腹が立つ。

12月6日に父が退院した。

特に機能が落ちているわけではないので、日常生活になんら問題はないが、

退院してからというもの、家で何もしない。

身の回りのことすらしない。

自分のことしか考えられない

自分が一番辛いはずだ

といい、1人になることを寂しがり

かと言って自分で治療法を探したり

何か行動に出たりはしない。

話すことといえば、あの治療がいいかも、これがいいかも、という堂々巡り(全て私が調べた治療法や論文を見て言うだけ)。

そしてネガティブ。

人に会おうとしない。

正直、鬱病の再発ではないかと思う。

母もそろそろ限界だ。



父は自分の価値観に対する固執が強い。


それに結局状況を変えようと自分から動かない。できるはずなのに。

そして何かあれば誰かのせいにする。

腫瘍やMRIで白く映る腫瘍予備軍の大半を手術でとって仕舞えば、言語機能が落ちるリスクは避けられない。

最終的にはどう優先順位をつけるかなのに、

手術して機能が無くなったら母や私が困る

という。

自分が怖いだけなのに。



私は日本の男の8割は5歳児だと思っているが、父ももれなくそうたそうだったのだと思う。


自分や相手と真剣に向き合うことが出来ず、
価値観を押し付けるか、価値観の違いだと逃げ、
自分では状況を何も変えようとしない人。


いいことないかなあ、とずっと言っているが、良いことは自分で掴み取るものだ。

自分の人生だ。

自分で決められる状況にあるなら自分の人生を生きてほしいと思う。

厳しいかな。

かつて父とこんなに会話をしたことがあっただろうか、と思うくらい、この2ヶ月半父と会い、話した。


麻酔科の医師で大病院のICUでずっと勤務してきた父は、多忙だった。


朝7時から夜11時まで働き

多い時期は月の1/3当直

休みかと思えば、実は待機で、夜中に呼ばれることもしょっちゅう

思えば、正直、父との思い出はあまりない。

父と母、私で行った家族旅行はあるけれど、それは家族の思い出であって、父との思い出では決してない。

それに3人でいれば、私は自ずと母との会話の方が多くなる。

だから、父とあれしたなあ、これしたなあ、と思い出されることがあまりない。



父と話をしていると、知らなかった父の姿が見える。


入院後父がふと、ママは今の方が好きなことやっていて、魅力的に見えるよね、と言った。

意外だった。


私の母は、結婚後当然のように専業主婦になり、家に不在の多忙な夫を待つ生活をしていたが、そんな生活向いているわけもなく、結婚後10年で外にで始めた。

自分のような女性を支援したいと仲間とNPOを作ってみたり、女性センターの運営に携わったり、社会人大学院生になったりしている。

父にとって、母が活動家兼働くママに転身したことは、大誤算だったのではないか、と私は思っていた。

父は専業主婦と結婚したはずなのに、と思っていると思ってた。

昔より今の方が良いって、素敵なことだと思う。

長い年月を経て変わってゆく関係性の中が、良い方向に向かっているのだとしたら、そんなに素敵なことはないと思うのだ。

父が病気になって、私の知らなかった父の繋がりに気付かされた。


父の高校時代の良き友人(授業を抜け出して遊びに行っていた仲間)が、第一三共で働いていることを知った。

そう、あとG47Δの販売会社だ。

G47Δがいつ発売になるのか、発売したらすぐに使いたいと思い、すぐ父に連絡してもらった。

最初は自分の病気を隠していたが、背に腹は変えられない、何か動いてくれるかもしれない、と打ち明けた。

もうすぐ申請、その後6ヶ月で承認予定。

早く申請するよう社長にまで掛け合ってくれた。



がんセンターの副院長をする父の大学の同級生(父とともにドイツ語を落とし留年した)。

この地域では有名な大学病院の先生のセカンドオピニオンを予約してくれた。

放射線が終わって退院したらその先生が主治医になってくれることになった。



人に弱みを見せることを常に嫌ってきた父。

若くして病気になった自分が恥ずかしいと今でも面会する人を親戚だけにしている。

それでも、自分が死ぬかもしれない、生きる希望を少しでも掴むため、少しずつ心を開いている。

そしてたくさんの人が父が生きられるように力を尽くしてくれている。


父にも良き友人がいてよかったと思った。

そして父が助けてほしいとき勇気を出して助けてって正直に言える人でよかった。


なにより自分の弱さを受け入れることは、強さなのだと私は思う。