この当時は今のようにスマホアプリでササッと翻訳して画面を見せれば済むような環境ではなかった。

すでにスマホも翻訳アプリも存在していたが、通信の方が海外使用プランが黎明期でクソ使えない仕様だったため出張時には海外用ガラケーをレンタルして連絡に使っていたのだ。

現地に案内兼通訳者がいると思い余裕こいていたわたしは英会話ハンドブックなども持っておらず、フィリピンの旅行ガイドとスマホにインストールしてあったオフラインでも使える英和・和英辞典以外に何一つ武器を持っていない状態であった。


コテージの部屋に着いたわたしは、せっかくの美しいプライベートビーチを見にいくこともできず、通訳者が寝るはずだったベッドに荷物をドカドカ広げてすぐさま辞書を引き引き講習用の原稿を作ることになった。

本格的な英作文など高校以来してこなかったわたしは細かい文法などすっかり忘れ去っていたが、なんとか簡単な言い回しで伝える方法を考え作文し、当日必要になりそうな英単語を片っ端から調べて一覧表にした。


ウェルカムドリンクの妙な苦味のある何かのフルーツジュース(説明があったようだが当然英語なのでわからなかった)を飲みながら初日の観光予定を全て投げ捨て、ホテルの敷地内を歩いてみることもせず原稿を作り続けた。

出来上がった原稿を英語が使える開発部署の社員に添削して貰うためにメールで送った頃には日がほとんど落ちかけていた。


わたしは日が落ち切る前に少しだけプライベートビーチに足を運ぶことにした。

道中、ハイソな雰囲気の欧米系の外国人から「Hi」やら「How are you?」などと挨拶され、泡を食いながら無理やりに口角を上げてオウム返ししたりなどした。

笑顔で挨拶しないやつは不審者と見なされると以前アメリカに行った時に聞かされていたからだ。


薄闇の中、ひとりで望んだ太陽の沈みゆく人気の少ないビーチはめちゃくちゃに美しく、水上コテージのレストランの電飾が夕暮れのグラデーションにアクセントのように灯り、なんだかセンチメンタルな雰囲気。

逆に心細さが爆発的に募って、わたしはあわや発狂する一歩手前であった。

お腹が空いていたので、記念に適当に何枚か写真を撮りさっさとホテルの外のレストランに向かう事にした。


フロントに鍵を預けに行ったら受付時のお姉さんも他の日本語の出来るスタッフもおらず、英単語とジェスチャーで門の向かいのレストランに行きたい旨を伝える。

なんとか門の外に出て辿り着いたレストランではメニューに書かれた料理が薄らぼんやりとしかわからず、絶対に間違いないと思ったナシゴレンを指さして頼んだら23人前くらいの量のナシゴレンが出てきた。

大量のナシゴレンをかきこみながら、わたしは思った。


「英語が使えるようになりてぇ……


むしろ、なんで中学高校と英語を勉強してきたにも関わらず未だに英語が使えねぇんだ。

出張初日で感じたのは、読み書きはまだマシだが、会話が絶望的に出来ないという事だった。

まず聞き取れない。

耳が慣れてきて、聞き取れても意味がわからない。

雰囲気で意味がわかってきても返事を作文できない。

知ってる文法と単語で作文出来ても発音になれていないので上手く話せない。


相手はこちらがどこの段階でつまづいているのかわからないから色々言い方を変えては困惑している。

わたしはわたしでつまづいている箇所がその時々で違う事もまた何かでつまづいていて伝えられない。

というか自分でも瞬間的に理解出来てない。

ゴチャゴチャして最初に伝えたかった事がなんだったのかすらわからなくなってくる。


大量のナシゴレンを孤独に貪りながら、英語で講習なんてやっぱり不可能だとひどく気が重くなった。

原稿があっても、相手から質問などがあったらちゃんと答えられるだろうか。

ぶっちゃけ、講師として赴く最大の理由はリアルタイムで湧いた疑問に専門知識を持つわたしがその場で答えるためだろう。

移動中や食事中、休憩中など講習内容以外でのコミュニケーションだって諸々必要である。

自分の行動全てにうまく扱えない言語が絡んでくるという、想像するだにとてつもない負荷に目眩がした。


しかし出来なくてもやらなければならないのだ。

気合いを入れなければ負ける、ここで負けると最悪死ぬぞと思った。


今思うと、若さというのはやはりパワーだ。

気力と生きることへの真摯さが今とは比べ物にならなかった。

英語が出来なくても英語しかない場所で1人で過ごすしかないというストレスフルな状況、今なら100%自分以外の誰かの持つ能力になんとか頼れないかという方向性で話が進みそうだが、当時のわたしの若い脳は自分が出来ることを最大限やるしかないと眠らせた領域を開放したのであった。

いわゆる火事場の馬鹿力が発動したのである。


とはいえ、当たり前だがいきなり英語がペラペラになった訳ではない。

火事場で脳がフル稼働してわたしが得たものは高い集中力と柔軟な閃き力、素早い判断力と冴え渡る五感であった。


まず初めに、相手の言葉が音として聞き取れない事が格段に減った。

すると、知らない単語や言い回しがあるからわからないだけの時はそれを相手の表情や身振り手振り、話されている状況や続いた言葉から瞬時に推測するか、推測する要素が足りなければ固執せず聞けるタイミングまでとりあえず保留しておけるようになった。

それだけで見違えるほどヒアリングができるようになった。


こちらから伝える時は、英語力は何一つ変わらないので、文法が間違ってようが単語が間違ってようが気にせずとにかく話しながらオーバーに表情を変え手話のごとき身振り手振りでジェスチャーをした。

常に書くものを持ち、話しながら単語や記号や絵を書いた。

特に伝えたい感情がなければ常に笑顔で楽しそうにしていた。

それは、少しでも好感を持ってもらい、聞いてくれている相手の集中力を興味心で長続きさせる思惑だった。


そうしてフィリピン滞在中、初日を除く4日間を過ごした。

講習は原稿があるので全く滞りなくこなすことが出来た。

やはり質問は沢山されて、専門用語が多くかなり難儀したが手を変え品を変えコミュニケーションすることで何とかなった。

工場の作業員たちと仲良くなりSNSのアカウントを交換したり歓迎会に招かれたが、食べ物が何か当たったのかトイレで嘔吐し胃を壊した。

それでも薬局に行って症状を説明し薬も買う事ができた。


工場を擁する会社の取締役(いつもアロハに短パンとサンダルのおじさん)とも食事をご相伴あずかり邸宅に招かれた。

道中、取締役の運転する車に乗り大きな交差点で信号待ちをしていたらわたしの座る席近くの窓に物売りが来て、抱えているものを近付けて見せてきたのだが、ひよこの入った卵をボイルした食べ物(バロ?バロット?というらしい)がぎっしり入った箱だったため変な声が出てしまった。

好奇心で食べてみようかと思ったが前日に胃を壊していたのでやめておいた。

どんな味がするんだろう、卵っていうかチキンの味なんだろうか。

そのあと着いた富裕層の居住エリアの入口は門番がいる関所みたいになっていて、アロハ着たサンダルのおじさんからの突然のセレブ感に気絶しそうになった。

邸宅に着いた時に出迎えてくれた美しい奥様と黒くてでかいわんわん2匹のセレブ感もまた然り。


仕事が丸々ない日が1日あったので、その日はショッピングモールに出向いた。

特に買うものはなかったがいろいろ眺めて、レストランで中華を食し、スーパーで飲み物を買った。

買い物は大体カードで済ませていたが好奇心でATMを使い現金手に入れそれで払ってみたりした。

警官?らしき人が立っていてスタバのコーヒー飲んでるなーと思いながら横を通ったら普通にライフル銃を持ってたのでビビった。

それと、当時外国に行ったら現地で何故か必ず下着を買っていて、フィリピンでも購入したのだがブラジャーのサイズを測って貰った時に「I think B cup」と言ったら店員のおばさんに「You are A!」とやたらデカい声で指差しながら言われて少し落ち込んだりもした。(海外サイズだとAカップらしいです)


色々起きているが、これら全て英語しか使えない縛りで過ごしている。

いやごめん、嘘をついた。フィリピンには韓国人も多くいて、当時韓国への出張が最も多かったため韓国語に馴染みがあり、多少韓国語も使った。


それでも全部外国語で過ごしたのである。

途中からものを考える時頭の中でも時たま英語を使っていた。


そして訪れた帰国の日、わたしはモーニングバイキングでフロントにダメ元で頼んだらラインナップに加えてくれたわかめの味噌汁を飲みながらこう思った。


《3へ続く》