大手門から二の丸まで行ったにもかかわらず、

外周を回りたくなって、一回外に出て散策開始いたしました!!


今更ながら「岡崎城」の概要を家康さんの歴史と共にお話しします。


岡崎城は1531年に家康の祖父である「松平清康」によって、

今の地に築城されたそうです。

そして1542年に竹千代(徳川家康)はこの岡崎城にて誕生いたしました!!


しかし!!


竹千代ちゃんは6歳の時に織田信秀(信長の父ちゃん)の人質になり、

8歳の時には今川義元の人質となります。


「人質」と言っても皆さんのイメージする人質とは違います!!

しっかり文武の教育も受け、一人の武将として扱われます。


竹千代ちゃんもしっかり勉強して大きくなって「元康」と改名し、

今川家一門の武将として働くのです!!

もちろん人質の身ですから、まだ岡崎城を居城とはしていません。


しかし!!

1560年の「桶狭間の戦い」により総大将で、

元康さんを人質としていた「今川義元」は「織田信長」の手により討死!!


「あれ!!俺自由なんじゃね!?」と思った元康さんは岡崎城を取り戻し拠点として、

名も「徳川家康」と改名し、天下統一への道を歩み始めるのです!!


絶対この時点で頭の上に「???」が浮いている人の顔が見えるので。。。

一応ね(・∀・)アハハ


徳川家康の名前は。。。

松平竹千代→松平元康→徳川家康ですよ('-^*)/!!


ここは岡崎城内に残る「産湯の井戸」といわれるものがあります。

その名の通り、竹千代ちゃんが誕生する際、

必要な産湯の元である水をここから汲んでいたのですね!!


ここは「胞衣塚(えなづか)」です。

「胞衣(えな)」とは胎盤のことね('-^*)/。

浜松には家康さんの子の「秀康の胞衣塚」がありましたね!!

昔はもっと南の方にあったのをこちらに移設し記念としたそうです。


ってことは井戸と胞衣塚の間にある「坂谷門阯」とある

このあたりで竹千代ちゃんは生まれたのかなぁ(^~^)。。。


ここに建物があって、

肩に紐を巻いて袴を引き上げてタライを持って、

さっきの井戸にセカセカ走る男の人をイメージしてしまいます(・∀・)


話しは戻しまして、

1568年末遠江(静岡県浜松)に侵攻し、翌年曳馬城攻略。

1570年に徳川家康は本拠地を岡崎城から

攻略まもない曳馬城に移し浜松城と改名!!

浜松城を今川家駿府攻略の最前線としました(・ω・)/。


岡崎城を離れた家康さんは、長男の信康を岡崎城主としました。

しかししかし!!

その長男信康は盟友(主?)織田信長からの命により、

1579年に浜松城の北にある「二俣城」にて切腹(ノω・、)!!


その後は徳川家家臣「石川数正」「本多重次」が城代になり、

豊臣家の時代になり「田中吉政」が城主となり、

徳川幕府が開かれると、

本多家、水野家、松平家と家格の高い譜代大名が城主となりました。


本丸南側下の石垣にはコケが生えてて、良い味出してます!!

家康が拡張した岡崎城は、

田中吉政の時代に大規模な城郭の拡張整備を行い、

1592年に城の東・北・西に総延長4.7kmに及ぶ総堀を巡らしました。


城郭の整備に伴って、近くを通る「東海道」が城下に引き入れられて、

1609年には「伝馬町」が出来て、

岡崎は東海道有数の宿場町として繁栄したそうです。


そして1617年「本多康紀」の時に、

三層三階地下一階で東に井戸櫓、南に付櫓をもつ複合天守閣が建ったそうです。


明治維新で城郭の大部分が破壊されてしまいましたが、
堀と石垣が昔の面影を伝えてくれます。。。

そんなパンフレットの文章を書き換えつつ、レッツ天守閣へ(・∀・)!!