前回はヒップホップとの出会いから、このジャンルに深くのめりこむ切っ掛けとなったパブリック・エネミーの登場までの流れを紹介した。
今回はヒップホップがその発展と共にジャンルそのものが細分化され、ヒップホップのジャンル内ジャンルともいうべき新ジャンル、ギャングスタラップについて書いてみたい。
一口にギャングスタラップと言ってもまたこの中でその発生地域や人種その他によってさらに細分化、カテゴリー分けされているので(その呼称も実際はレコード会社や音楽メディアによるマーケティング戦略の一環としてセールスキャッチとしてでっち上げられたものが多い)、その言葉自体何を指すのか定義が曖昧になってしまうが‥ここでは米国西海岸、LA界隈でギャングスタラップが最初に産声を上げた頃のウエストコースト・ギャングスタものについて触れてみたい。
僕にとってギャングスタラップの象徴的存在はLAベースにMCとして活動を始め、その後俳優、作家、音楽プロデューサー、一時期はボディカウント(バラバラ殺人、または切断された遺体の隠語)なるロックバンドも結成して多方面で多才っぷりをいかんなく発揮したアイス‐T、そしてO.G.(Original Gangsta)の異名を持つ本名トレーシー・マーロウその人である。

アイス‐T Wikipedia Data

Ice-T:YOUTUBE MIX (O.G. Original Gangster)

アイス‐Tの名を初めて耳にしたのはショーン・ペン主演、デニス・ホッパー監督という、僕にとってツボにはまりまくりの1988年公開の映画『カラーズ 天使の消えた街』のタイトルトラック"Colors"を提供していたのを知った時だ。
この映画、内容は実在したLAのストリートギャング「クリップス」「ブラッズ」の抗争を描いたもので、ヴァイオレントなテイスト満載の映像感覚は監督のD・ホッパーならではのもので、一見の価値あり。
余談だが、その十数年後日本でも確か東京・池袋から埼玉県一帯での出来事だったか「赤ギャング」「青ギャング」なるストリートギャングの抗争が話題となり、一時メディアで盛んに報道されていたが彼らのチーム結成のアイディアはおそらくこの作品に由来するものであろう。
アイス‐T自身は複雑な家庭環境に育ちながら軍隊でのキャリアを経てダンサー、そしてラッパーとして世に出るわけだが、アイスバーグ・スリムという黒人作家(ポン引きを生業としながら犯罪小説を書いていた一風変わった人物)の作品を愛読し、そこからMCネームを拝借するなどどことなく一筋縄ではいかない、僕好みの捻くれたセンスの持ち主で、それは彼の書くリリックにも如実に反映されている。
またロドニー・キングという黒人青年を拘束するにあたって過剰な暴行を加えたロス市警の警官が無罪になったことを契機として1992年に勃発したロス暴動とほぼ同時期に"Cop Killer"という問題作を発表(ボディカウント名義)するも警察機関を糾弾する、そのリリックがネックとなりリリース元が出荷したCDを回収する騒ぎになった。

Body Count (Ice‐T):Cop Killer.wmv(実際の事件映像を使用したPV)

他にもロックバンドのスレイヤーとコラボした"Disorder"なるロックチューンを映画『ジャッジメントナイト』のサントラ盤に提供したりと、Ice‐Tはデビュー以来常に僕の関心を逸らすことなく世間に話題を提供してきた。
1993年にボディカウント名義で来日したが、渋谷のクラブ・クアトロで行われたショウは残念ながら観に行けなかった。
この時代のことを回想すると(80年代後半)、ヒップホップというジャンルも日本ではまだまだマイナーな存在で、個人的にこうした音楽シーンの動向について情報交換できるのはごく少数の人間しかいなかった。
当時僕が所属していたMUSIC VISIONSという会社は、色んなフィールドの人間が出入りしていた人材の坩堝のようなスペースで、その中に老舗のDJイベント「ロンドンナイト」の仕切りをしていた福田拓也さんという方がいて、彼から情報を仕入れたりしていた。福田さんは当時、やはり「ロンドンナイト」仲間で日本初(?)のヒップホップユニット「タイニーパンクス」のメンバーであった藤原ヒロシ、高木完等とも交流があり、彼ら経由で日本には情報が入ってこない最新のヒップホップ情報に通じていた。
他には当時、音楽雑誌『クロスビート』の編集をやっていた高村立子さんが「(L.L.)クールJ最高!」などと主に東海岸発のヒップホップアクト(もっとはっきり言えばデフジャム・レーベル所属アーティスト)に関して盛り上がっていたが西海岸のラッパーについてはほとんど関心がない様子だった。
90年代に入るまで日本のメディアも西海岸産ヒップホップを大々的に取り上げることはなかったと思う。
音楽業界人にもやはり日本人特有の偏った「本物志向」というものがあり「ヒップホップは、発祥の地であるNY産のものに限る」という志向が強くパブリック・エネミーやクールJ、そしてデビュー時からロックファンの支持もあったビースティー・ボーイズ等ばかりがもてはやされていて、アイス‐Tに目を向ける向きは中でもまた少数派だった。
時代はずっと下るが、個人的にアイス‐Tに関しては面白い思い出がある。
それは十年ほど前に僕が一時体調を崩し、また両親の介護補助の必要もあって静岡県の実家に帰省して間もなくのことである。
昼間、暇な時間を利用して地元にあった学習塾の講師のアルバイトを始めたのだが、そこでヒップホップ好きの生徒(中学2年生)がいて色々と世間話をするようになった。
が、何分田舎なものでヒップホップそのものの認識も東京のヒップホップ好きとは雲泥の差があった。
僕がアイス‐Tを知っているか?と聞くとその生徒は「勿論知ってる」というので、それではとアイス‐Tの楽曲やリリックの話などをし始めると、その生徒ずっと怪訝そうな目をして僕の話を聞いていた。
よくよく聞いてみると彼はなんと本物のアイスティー(飲むアレです)を「知っている」と答えたつもりで、僕が話していたラッパーのアイス‐Tについて等知る由もなかったそうだ(笑)。
で、その生徒にじゃあ、どんなヒップホップ・アーティストを知ってるのか?と聞くと「ドラゴン・アッシュ」とのお答え。
「そうか、今(当時2,000年)、静岡の中学生にとってヒップホップはドラゴン・アッシュなのか(泣)」と思ったものだ。
その翌日、その生徒が「アイス‐T」を聴きたいというので代表作"O.G. Original Gangsta"を聴かせてみると、あっけらかんと「ああ、先生これもヒップホップですね」と軽く流されてしまった(笑)。
そんなこんなとアイス‐Tに関して思いは尽きないが、僕にとって最も思い入れの深いヒップホップアクトである。
そういえばこのアイス‐Tとも縁の深いベテラン・チカノ・ラッパーのキッド・フロスト改めフロストが、いよいよ明後日来日する。
最後に中々読み応えのある、アイス‐Tの自伝を紹介しておく(現在、版元では絶版扱い)。

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