宮崎 駿 「風立ちぬ」(エンディングまで話しています) | P.S. We love movies

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零戦の残骸(フリー素材)
    ↑残骸になった零戦(フリー素材)
お久しぶりです。1年ぶりの投稿になります。少数ながらもブログを覗いてくれる方がいることを知り、嬉しい限りです。
今回は宮崎駿の最後の長編映画と思われる作品である、「風立ちぬ」について話したいと思います。崖の上のポニョを見て、もうジブリ作品は映画館に観に行かないと決めた僕は、「風立ちぬ」をDVDで見ました。個人的にはとても楽しめました。零戦の試験運転のシーンが良かったです!カプローニがCa.60という超大型プロペラ飛行機で大西洋横断を敢行しようとするシーンがすごい好きです。Ca.60が海面から2,3m浮上して大破して、撮ってた記録映像を慌てて処分するカプローニが面白いです。
町山智宏さんの「映画その他ムダ話」によると、宮崎監督が「風立ちぬ」という題名を思いついたのは、福島第1原発がメルトダウンした時らしい。原発が東日本大震災で制御不能になった映像をジブリ・プロダクションで見ていた宮崎監督は、外で木が突風でなびいているのを見て、風立ちぬだ!と思ったそうな。もちろん風立ちぬという題名は堀辰雄の「風立ちぬ」から拝借している訳ですが、「風」とはピカドン(原爆)の爆風だったのです。世界大戦という戦乱の嵐が吹き荒れるなかで、多くの命が掻き消されていくなか、一人の日本人青年がどのようにして生きたかを描く物語を宮崎監督は最後の作品として描きました。
この物語、最初と最後である種の円環構造になっています。冒頭は少年時代の堀越二郎が夢の中で、広い草原でイタリアの航空機開発者カプローニと出会う所から始まります。カプローニはCa.4という爆撃機を送り出しています。「飛行機を製作するのは精々10年だ。まあ、どうせ一機も帰ってこんさ。」とCa.4を見送りながら、カプローニは言います。彼が言った通り、二郎は零戦開発のために10年の月日を費やすことになります。最後も二郎とカプローニの会話となっています。広い草原の中で、二郎が零戦で亡くなった英霊たちを見送りながら「結局一機も帰ってきませんでした。」と言います。するとカプローニは冷笑して「国を滅ぼしたからな。」と返事します。カプローニはまるでこの顛末を最初から知っていたかのようです。実は二郎は物語を通して、実際にカプローニと会うことは遂に一度もありません。実物らしいカプローニが出てくるのは、C.60を飛ばそうとしている場面(これもただの二郎の想像かも)だけです。あとは全部二郎の夢のなかにしか出てきません。夢に出てくるカプローニは一体何者なんでしょうか?彼は二郎にとってある種の飛行機製作のためのモチベーションとして出てきます。カプローニと二郎が二度目、三度目の夢で会合する時、カプローニは「君はピラミッドは好きかね?私はピラミッドのある世界を選んだ。」と言います。「私は美しい飛行機が作りたいです。」と二郎は答えます。カプローニは何を言ってるんでしょう?ピラミッドを作った時代にお前は存在しないでしょっと思ってしまいます。
宮崎監督は声優野村萬斎への演技指導において、「カプローニは二郎にとっての“メフィストフェレス”だ」
と説明しているそうです。メフィストはドイツの詩人であるゲーテの詩劇の「ファウスト」で登場する悪魔の名です。錬金術師である賢者ファウストがこの世の全ての知識、人生の悲哀・快楽を得るために魂と引き換えに悪魔メフィストと契約するという話です(鋼の錬金術師もこの物語の影響をうけてますね)。つまりカプローニは“二郎くん、君は飛行機を作りたい、でも飛行機はこんな時代じゃ恐ろしい兵器になる。それでも作りたいなら、君に心いくまで飛行機を作れる時間をあげよう!でも10年だけだよー、ついでに終わったら君の魂は地獄に連れて行くからね。当然だよね、君の作る飛行機でたくさん死ぬことになるんだから、分かってたことだよね?”と聞いているのです、ピラミッドを例にして。二郎は“それでも僕は美しい飛行機が作りたいんです、たとえ国家に利用される形になろうとも・・魂を売りわたすことになろうとも!”と答えているのです。大量殺りく兵器を忌みしながらも戦闘航空機の美しさを追求する二郎の背理は、戦争を憎みつつも、戦闘機が三度の飯より好きな宮崎駿の抱く矛盾とダブります。零戦開発の際に船体の軽量化を模索する二郎が、「機関銃を取ってしまえば、万事解決なんだけどね。」と冗談っぽく言うシーンで、彼が兵器を一方では軽蔑していることが分かります。

現在保管されている零戦(フリー素材)
 ↑現在保管されている零戦(フリー素材)
宮崎駿は主人公である堀越二郎というキャラクターのモチーフとして、零戦開発者の堀越二郎と「風立ちぬ」の作者である堀辰雄をあげています。二郎の妻、菜穂子が結核にかかり、サナトリウムに行く話は堀辰雄の小説「風立ちぬ」の話をもとにしており、実際の堀越二郎の妻は結核に罹っていません。宮崎監督はこの二人をモチーフとしたことの理由として、「僕はあの時代のなかで堀越二郎、堀辰雄といった人物が大好きなんです、彼らのようなインテリが当時の日本が抱いていた複雑さを最も濃厚に内包していたんじゃないかと思っているんです。」と答えています。また“最近、零戦をある意味で美化するような映画もありますが、どう思いますか?”という質問に対し、「それ(美化すること)が一番楽なんですよ!そういう映画は昔から作られてるんです!そんなことをずっと続けてきたんです、終わらないんですよ、いつまでも零戦に囚われているんです。僕はこの映画を作ることでようやく自分がそういうものから解放された気分がするんです、もう零戦がどうでも良くなりました。」と語っています。これらのインタビューから今回の作品は彼自身の持つ複雑さや矛盾のようなものを戦前、戦中のインテリに重ねたものであることが窺えます。今回の作品が明らかに子供向きの映画ではないのは、宮崎駿という大人の半生がかなり投影されているからかもしれません。否定してもしきれない、どうしても憧れてしまう戦闘機への自身の思い、呪縛そのものを執拗に描いたのではないでしょうか?(作中で二郎が取り憑かれたように飛行機の設計を描いてるように)この映画のあとに突如宮崎駿は長編映画から足を洗うことを発表しましたが、彼自身にとっては至極自然な成り行きだったのだと思います。子供時代からジブリ映画を見てきた僕としては、素直にお疲れ様です、ありがとうございました、貴方の映画が大好きですよと言いたいと思います。


ちなみに、軽井沢のホテルで出てくる謎のドイツ人カストルプ(草をもりもり食べながら、新聞読んでる見るからに怪しい外人)が「ここは魔の山でーす。」とあやしい日本語で言う場面がありますが、これはドイツ小説「魔の山」からの引用です。「魔の山」は主人公が結核に罹り、サナトリウムに療養に行く話ですが、これは菜穂子が結核になり、結局最後はサナトリウムへ単身去ってしまう運命を示唆しています。「魔の山」の結核になる主人公はカストルプという名であり、ここからカストルプというキャラクターを考えたのかもしれません。作中、カストルプは「ここは逃げるには良い場所でーす、日本、国際連盟から抜けた!逃げる。日本、ドイツ、きっとこれから大変なことになる、国滅びる。」と言いますが、ここから分かることは彼自身が何かから逃げていることと、日本やドイツに対して敵対的であることです。その後彼は突然逃げるように車に乗って去ります。カストルプと接触したことで、二郎は軍部の諜報部?の連中に付きまとわれ、三菱重工の上司たちに匿われていましたが、カストルプとは映画評論家の町山さんが言うようにおそらく敵側の諜報員でしょう。
宮崎駿が引退記者会見を開いた際、宮崎監督はこの映画を見た一人の青年の話をしました。「彼(青年)は『最後のシーンで二郎とカプローニが降りていく丘の先を想像すると、とても恐ろしくなった』と言っていました。それを聞いてとてもびっくりしたんですが、そういうことです。」とおしゃってました。なぜそんな話をするんだろうと映画を見るまで思ってましたが、恐らく現代の閉そく感や、政治や社会に対する無力感が戦前の雰囲気に似ていると宮崎監督が思ったからだと今では思います。現代の若者が70年も前に青年だった二郎に対し、これほどリアルに共感し、二郎の行く先に自分たちの行く先を重ねている、そのことを最後に宮崎駿は伝えたかったんじゃないか、そう思ってます。僕らの生きている現在が、実は前の戦争と次の戦争の中間期に過ぎないのかもしれないと。
最後にこの言葉で締めくくろうと思います。「歴史は繰り返す。一度目は悲劇として、二度目は喜劇として。」―カール・マルクス

元ネタ 「町山智宏&切通理作の宮崎駿の世界」 ほとんどここの話を引用、参考にしました
デイ・キャッチ 宮崎 駿×青木 理 「現在の日本・世界情勢に、監督は何を思うのか」
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