前回ブログを書いてから、まただいぶ間が空いてしまいました。。
ちょっと長文になりますが気持ちの整理のためもあって。何とぞご勘弁を、、

秋田にいた兄が亡くなってしまいました。
今年3月に心筋梗塞で入院し、バイパス手術で生還はしたものの、その後は複数回の肺炎で、喉を穴を開けて管を通すなど、思いもよらない事ばかり起こり、月一回面会に行っても声で話すことが出来なかった数ヶ月、、

それでも9月にやっと管が外れることになり、10月14日には(車椅子ではあるけれど)やっと退院!ということが決まって。それはもうみんなで喜んで。

退院したらお祝いに行くよ!と言った私に、兄は一緒にご飯を食べに行こうと言ってくれたので、10月末にダンナと2人で秋田に行くはずでした。

私は10月5日〜11日まで、大好きなミュージシャンの海外遠征に行っていたので、その報告もしたかったし、8月に秋田で撮ったハスの花が、フォトコンで敢闘賞みたいなのになった事を喜んでくれた兄だったので、月末まで展示してあるその写真を一緒に観に行けるかな、とまで思ってた。

なのに。
14日に退院して、自宅で兄嫁の作った手料理を美味しい美味しいと喜んで食べた翌日に、なぜか謎の発熱で病院に再入院。
診察では、胆嚢に石がたくさんあるとのことで、様子が落ち着いたら手術をするとの連絡が。

そして翌日、会社にいた私に夕方電話があり、今日これから手術をすることになりました、と兄嫁が。
取るものもとりあえず、秋田に向かい、その新幹線の中で、手術は無事に終わりましたと連絡があり、デッキで安堵でしゃがみ込みそうになった私だった。
深夜0時に秋田に着いたけど、この時は嬉しくて安心できて、幸せだった。。

翌日、透析のため面会は午後からと言われ、16時に会いに行った。
「お帰り」と言った私に、「ただいま」と言った兄は少しテンションが高くて、せん妄もあるのかな、、と思ったけど、大丈夫そうでこの時も安心してた。

ただ、本当ならこの面会の後に帰ることもできたのだけど、もう一度翌日に面会させてもらってから帰ろうと思い、看護師さんにお願いした。面会時間は14時からなのだけど、10時にOKをもらって翌朝また会った。

翌日の兄は、完全にせん妄が出ていて、話してることも、その時ニュースで盛んにやっていたイスラエルやガザのことを熱心に話す(どこか辻褄は合ってない、、)ので、うーん、、と思ったけど、ふんふんと聞いていた私。

流石に「、、だからバイデンに言ってやったんだよ、」と言われて、?!と思い、
「誰に言ったって?」
「だから、バイデンだよ」
「誰が?」
「オレだよ」

うーん、そうですか、、苦笑
さすがにその後、
「えーっと、私のことは誰だか分かるよね?」
と聞いてしまった。
「分かるよ」と言ってちゃんと私の名を言ったので安心したけど。

そうこうしているうちに、私も帰りの新幹線の時間が迫るので、

「ごめん、バスの時間があるから、今日のところは帰るね」

と言った私に、

「急遽、予定を変更して、もう一泊する事は出来ないの?」

と兄。

とてもびっくりしたけど、
「もうすでに急遽予定を変更して今日まで休みにしてるからさ、今日は帰るよ」

と言ったら

「そっか」

と。

次の日、まさか、まさか亡くなってしまうとはつゆほども思わず、その午後、私は帰って行ったのでした。

あんなふうに言われたんだから、帰らなければ良かった、そうしたら、逝ってしまう前に、自分の言葉で直接、まだ逝くな、早過ぎる、がんばれ!と声を掛けられたはずなのに。
最期に会えたはずなのに、、

、、、ちょっと辛くなってきたので、一旦ここまでにします。