わたしが社会に出てから幾度となく思う事。

それは「英語を使えるようになりたい」という事だ。


わたしは英語がほとんど読めないし、話せないし、聞き取れない。

しかし、それで困っていない。

仕事もプライベートも絶対英語が必要な環境ではない。


英語は言語のひとつだ。

言語とは他者とコミュニケーションをとるのに使うものだ。

わたしはまた当たり前の事を考えていた。


わたしは現在、在宅でイラストや漫画の制作を請け負うフリーランスの職についている。

スケジュール管理に失敗し、仕事の無い空白の期間が時たま出てしまい配達のバイトもしているが収入のほとんどは絵を描くことで得ている。


現在に至るまでに幾度か職が変わっており、その中で3Dプリンターの会社に勤めていた事あった。

非常に小さな会社で、わたしは経理・営業・開発助手・社長秘書・各種デザイン、アフターサービスやその他庶務を担う超マルチプレイヤーとして働いていた。

こう書くと、優秀な人物のように思えるが実際は他にやる人間がおらず出来なくてもやるしか無かっただけに他ならない。

当時の名刺には直属の上司である社長の采配によってエグゼクティブアドバイザーならぬクリエイティブアドバイザーという雲を掴むような肩書きが記されていた。


名刺を交換した相手からクリエイティブアドバイザーって何ですか?と聞かれたら「何でも屋です」と答える他無かった。

しかしその何でも屋に任命されたお陰で今フリーランスとしてギリギリやっていけている所があるのでなんとも言えない。


何でも屋は本当に何でも屋で、事務所で社長の昼食の蕎麦を茹でた次の日には営業やアフターサービスの為に国境を越えるべく飛び立つような何でも具合だった。


そう、海外出張も業務の一つだったのだ。

3Dプリンターの営業やアフターサービスのためにわたしはアメリカ、フィリピン、韓国に飛んだ。


もう一度言おう。

わたしは英語がほとんど読めないし、話せないし、聞き取れない。

基本的に通訳者と同行して業務をこなした。


しかしある時のフィリピン出張の事、現地で確保していたはずの通訳者(社長の知り合い)が来られなくなる事態が起きた。

わたしはフィリピンの空港でそれを知り愕然とした。

そのフィリピン出張では、3Dプリンター購入者へのアフターサービスとして現地工場で働く現地人にマシンと付随アプリケーションの使用方法やメンテナンス方法の講習をする講師をしなければならなかった。

現地滞在期間は5日間。


どう考えても不可能だと思った。

業務どころか、現地滞在中の生活すら不可能に思えた。


降り立ったフィリピンの空港で既にわたしは洗礼を受けていた。

あまりの事に尿意を催したわたしが駆け込んだ空港のトイレには、トイレットペーパーが無かったのだ。

トイレの個室内に置いてあるバケツに張った水と手桶が何なのか全くわからない。

これで洗うのか?どうやって?手で?本気か?洗った後はどうするんだ?結局濡れるが?

個室の壁に何か貼ってある。英語だ。読めない。そもそも使用方法かどうかも分からない。

半べそになりながら、奇跡的に持参していた水に溶けるティッシュで事を済ませる。

水に溶けるティッシュだが、過去に韓国に訪れた際に「ペーパーは便器に流さないでね、詰まるから」と言われた経験からフィリピンでも同様の可能性を考えゴミ箱にこっそり捨てた。

それでよかったのか今でもわからない。


トイレを後にしたわたしは腹を括り、手配していた滞在ホテルまでの送迎車を探す。

出張先はフィリピンのセブだったので滞在ホテルはビジネスホテルではなくリゾートホテルにした。

ビジネスホテルは虫が酷いとの噂を聞いていて、今は家に侵入してきた黒い円盤状の虫を素手で叩き潰すわたしであるが、この頃はまだか弱い乙女であったので自腹を切ってでもリゾートにしますと社長に申し立てた所、温情により経費から出すことが許された。

プライベートビーチ付きのコテージ型リゾートホテルだ。

出発前は寒い2月に人の金で行く常夏リゾート地という最強のシチュエーションに浮かれていた。

それがこんなことになるなんて……。


先行きの莫大な不安に呼応するかのように雨が降り始めた。

スコールと言うやつらしかった。

雨などという表現は生温いような、滝の中にいるような降水だった。

かなり大きな屋根の下にいるのに、空気に含まれた水だけで体中がびしょびしょ湿ってド肝を抜かされた。世界、すげぇな。

空港前のタクシー乗り場を見渡すと、英語でわたしの会社の社名を書いた紙を持ったおじさんがいた。

英語だ、とドキドキしながら話しかける。

エクスキューズミー。


「こんにちは、○○さん?」


おじさんの口からは多少片言ではあるが日本語が飛び出した。

幸いにも送迎車のドライバーのおじさんはかなり日本語がお上手だった。歓喜。

早速荷物を積み車に乗り込み、ホテルに向かうことにした。


空港を出てホテルに向かう道すがら、おじさんにホテルまわりで旅行者が安全に食事できる場所や滞在中必要になる施設や店などを色々と教えて貰ったが、そのどれもが日本語には対応していないというわたしには非常に厳しい現実も知った。

ホテル自体も日本語が出来るスタッフはいるが常駐ではないとの事。

半ば絶望しつつ車の窓から眺めた異国の町、いや村、いやなんだここは、スラムか?立ち並ぶ小屋のような家(多分)、その辺に普通にいるやたらでかい野犬、道ゆく車に遠巻きに群がる住民達、そしてなぜか道端でキレッキレのダンスをしている子どもたち。

子どもたちよ、なぜ踊っているんだ。暖かい国だからみんな陽気なんだろうか。

そんなアホなことを考えた。

後年、このアホな認識を人に話したら「それは物乞いの見せ物だろ」と笑われた。

余談だが、この日車窓から見た光景は今でも度々夢に出てくる。


しばらく道を行くと、めちゃくちゃ高い塀に囲まれたエリアに着いた。

「ここです、ホテル着きましたよ」

なるほど、しかし塀が高すぎて中の様子は何も見えない。

どデカい門の前に車が着くと、ホテルの門番がわたし達のためにその門を開いた。

すんげぇ、なんか高級感がヤバい。セレブみてぇ。

車が門の中にするりと入ると、広大な敷地に開放感のあるフロントといくつものコテージ、南国らしい庭園が見え自分の置かれた状況を忘れて一時興奮した。


あずま屋のような開放的なフロントには日本語の話せるお姉さんが居たのでなんなくチェックイン出来た。

お姉さん頼む、5日間ずっと居てくれ。

その願いも虚しく、このお姉さんはこの時以外一度も見なかった。


あてがわれたコテージに案内される道すがら、荷物を運ぶ従業員から英語で何かを話しかけられるがひきつり笑いでソーリー、アイドンスピークイングリッシュと返す他なかった。

その時返されたYou kidding me?という言葉が忘れられない。

からかってなどいない。英語も話せないくせに単身外国に来るなんて冗談だったらどんなに良かったかと思った。



《2に続く》