流雲爽空風流記-地図



今回は現在暮らしている周辺だけど、全国的に有名な合戦である、「三方原の合戦」の跡地を回ってみました。



勉強途中のため、回りきれていない部分が多いですが、お許しください。



と、いうよりも、謎が多く、判明されていない部分が多いのです。(言い訳。。。)



流雲爽空風流記



二俣城を落とした武田信玄率いる武田軍は、二俣城から続く秋葉街道を進軍し、そのまま徳川家康の居城の浜松城に向かった。



篭城する家康は浜松城に武田軍が来ると予測し、篭城策を取ります。



ところが、武田軍は突如進路を転換し、三方原台地に上がってしまいました。



どこから台地に上がったかは判明していません。



数箇所は候補は上がっているらしいのですが、発見はえらい人にお任せいたします。



流雲爽空風流記-馬乗り場



今回は勝手に秋葉道より、そのまま姫街道に入り、台地に上がったと仮定して、進んでみました。


この馬乗り場はいつの馬乗り場だろうか。。?



流雲爽空風流記-標識



姫街道を走っていると、追分付近で道が分かれます。



引佐方面に向かい、「三方原」の土地名の方へ行きます。



よく「みかたがはら」と言いますが、土地の者は「みかたばら」と言います。



流雲爽空風流記-三方原合戦場の碑



国道257号線沿いに、大きな霊園の「三方原霊園」があります。



霊園の一角にこの「三方原古戦場」の碑が立っています。



実際にどこで武田軍:家康軍が衝突した場所がわからないらしく、石碑だけは立てよう!!


と、いうことで、シンボル的にこの霊園に立てたそうです。



流雲爽空風流記-根洗松



三方原霊園より数百メートル北へ進み、ちょっと道を入ると、この辺で合戦が行われたであろう。。。


と、言われている「根洗」という土地があります。



その名前の基になったものが、これ。「根洗松」です。



流雲爽空風流記-碑



ここで武田軍と徳川軍が戦ったのでしょうか。。。



武田軍約3万:徳川軍約1万の総勢4万!!


戦えそうな広大な広さがある土地です。