昨日はあめーばで仲良くしてもらってる何人かの人に心配のメールをもらい、本当に感謝してます。
嬉しかったです^-^ありがとうございます!
おかげさまで無事ですv
昨日は地震発生時千葉のお店で事務作業をしていました。
書類がばたばたと落ちてきて巨大な大波に襲われた船に乗ってる感覚・・・・急いで売り場に戻ったら、マネキンやガラスなど備品関係も落ちました。二回目の揺れは一回目より縦に大きく揺れ、立っているのは厳しくお客様含め、スタッフも全員床に手をついて座っている感じになりました。
おさまった時、まず売り場の上にあるディスプレイ関係を全部下におろし、ガラスも落ちにくいように並べなおしました。
それから館の人がお客様に安全確保の指示と、館内放送による状況報告。外にいるより中にいる方が安全ということで、全員が館内にとどまって指示待ちです。
外をのぞくと、支部の旗を持った人の後ろに続いて非難する人の大移動。シャッターの降りた駅に詰め寄せる人たち、館の階段や入口に座り込んで電車再開を待つ人たち、今日避難所に泊まるための防寒着と食糧を買いに走る人たち・・・。まるで映画のワンシーンのような光景でした。
昨日はスタッフ2人と私と男のマネージャーが一緒の場所にいました。早番の子は、親に迎えを頼んでもらい、帰って行きました。男のマネージャーはどうしようと悩んだ末、松戸から練馬まで徒歩で帰っていく決意を固めました。遅番の子も迎えを頼んでいました。
私は家の近くまで6時間ほどかけて歩いて行こうと思いました。歩くのは得意。暗いのも恐くないし、寒さにも強い。
でもスタッフにも親にも危ないからやめて、と止められ(それはそうですよね)断念しました。
そしてお店に泊まることも考えたのですが、一か八かに賭けて、遅番の子の迎えの車に途中まで乗っけてもらい、少しでも家に近づくことにしました。同時に、家に行けるところまででいいから来てと頼みました。
とはいえ迎えも簡単ではありません。土浦を17時半に出た迎えが、20時の段階で松戸まで半分のところしか進めていないっていうお客さん情報をきいて、親に急いでメール。
「今すぐ出発して!」と。ま、うちの親は甘く見ていて結局私のメールの30分後に悠長に出発しましたけど(`д´)
それで見事に家を出て数分で渋滞につかまったっていう・・・・。Σ(´д`。)
21;30お店をしめて、22;00にスタッフの子の迎えの車に乗って、23;00に我孫子に到着しました。
道中新品の自転車に乗ってる人多数発見w今日は自転車屋さんが儲かったはずですww
で、ここからは1人の戦いです。大通りの横でおろしてもらい、さっそく親に電話。
「今から家の方に向かって走って行くから、万が一すれ違ったときのために歩道気にして!」と。
走るために重い荷物をお店に置いてきて、ペットボトルも一本買いました。
我孫子駅から取手駅まで大利根橋を走って県越えしました。普段歩いてるからちょっと慣れているのか、約1・5キロの道のりほとんど止まらず息もあまり切らさず走りきることができました。歩いて帰ればいいのに、って感じですが、早く家に帰りたかったので!
本当は橋を渡ったところあたりで親と合流できるかなって思ったのですがとんでもない・・。
親に電話したらまだまだ遠い場所(・д・;)
もう自分が走った方が早いと判断しました・・・。なのでまた走り出す私。歩いてるより走ってる方が目立つから向こうも見つけやすいだろうというのもありました。
取手駅からまた1キロ半くらい走ったくらいかな、車道に家の車を発見し無事合流しました。
時間で言うと23;40分頃。私が走っていた時間も40分あまりで、意外と早く合流できました。
反対車線は割とスムーズだったので車に乗ってからは早く、24;00頃家に到着。今日中に着いた!!
ただ、気疲れが今も続いています。よくわからない疲労感。
朝早く早番のスタッフから電話があり今朝も電車が止まってるからお店まで着けません。
っていうので色々交通手段を調べたり、館に電話したりしてました。
てか休みにしようよ!!!!!そこまでして営業させるって・・・・。
まだ余震続いてますので恐いです。ニュースを見ると特に津波の影響で多数の犠牲者が出ていて心苦しいあまりです。仙台と盛岡には知り合いがいますから、私も全くの他人ごととは言えず、見守るばかりです。
気持ちにながら、私も余っていたアメGでピグ内の東北地方太平洋沖地震への募金に協力させていただきました。
みなさまも今日もまだ安心はできないので気をつけてお過ごしください。