何か目的を失して流されていく自分に不意に鉄鎚を落とされたようなショックを受けた。回想すると僕も若いなりに生真面目なところもあったのかとも思える。
町田氏とはこの一年後の1982年8月2日、渋谷の宮益坂にあった某知人宅にて運命的な再会(笑)を果たすことになる。
西川さんとはその後一度もお会いしていないが、町田氏よりもむしろ西川さんの人間としての生真面目さが先のMCという形で鋭いメッセージを発したのだと思う。もっと言えばINUの歌詞を書いていたのは町田氏だが、西川さんの思想信条のようなものが多分に影響を及ぼし、歌詞のテーマにも反映されていたように思う。当時、西川さんは「物を大切にする」重要性を説き=大量消費、使い捨て社会の批判をしていたし、昨今の「足るを知る」キャンペーンの精神を先取りしていたかのようだ。数年前に亡くなられたようだが西川さんはお父さんが有名なドイツ文学者で、立命館大学の教授をされていた。高校は大阪女学院という進学校で、神戸市外国語大学で英米語学科だったように記憶しているが、何故か妹さんもハニー&ザ・コスチュームとか言うパンクロックバンドを結成して(名前からして推して知るべしで、これは鑑賞に耐えないフザケたバンドだったが‥笑)活動していた。あの時代に姉妹共々パンクロックに入れあげたのは厳格な家庭に育った反動だったように思う。その後、町田氏の高校の後輩から西川さんが霊友会という宗教団体で活動していると言う話も聞いて少し心配もしたものだが、ウイキペディアによると西川さんは現在、京都で学習塾を運営していると言う。何だかホッとした。この当時、町田氏と西川さんは恋愛関係にあり、端から見ていても何ともカッコいいカップルだった。僕の中のストイックな部分、何かにつけ羽目を外して弾け切れず、ふと我に帰る真面目(自分で言うな!)さは西川さんと共鳴するものが多々あった。
町田氏は今年49歳になり、西川さんは53歳になる。
光陰矢の如し‥。
では僕にとって運命的な出会いでもあったパンクロックバンドINU(犬)の『おっさんとおばはん』を含むYOUTUBE MIXと、その解散ライヴから一曲"HAMBURGER"。
INU(犬) YOUTUBE MIX
INU-HAMBURGER(1981年6月12日目黒鹿鳴館ライブ)※歌詞がアップされているので是非一読を。その先見性に驚かされるはずだ