思考の飛躍に任せ、徒然なるまま思うまま書き綴っていこうと決心して始めたブログだが、仕事も含めた雑事に追われるとついつい愚痴りたくもなります。
ずっと以前、業界の大先輩に「重要な打ち合わせ、ミーティングは1日5本まで―それ以上やると集中力が落ちて誤った判断を下す可能性がある。」と諭されたことがあった。
年齢的なものもあるだろうが、やはり今の僕は5本といわず3本が限界だと痛感した。
打ち合わせ1本につき2時間話し込むと2本で6時間、その間1/3が経済的利得‥というかお互いの利益分配をどうするかというカネに関する丁々発止のやり取り。
まあ若い頃は所詮は会社のカネ、しかもバブル崩壊後も10年ほどは業界全体、景気のいい時期の感覚が抜けなくて法人間の交渉事も割とイージーに臨んでいた。
しかし今、僕の置かれている立場はほぼ全額自己資金による新規ビジネスの事業リサーチ、そして音楽業界自体大手もインディーズも訳半世紀ぶりの業態の変化により大転換期を迎えている。
勢いどんな打ち合わせ、意見・情報交換も慎重にならざるを得ない。
そうした打ち合わせが立て込んだ日は、はっきり言って疲れます。
さて疲れた頭を一度シェイクして「自分史探訪」、"The Inner Gates"制作秘話・エピソード回想に取り組んでみると、この20年前の体験は確実に今の自分、現在の自分を取り巻く状況と繋がっている、と感じる。
まず基本的にこの作品のレコーディングに参加してもらったバッキングメンバーのうち、2人が所謂「不慮の事故」で亡くなり(X JAPANのHIDE、COLORのMARRY)、またその2つのバンドメンバーだった者たちも各々その後、
多くは波瀾にとんだ凄絶な人生を歩んでいる。(僕もそのうちの一人かも‥恐らく昨年の夏までは)
このアルバムの主人公、BAKIその人については比較的安定しているほうで、彼の出身母体のバンド、GASTUNK(最初の解散以後、不定期ではあるが現在までに何回か再結成ライヴをしている)の他のメンバーにはとても軽々しくこのブログなどに書けないような体験をしている者もいる。
結局、経済的にであれ社会的(t知名度・影響力)であれ一定の成功を収めると、余程強い精神力でもって自分をガードしていかないと足元を掬われかねないということなのだろう。
そういえば寡聞にして最近まで知らなかったのだが、昨日ブログで取り上げた女子プロレスラーの井上、豊田両選手を輩出した老舗団体「全日本女子プロレス」の経営者だった方も数年前に「不慮の~」で亡くなられている。
こういう言い方をすると何か紋切り型の常套句のようであまり気が進まないのだが、残されたものはそうした不幸を乗り越えて前進していくしかない、これに尽きると思う。
そして本題の"The Inner Gates"、タイトルはその名の通り、「自己の内面への門」―徹底的に自己と向き合うというBAKI発案のコンセプトに則って制作されたものであるが、それはリリックは勿論、サウンド・プロデュースもひっくるめて自身の心の痛みや傷を掘り下げていくということになり、当然内容は明るいものになろうはずがない(笑)。
しかしこの作品の制作時、1989年といえばバブル真っ盛り、株や不動産価格が天井知らずに上昇を続け、そうした資産を抱えた法人等は本業で何もしなくても資産価値上昇の含み益で好決算をたたき出していた時代であった。
大手中小問わず、企業側も黒字決算によって税負担が増すよりはと社内経費は使い放題、そうした社用族のタクシー利用の帰宅が当たり前となり、麻布・六本木で夜タクシーに乗車拒否されるという程、日本中が浮足立っていた。
そんな時、「何か違う。こんな状態がずっと続くわけがない。そんなに世間が浮足立っているのであれば、売れなくてもいい。そうした風潮に冷や水を浴びせるような、思いっ切りシリアスな作品を作ってやろう。」との思いからこの作品のコンセプトが出来上がった。
そしてそうしたコンセプト、プランに、やっと世間で認知され始めたX JAPAN―とりわけ1曲ピアノソロで全面的に作曲を担当してくれたYOSHIKI、何故か自分のスケジュール以上にリハーサルも含め、BAKIとのセッションを優先してレコーディングに取り組んでくれたベーシストのTAIJI、彼らが共鳴してくれたことは非常に意義深い(他にレコーデイング参加してもらった主力メンバーはやはり良かれ悪しかれ報酬―ギャランティーありきの「ビジネス」であった)。
さてあれから22年を経た今、日本はこれから何処へ?