秋田から帰った翌朝、改札を通ろうとした直前にスマホが震えた。
比喩じゃなく、本当に心臓を掴まれた気がした。

こんな時間に兄嫁からの電話なんて。

「危篤だって、電話が来たんです。すぐ来て下さい!」

状況もよく分からないまま、慌てて家に帰って、最低限の支度だけして新幹線に。

だけど。
車内で受けた電話に、今度は安堵は出来なかった。
兄の亡くなったのを車中で知るなんて。

胆嚢の手術は成功したのに、その後、血圧がうまく上がらなくなってしまったんだと。


そこからの記憶があまりない。

ただ、秋田に着いたら雨が降っていて、病院まで乗ったタクシーの中で、雨を見ながらずっとべそべそ泣いていたことだけ覚えている。

病室では大声で泣いて、夜に泊まったホテルでも、ずっと泣いて泣いて。
途中途中、兄嫁のご両親や、誰かと一緒にいる時こそ、一切のスイッチを切って涙を止めていたけれど、1人になると泣いてばかり。

出てくる言葉は、
なんでいっちゃったんだよー、
まだはやいよー、はやすぎるよー、
なんでなんだよー、
父も母もいなくなって、まだ少ししかたってないのに、やめてよー、ひとりにしないでよー
こんなことばっかり。

そこからの秋田の日々は、なんだか分からないうちに過ぎて行った。

まさか、自分が兄の葬儀でお別れの言葉を言うことになるとは。
これまで生きてきた中で、一番ツラくてしんどい作文だったけど、自分の心を全部伝えようと、頑張った。

火葬場に行く前に、学校で先生をやっていた兄の、職場だった校舎の周りを一回りしようと、車が入って行った時、先生と生徒の皆さんが沢山外に出て来て待っていてくれて。また新たな涙が湧いてきた。

うちに帰ってからしばらくは、明け方になると毎日目が覚めて。

あの明るい星は何だろう、と眺めながら、自分の分からない月や星の話、それも誰もが子供の頃習ったような基礎的なことを、誰にも聞けないから、こっそり兄に聞いていたことを思い出してはまた泣く。

もうこんな話ができる人はいなくなってしまったんだ、と実感する。

ウルトラセブンが好きで、その影響で私も子供の頃からずっと好きで、今年はセブン55周年でいろんな話をしたかったのに、この話ももう永遠に出来なくなっちゃった。

月一の通院の度に、血液検査の結果に凹んだり、ぬか喜んだりしている私の話を聞いてくれる相手もいなくなっちゃった。


同じ嚢胞腎で、透析になってしまっていた兄に、この先の自分の体調への不安を吐き出したり、アドバイスをくれたりしていた人がもういない。。

その一方で。
秋田に移り住んで30年以上、年に一回か二回しかリアルには会っていなくて、LINEやメールで話す事が多かったから、今でも、電話をしたら出るんじゃないか?LINEしたら返事が来るんじゃないか、とさえ思ってしまう。

時間は淡々と過ぎていくけど、ひりひりする気持ちはすぐに顔を出す。
だから、そんな気持ちに毎日フタをしてやり過ごしてる。
そんな毎日なのに。
ふとしたことをきっかけにして、思い出のカサブタが剥がれては、イタタタタ、とココロで泣いている。

いつまでいったらこんな気持ちから解放されるのかな。
もう少し時間がかかっちゃうのかな(涙)。
まだ夢にも出てこない兄。

ツラい。

ツラいです。

乗り越えて行けるだろうか。