新野 左馬助 親矩(にいの さまのすけ ちかのり)

今川義元、氏真と今川家2代に仕えた武士です!!


新野氏は今川氏一族であり、現在の御前崎市新野地区に居住する氏族であった。

親矩も新野新城(舟ケ谷城)の城主として今川氏に出仕していた。

主家今川氏は桶狭間の戦いの後、急速に衰えており、今川氏連枝であった三河の松平元康などの離反が相次ぐ中、親矩は今川氏に忠節を尽くした。

永禄5年(1562年)、同じ遠江国人であった井伊氏の当主直親が小野道好の讒言により、謀叛の嫌疑を掛けられて今川氏真に暗殺された。
親矩は井伊氏の縁戚であったこともあり、直親の正室で井伊家の家督を継いだ直虎や、直親の遺児である直政を保護している。このことは井伊氏の菩提寺、龍潭寺の住職に「井伊氏1000年の歴史で、最大のピンチを救った」と評されている。


その後も主家今川氏の衰退は止まらず、永禄6年(1563年)からは遠江国衆の引馬城主飯尾連竜が犬居城主天野景泰、元景父子、二俣城主松井宗恒らとともに今川氏に謀叛を起こした。

これは遠州錯乱と呼ばれる遠江一国を巻き込んだ謀叛であるが、親矩はこの時も今川方として戦い、三浦正俊、中野直由らとともに討死にした。

死後、左馬武神社に祀られるとともに、幕末になって井伊直中の十男が親矩の子孫木俣守易の養子となった後、新野氏の名跡を再興し新野親良を名乗っている。

(以上WIKIより。。。)


その子孫の方が、我が地元野菜コーナーに納品してくださるとは。。。

もう「こ~んの~!!エロおやじがぁ!!」って言えないじゃん(´・ω・`)。。。

$流雲爽空風流記

歴史学者の「小和田哲夫」先生の講演にも何度か呼ばれているそうですよ!!?
(本人曰く。。。)

ちゃっかりカメラ目線ですし!!

とても陽気で、誰でも受け入れそうなオーラを放つ新野さん!!
これからも元気にエロおやじでいてくださいねd(・∀・)