川崎を「ぶらり」~その三~ | 散歩おじさんの「ぶらりWalk」

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散歩おじさんが街中やら、公園やらを「ぶらり」した様子を載せています(^.^)

このところだんだんと梅の便りが聞かれるようになり、春が待ち遠しい季節になってきましたね(^.^)

さて記事の方は先の週末に「駅からハイキング」で歩きました、川崎を「ぶらり」の続きです!

前回の記事の最後に載せました「小土呂橋跡」から300mあまり進むと、コインパーキングの所に解説板がありました(p_q)
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現在ではその痕跡はありませんが、解説板の所はかつての川崎宿の西側の入り口だったそうで、「見附(京口)」と呼ばれています!

散歩おじさんは宿場内から京方向へ歩みを進めていますので、既に見附を過ぎたこの辺りは宿場を外れて田畑が広がっていたのでしょうかねぇ(?。?)
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宿場の出入り口から更に500mほど進むと「芭蕉の句碑」がありました!
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元禄7(1694)年、芭蕉が故郷伊賀上野へ向かった際、この辺りで見送りに来た弟子たちと別れを惜しみ句を詠みあったのだとか!

そして芭蕉はその年の10月に大阪で亡くなったので、弟子たちにとっては芭蕉との本当の別れの場所になったのだそうですよ(@。@)ナルホド~!

句碑のそばには「投句箱」が用意されていました!
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そういう素養のある方なら、さらさらと句をしたためて投句するところなのでしょうけど、あいにく散歩おじさんにはそんな才能はありませんので箱の写真だけ撮ってきました((^┰^))ゞ テヘヘ

才能の無さを恥じつつ進めば、間もなく京浜急行の「八丁畷」駅前を通過し・・・
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駅の踏切を渡ってすぐに「無縁塚」に到着です!
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この辺りでは江戸時代の人の物と思われる「人骨」多く発見されたそうで、そういう人々を供養するため、昭和9年に地元の人々と川崎市によって建立されたのが「無縁塚」なのだそうです(-人-)

人骨が多く発見される理由としては、川崎宿が震災、大火、洪水、飢饉、疫病などの災害にたびたび見舞われたことが江戸時代の記録でわかっているので、そういう災害で亡くなった身元不明の人々を宿場の外れに埋葬したのではないかと考えられているそうです!

「無縁塚」を後にゴールの川崎駅を目指して歩みを進めますと、だんだんにビル街に入りますよ!
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イメージ 8大部分が旧東海道や川崎宿の史跡だったこの日の立ち寄りスポットとは一転、最後のスポットは近代的なビルの中にある「東芝未来科学館」です(^_-)-☆

つまり江戸時代の史跡から一気に未来へタイムスリップというわけですネ!!
















「東芝未来科学館」はいろんな科学的な体験や実験ができる施設でして、大勢の「良い子」たちが楽しそう学んでいましたよ(^^)
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見ていると実に面白そうで、本音を言うと「良い子」たちを押し退けてでも参加したいくらいだったのですが、そこは大人の分別で我慢しました(^笑^)

そして江戸時代から未来まで見物した散歩おじさんは、川崎駅に到着してこの日の「ぶらり」を終了しました(^^♪
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この度も連載にお付き合いくださったみなさん、ありがとうございました~\( 'ω')/