年末、面白い動画に出会いました。動画内で語るのはAさん。小学生の息子K君のママです。


Aさんが言うに、K君はずーっと、自分の本心のままに生きている。


氣が乗らないことはしない。お世辞を言わない。自分の氣持ちを抑えて皆んなに合わせたりしない。


を徹底している。家でも学校でも。それを間近で見ている親のAさんはハラハラすることも多々(笑)



普段K君は、自分がしてもらいたいことをママにやってもらった時など「ありがとう♪」を素直に言う子。


ところが、親戚の叔母さんが好みでない服をプレゼントしてくれた時などは、チラ見して終わり。「ありがとう」の言葉、なし(笑)


K君には、そのプレゼントが、好みを知った上で、本当に心から用意してくれた物なのか、


「甥っ子に久しぶりに会うし、適当に子ども服でも買ってプレゼントしとくか。」という、とりあえずの気持ちから用意された物なのかが一瞬で分かってしまう。


親としては、頂いた物が氣にいるかどうかにかかわらず「人から何か頂いたら何て言うの?ありがとうでしょ。」と我が子に言いたくなってしまうけれど、


よく考えたら、「ありがとうって言いなさい。」って強要するの、変よね。「ありがとう」って言葉は本来、ハートから感情と共に込み上げてくるものだし。


ありがとう〜♪



K君の話を聞いて思うのは「花束」。私はこれまでの人生で、花束を頂いて嬉しいと感じたことが、一度もない。たった一度も。

そもそも切り花が好きではないので、我が家に花瓶は1つもないから、花束を頂いたら、花瓶の代わりになるものを用意せねばならない。


そして、花が枯れて捨てるまでの間、水替えや水切りなどの手入れを毎日するのは私。面倒でしかない。




「コレを見つけた時、◯◯さんのことを思い出した。◯◯さんにピッタリね♪ プレゼントはコレにしよう♪ コレを◯◯さんにプレゼントするの、楽しみだな〜♪」


そんなふうに、歓送迎会・誕生日・記念日・合格祝いなど、「相手は切り花が好きな人」と知った上で、プレゼントに花束を選んできた人は、どれぐらいいるだろう?


多くの人は、「こうゆう時は花束を渡しておけば格好がつく」という考えで花束を用意しているのでは? 私はそうだった。


それって、心からのプレゼントではないよね。形だけ。「自分は氣がきく人である」という見栄を張りたいだけ。


もちろん、相手が「切り花が大好きで、部屋に花を飾るのが大好きな人」なら、花束をプレゼントしてもいいんです。



K君は、目の前の人が他者を祝っているかのような行動(プレゼント・言葉・笑顔)を取っていても、そこに氣持ちが乗っていないことに、正直に反応する。


その人の行動と心のズレを読み取る(感じる)センサーが常にバッチリで、自分のハートが感じるままに、「NO愛想笑い、NOたてまえ」で生きててカッチョイイ。


K君を見習って「心にもないありがとうは言わない。」を、これから私も実践しよう。


だ、け、ど、


誰かから「とりあえず」という氣持ちが見え見えの物を頂いた時、お礼を言わずチラ見してスルーというのは、私にはできないので、どうしましょうね(笑)


そうだ。そんな時は心にもない「ありがとう」を言うのではなく「すみません」て言うようにしようかな。


「んまぁ〜、わざわざすみませ〜ん。」

*氣持ちが乗っていないのに、手間を取らせてすみませ〜ん。(こらこら。笑)



純粋な子どもに教わることって、たっくさんあるね。子どもパイセン、恐るべし。

(^_^)(^_^)



それではまた。

Sammy