「高根城」は河内川が水窪川に合流する地点の自然の地形を利用して築かれました。

15世紀前半にこの地を治めていた「奥山氏」の築城と言われています。

まずは「高根城縄張図」です。

この縄張図の一番左の「城外」から入っていきます!!




この階段を降りた所にある木の橋(写真左上)は当時はなかったそうです。

現在あるこの木橋を歩いていると。。。

大きな堀切と土塁を真横から確認することができます!!

遠江の最北端に位置する高根城は南北朝時代の1414年に
後醍醐天皇の孫を守護する目的で、
地元国人領主「奥山金吾定則」によって築かれたのが始まりとされています。

戦国期に入り今川氏が勢力を伸ばす中、奥山氏は今川氏より知行宛や知行安堵を得ており、
今川氏の武将として組み入れられ、遠江北部の大半を支配下に置いていたそうです。

ところが1560年の桶狭間の戦いの中、今川家当主義元が討たれてしまいます!!
そして北からは甲斐の武田氏が。西からは三河の徳川氏に挟まれてしまいました!!

奥山家内では今川氏にそのまま従うか、武田氏に組みするか、徳川氏に従うか。。。
そんな抗争が勃発します!!

遂に1569年信州遠山郷の遠山土佐守に攻め落とされ、武田氏の配下となりました。

その後遠江北端の武田軍の拠点として整備され改修されました。

発掘調査の結果に基づき、平成13年に復元整備が実施されて、
戦国時代の山城の姿を現代に蘇らせています!!

天守閣なんてとんでもない!!
高根城にある一番大きな建造物はこちらの井楼櫓(せいろうやぐら)!!
逆にリアリティーがあり、当時の感じを思い浮かべることができます。

ここは「三の曲輪」です。
塀ではなく、木枠で囲われているのが「見せる城」というよりも「戦う城」という感じがします。


木の柵列から堀切を見下ろしてみます。

後ろに振り返って見てみると、更に高い所に「ニの曲輪」があります。
昔は三の曲輪のこの手前から二の曲輪まで橋が通っていたそうです。


では三の曲輪からニの曲輪に向いましょう!!
自然の地形を利用しているのがわかりますね('-^*)/
ちなみに今立っている場所は幅1,5mの土橋です。

三の曲輪と二の曲輪の間の堀切です。
この上を通るように橋がかけられていたのですね!!
斜度45°で登るのが大変な造りになっています。

土橋脇にあるこの階段(はしご)を登っていくと二の曲輪があります。
このはしごはとても急で、高所恐怖症の僕は少し怖かったです(´・ω・`)

だって下は崖だし、下界に町が見える高さなんだし!!

二の曲輪に登ってきました!!
三の曲輪から2~3mもの高さから見下ろしてみました('-^*)/!!

トイレを撮ったんじゃないぉ!!
縦堀だぉ(`・ω・´)!!

二の曲輪から本曲輪南下の段の裏虎口の門です!!
簡単な造りをしている門ですが、なんか雰囲気が出ています!!

二の曲輪からはしごを降りて行ってみましょう('-^*)/