自分史‥といって時系列関係なく色々回想してみると、まずは今現在仕事として取り組んでいるラップ、ヒップホップ関連のことについて書かねばならないだろう。
並行してやっているtwitterでヒップホップネタを書き込んでいたら、すっかりわすれていた昔も出来事も思い出した。
ラップという音楽ジャンルの存在を初めて知ったのは1983年の夏、まだ学生だった頃によく遊びに行っていた新宿の「ツバキハウス」という、パンク・ニューウエイブ系の音楽ばかりかけるディスコ(笑)でヒップホップを扱った『ワイルド・スタイル』というヒップホップ風俗文化を扱った映画の上映会があるというので観に行ったのが最初だった。
噂に聞くヒップホップは「黒人のしゃべくりを打ち込みのオケに乗せたもの」程度のもので、ソウルフルな歌唱力と圧倒的な演奏力を誇る主流黒人音楽の主流、R&Bやブルース等を冒涜するものだとか、正直かなり穿った見方をしていた。
でもなんか流行りそうだし、何でも流行り物は押えてないと気が済まない若気の至りで、内容には全く期待せずに観た。
YOUTUBEにその映画の字幕付き版が上がっているので、興味のある人はチェック(パート9まであるので気になる方はさらにDig It!)。
『ワイルドスタイル』日本語字幕付き 1/9
その時の感想はやっぱりピンとこなかったというか‥70年代にNYのブロンクス界隈で始まったこの新たな音楽スタイルが、後に世界中の音楽シーンを席巻するムーヴメントとなるなど、とても予測できなかった。
MC(ラッパー)、DJ(オケ作り)、ブレイクダンサー、グラフィティ―・アーティスト(壁の落書き人)‥ヒップホップという表現は基本的にこの4者により成立している。
楽器を買ったりスタジオでリハーサルしなければ活動できないバンド形式の音楽を実践するには経済的余裕のない貧しい黒人が、路上でラジカセで流すオケをバックにラップしたり、グループ同士の諍いから喧嘩をする代わりにブレイクダンスの優劣を競ったりする、新しい一つの文化の登場を告げるものでもあった‥が、当時の自分にはそうした重要な要素や意義がとんと理解できなかった。
初めてヒップホップが自分の心に抵抗なくすっと入ってきたのは、1985年にヒップホップのパイオニアであり創始者でもあるアフリカ・バンバータというアーティストが、当時若気の至りでよく聴いていた(同時に飯のタネにもなった)パンクロックのカリスマ、ジョン・ライドンとジャンルの枠を超えて共演した"World
Destructtion"(世界崩壊)という楽曲のPVを観た時だ。
"World Destruction"
当時、米ソ対立がクライマックスを迎え対ソ強硬派のレーガン大統領の度重なる挑発的な言動から核戦争への杞憂も囁かれ始めた頃、そうした世相をヒップホップ、パンクとそれぞれのジャンルを代表するこの二人が徹底的に皮肉ったこのPVを観た時は目から鱗の落ちる思いだった。
その後、本当に皮肉にもレーガンンの強硬路線が功を奏し(?)、ソ連崩壊に至るわけだが‥。
生演奏ではなく「しゃべくり+カラオケ」で成立するヒップホップにかなり抵抗感のあった僕の認識も徐々に変わり始めた頃だ‥そしてその翌年に僕が以後、ヒップホップフリークとなる大きな転機となる、文字通りのキラーチューンが登場する。
その時期方向性を見失ってちょっと落ち目になっていたロックバンド、エアロスミスの1976年のヒット曲"Walk This Way"を蘇生させ(ついでにエアロ本体が人気再燃する切っ掛けにもなった)、またロックファンとヒップホップファンの垣根も取り払うことにもなった、アディダスウェアがトレードマークのNY・クイーンズ出身のヒップホップチーム、ランDMCのこの曲である。
Run DMC & Aerosmith:"Walk This Way"-MTV LIVE
残念ながらYOUTUBEではオリジナルのPVは閲覧不可能の状態になっているのでMTVライヴの映像をアップしたが、当時ロックファンも巻き込んで日本でも大ヒットしたこの曲が後の日本に於けるヒップホップブームの礎となったことは疑いない。
昨今ではリンキン・パークとジェイZの共演など、ロックバンドとラッパーの共演はさして珍しいことではないが、これを最初に、ヴィヴィッドに実現させたのはやはりこのプロジェクトであろう。
そしてその翌年、ヒップホップを通じての社会変革をも視野に入れ、MTV初め自分達が露出するメディア全てにおいて社会的メッセージを発信する「ポリティカル・ラップ」チーム、パブリック・エネミーがデビューを飾り、1988年に歴史的名作"It Takes a Nation of Millions to Hold Us Back"をリリースし、ヒップホップがNY初の単なるサブカルチャーから堂々たる主流文化へと脱皮し、人々の意識を変える社会変革装置ともなりうることも証明した。
Public Enemy:"Don't Believe the Hype"
その中の代表曲"Don't Believe the Hype"「噂を信じるな」―タイトル通り、「メディアの言っていることを鵜呑みにするな」「自分自身で考えろ」とチャックDや他のメンバーから発せられるマシンガンラップは衝撃的だった。
「自分史ヒップホップ編」今回はここまで‥。
並行してやっているtwitterでヒップホップネタを書き込んでいたら、すっかりわすれていた昔も出来事も思い出した。
ラップという音楽ジャンルの存在を初めて知ったのは1983年の夏、まだ学生だった頃によく遊びに行っていた新宿の「ツバキハウス」という、パンク・ニューウエイブ系の音楽ばかりかけるディスコ(笑)でヒップホップを扱った『ワイルド・スタイル』というヒップホップ風俗文化を扱った映画の上映会があるというので観に行ったのが最初だった。
噂に聞くヒップホップは「黒人のしゃべくりを打ち込みのオケに乗せたもの」程度のもので、ソウルフルな歌唱力と圧倒的な演奏力を誇る主流黒人音楽の主流、R&Bやブルース等を冒涜するものだとか、正直かなり穿った見方をしていた。
でもなんか流行りそうだし、何でも流行り物は押えてないと気が済まない若気の至りで、内容には全く期待せずに観た。
YOUTUBEにその映画の字幕付き版が上がっているので、興味のある人はチェック(パート9まであるので気になる方はさらにDig It!)。
『ワイルドスタイル』日本語字幕付き 1/9
その時の感想はやっぱりピンとこなかったというか‥70年代にNYのブロンクス界隈で始まったこの新たな音楽スタイルが、後に世界中の音楽シーンを席巻するムーヴメントとなるなど、とても予測できなかった。
MC(ラッパー)、DJ(オケ作り)、ブレイクダンサー、グラフィティ―・アーティスト(壁の落書き人)‥ヒップホップという表現は基本的にこの4者により成立している。
楽器を買ったりスタジオでリハーサルしなければ活動できないバンド形式の音楽を実践するには経済的余裕のない貧しい黒人が、路上でラジカセで流すオケをバックにラップしたり、グループ同士の諍いから喧嘩をする代わりにブレイクダンスの優劣を競ったりする、新しい一つの文化の登場を告げるものでもあった‥が、当時の自分にはそうした重要な要素や意義がとんと理解できなかった。
初めてヒップホップが自分の心に抵抗なくすっと入ってきたのは、1985年にヒップホップのパイオニアであり創始者でもあるアフリカ・バンバータというアーティストが、当時若気の至りでよく聴いていた(同時に飯のタネにもなった)パンクロックのカリスマ、ジョン・ライドンとジャンルの枠を超えて共演した"World
Destructtion"(世界崩壊)という楽曲のPVを観た時だ。
"World Destruction"
当時、米ソ対立がクライマックスを迎え対ソ強硬派のレーガン大統領の度重なる挑発的な言動から核戦争への杞憂も囁かれ始めた頃、そうした世相をヒップホップ、パンクとそれぞれのジャンルを代表するこの二人が徹底的に皮肉ったこのPVを観た時は目から鱗の落ちる思いだった。
その後、本当に皮肉にもレーガンンの強硬路線が功を奏し(?)、ソ連崩壊に至るわけだが‥。
生演奏ではなく「しゃべくり+カラオケ」で成立するヒップホップにかなり抵抗感のあった僕の認識も徐々に変わり始めた頃だ‥そしてその翌年に僕が以後、ヒップホップフリークとなる大きな転機となる、文字通りのキラーチューンが登場する。
その時期方向性を見失ってちょっと落ち目になっていたロックバンド、エアロスミスの1976年のヒット曲"Walk This Way"を蘇生させ(ついでにエアロ本体が人気再燃する切っ掛けにもなった)、またロックファンとヒップホップファンの垣根も取り払うことにもなった、アディダスウェアがトレードマークのNY・クイーンズ出身のヒップホップチーム、ランDMCのこの曲である。
Run DMC & Aerosmith:"Walk This Way"-MTV LIVE
残念ながらYOUTUBEではオリジナルのPVは閲覧不可能の状態になっているのでMTVライヴの映像をアップしたが、当時ロックファンも巻き込んで日本でも大ヒットしたこの曲が後の日本に於けるヒップホップブームの礎となったことは疑いない。
昨今ではリンキン・パークとジェイZの共演など、ロックバンドとラッパーの共演はさして珍しいことではないが、これを最初に、ヴィヴィッドに実現させたのはやはりこのプロジェクトであろう。
そしてその翌年、ヒップホップを通じての社会変革をも視野に入れ、MTV初め自分達が露出するメディア全てにおいて社会的メッセージを発信する「ポリティカル・ラップ」チーム、パブリック・エネミーがデビューを飾り、1988年に歴史的名作"It Takes a Nation of Millions to Hold Us Back"をリリースし、ヒップホップがNY初の単なるサブカルチャーから堂々たる主流文化へと脱皮し、人々の意識を変える社会変革装置ともなりうることも証明した。
Public Enemy:"Don't Believe the Hype"
その中の代表曲"Don't Believe the Hype"「噂を信じるな」―タイトル通り、「メディアの言っていることを鵜呑みにするな」「自分自身で考えろ」とチャックDや他のメンバーから発せられるマシンガンラップは衝撃的だった。
「自分史ヒップホップ編」今回はここまで‥。