流雲爽空風流記 流雲爽空風流記
昔懐かしい雰囲気のある小諸。。。

小学生だったか、中学生だったか忘れましたが、その頃国語の授業で受けた「島崎藤村」の「小諸なる古城のほとり。。。」ではじまる「千曲川旅情のうた」だったっけ?の場所に長い年月をかけて、ようやく降り立ちましたよ!!

             流雲爽空風流記
小諸城跡(「懐古園」)に来ました!!

小諸城の起りは、平安時代から鎌倉時代にかけて活躍した小室太郎光兼(木曽義仲の武将)が、現城跡の東側に館を築いたのが始まりといわれています。

またその後、大井光忠という人が小室氏の勢力を抑え「鍋蓋城」という名の城を築き、光忠の子の光為が更に出城として乙女坂城を構えたが、武田信玄の攻略により落城。。。

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武田信玄はこの地が重要である!!と判断し、山本勘助と馬場美濃守信房に命じて築城したのが、現在の小諸城です。

別名「酔月城」といいます。なんか風流を感じる別名です。。。

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ここは小諸城三の門で、国の重要文化財に指定されています。

1742年の小諸城下を襲った大洪水により三の門は流出し、約20年後の昭和年代に再建されて、今に至っています。


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その後武田氏が滅ぼされ、織田信長の家臣の滝川一益、徳川家康の家臣の松平源十郎康国が城主となった。


更にその後、仙石秀久(ゴンベー)が城主となって二の丸・黒門・大手門を建て、その子忠政が三の門・足柄門を建てて、現在の小諸城が完成しました。


更に更にその後、仙石氏が上田へと移封された後の城主は、徳川・松平氏など六氏に変わり、1702年に牧野氏になり10代続きました。

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小諸城の特徴は全国的にも珍しい、城下町より低いところに作られた穴城で、水を用いず、崩れやすい断崖によって堅固な要塞を形成しています。

1871年の廃藩置県で城としての役割を終え、1880年に神社を祀り、懐古園と呼ぶようになりました。

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この石垣は仙石氏の時代のものなんですね。。。

感無量です。。。

ここは二の丸跡横から南丸跡に続く石垣に囲まれた道。。。


さぁ!!いざ!!小諸城へ!!