ブログ2回目ということで自分史パート2、今回は僕にとってこれまでの音楽業界歴ベストワークであったBAKIの"The Inner Gates"制作時のあれやこれやのエピソードを回想してみる。
もう一つ、結果としてこのような形で僕にブログ開設の機会を与えて下さった女子プロレスラーの井上貴子選手と女子プロレスというスポーツ・文化ジャンル全般に敬意を表して、僕個人の女子プロレスというジャンルに対する極私的見解(ポップミュージックの魅力とシンクロする部分)なども絡めてブログのテーマとして扱っていきます(ここは丁寧語で)。
さて、まずBAKIというアーティストについて簡単に紹介すると‥
BAKIが本格的に音楽活動をスタートさせたGASTUNKというバンドについてある音楽ファンが思い入れたっぷりに論評しているサイトがあるのでこちらを参照。

ロック好きの行き着く先は‥

2nd "Mother"収録"Counter Clock-Wise"PV(TCR02:30にプロフィールテロップ)

88年12月22日の解散コンサートから"Regina"

"Devil/Geronimo"

一言でいって「抒情性と攻撃性を併せ持つ」ロックバンド(敢えてカテゴライズはしない)だったと思う。
僕は87年に彼らの所属するオフィス"MUSIC VISIONS"に転職し、情報宣伝担当業務に従事していた。
彼らが解散に至る経緯には様々なものがあるが、この年―88年に制作した"Mother"でロックバンドとして当時のメンバーでの一つの極みに到達したことが最大の理由だった。
その後メンバーは自らのバンドを結成したり、新たな音楽的可能性を模索する為に単身渡米したりと各々別の道を歩み始めた。
そこでこのBAKIがバンド解散後、約半年経ってからソロアルバムを制作したいとの要望があり、オフィスもこれを受け入れて僕がそのディレクションを担当することになった。
それまでアシスタント的な立場で音録り―レコーディング、PVシューティング等に立ち会ったことはあったが予算組みから制作全般(録音のみならずパッケージ、販促物制作)、情宣まで取り仕切るのはこれが初めての経験で、至極エキサイトした。
僕にとって「至高体験」なるものがあるとすれば、この作品制作時の体験の数々が(苦もあれば楽もあったが)それに当たると思う。
レコーデイングのバッキング・ミュージシャンには全体のアレンジ等サウンド面での司令塔としてギタリストの大谷令文、DEAD ENDの香川孝博、キーボードに難波弘之etc.熟練の達人と、かねてから純粋にアーティストとしてBAKIを慕っていたX(エックス―X JAPANへ改名以前)のメンバー、Xと同じくビジュアルバンドの元祖であり、この頃大阪から上京してきたCOLORのメンバーetc.参加メンバーの輪がどんどん広がっていった。
ちなみにBAKIを慕うX,COLORのメンバーはリハーサル及び移動などの必要経費以外はノーギャラでOKという条件で快諾していただいた。
僕としてはこの頃の出来事については一部記憶が曖昧なところもあるのだが、今やさすがネット社会‥X JAPANの熱烈なファンが元メンバーのTAIJIの活動軌跡を詳細に追ったものをサイト上にアップしており、そこにこのBAKIとのレコーディング、ライブ、リハーサルの日付までリサーチしているので参照されたい。

TAIJI HISTORY


それでは続きはまた明日!