四柱推命の原理が「洪範五行」と呼ばれた約千年の後、中国は二世記もの長い間、戦国時代に突入します。またそれと時を同じくし、韓・魏・趙など七国が争うなか、互いは相剋関係であるという新しい考え「相剋五行」が当時の陰陽家鄒衍により唱えられました。
木は土に、剋つ
土は水に、
水は火に
火は金に
金は木に。。。
しかし、鄒衍が相剋五行を唱えてから約二百年後の前漢の末期、今度は相剋五行とは反対の「相性五行」(うち二つが助け合う)説が劉向父子によって考え出されます。
※記事内容は本とネットで調べたことのまとめです。