再度投稿
間違って消しちゃった💦
光復節Tシャツの件
冷静に考えてみましょうの巻
『原爆投下は謝罪しない』
当時原爆投下に関わったアメリカ人
被爆者に言った言葉です
根本的に右翼や嫌韓は怒りをぶつける相手が違います。なぜ原爆投下の件で韓国を責めるのでしょうか。
それに日本の真珠湾攻撃のせいでアメリカは原爆投下に至ったのでアメリカを批判することは間違いなのです
原爆投下の原因は元々日本にあります
当事者が謝罪してないのにバンタンに謝罪しろという日本人は一体どういう了見なのでしょうか
さて、それをこれから掘り下げていきます
バンタンの今回の件で光復節など韓国の歴史について出てきましたね
韓国の歴史は、残念ながら多くの日本人はあまり詳しくないでしょう
バンタンの母国ですからまずはそこからですよね
韓国の歴史を教えてくれたのはウリオッパと
あの金子文子の存在でした
🇰🇷で映画化されましたね
'表に出したくない存在'として
日本の歴史では埋もれていた女性です
彼女の本を読めば朝鮮人への差別がどれだけ悲惨だったかすぐわかると思います
金子文子(1903年~1926年) 紹介
1903年 横浜に生まれる。出生届がだされず就学できなかった。父が家を出て母の妹と同棲、母も男との同居をくり返す。「家財道具を売り、床板をはずして薪にかえた」ほどの貧困な暮しであった。1912年9歳から16歳まで、養女として父方の祖母に迎えられ、朝鮮で生活する。だが、「無籍者」として虐待をうけ食事さえ満足に与えられなかった。朝鮮人のおかみさんから「麦ごはんでよければ」と声をかけられ、「人間の愛」に感動し、日本人が権力を振るい朝鮮人を搾取するさまを目の当たりにする。1919年日本にかえされる直前、3.1独立運動に遭遇する。
1920年17歳で上京。新聞売りや「女給」などで自活しながら苦学する。キリスト教、仏教、社会主義、無政府主義の思想に出会う。22年朴烈と知り合い、雑誌『太い鮮人』を創刊。 23年9月3日、関東大震災の混乱の中逮捕、「治安警察法違反」で予審請求される。26年3月25日、「大逆罪」で死刑判決。のち恩赦により無期懲役に減刑されるが、7月23日獄中にて縊死。「すべての人間は人間であるという、ただ一つの資格によって」「平等」であると確信した文子は、「権力の前に膝を折って生きるよりは、死してあくまで自分の裡に終始」した。23歳であった。
1903年 横浜に生まれる。出生届がだされず就学できなかった。父が家を出て母の妹と同棲、母も男との同居をくり返す。「家財道具を売り、床板をはずして薪にかえた」ほどの貧困な暮しであった。1912年9歳から16歳まで、養女として父方の祖母に迎えられ、朝鮮で生活する。だが、「無籍者」として虐待をうけ食事さえ満足に与えられなかった。朝鮮人のおかみさんから「麦ごはんでよければ」と声をかけられ、「人間の愛」に感動し、日本人が権力を振るい朝鮮人を搾取するさまを目の当たりにする。1919年日本にかえされる直前、3.1独立運動に遭遇する。
1920年17歳で上京。新聞売りや「女給」などで自活しながら苦学する。キリスト教、仏教、社会主義、無政府主義の思想に出会う。22年朴烈と知り合い、雑誌『太い鮮人』を創刊。 23年9月3日、関東大震災の混乱の中逮捕、「治安警察法違反」で予審請求される。26年3月25日、「大逆罪」で死刑判決。のち恩赦により無期懲役に減刑されるが、7月23日獄中にて縊死。「すべての人間は人間であるという、ただ一つの資格によって」「平等」であると確信した文子は、「権力の前に膝を折って生きるよりは、死してあくまで自分の裡に終始」した。23歳であった。
http://www.jca.apc.org/nashinoki-sha/jiyusiri-zu/jiyu1.htm
文子が生きたのは、まさに日本が朝鮮を植民地支配下に置き、普通の日本人は朝鮮人をべっ視、差別し、虫ケラのように思っていた時代であった。その狂気の時代にあって、「左傾」し、朝鮮人のたたかいに共感した文子を理解できる日本人はほとんどいなかった。文子はそうした孤独の中でも、既成の価画観に妥協せず、自已に忠実に生き抜いたのだ。
「いかなる朝鮮人の思想より日本に対する反逆的気分を除き去ることはできないでありましょう。私は大正8年中朝鮮にいて朝鮮の独立騒擾の光景を目撃して、私すら権カヘの反逆気分が起り、朝鮮の方のなさる独立運動を思う時、他人のこととは思い得ぬほどの感激が胸に湧きます」(同・第4回被告人尋問調書)
「いかなる朝鮮人の思想より日本に対する反逆的気分を除き去ることはできないでありましょう。私は大正8年中朝鮮にいて朝鮮の独立騒擾の光景を目撃して、私すら権カヘの反逆気分が起り、朝鮮の方のなさる独立運動を思う時、他人のこととは思い得ぬほどの感激が胸に湧きます」(同・第4回被告人尋問調書)
金子文子は夫、朴烈と共に1923年、関東大震災朝鮮人虐殺事件の国家の責任逃れのため作られた大逆事件の被告にさせられて死刑判決を受けたあと、無期懲役になり、宇都宮刑務所に収監」獄中で、すさまじい転向強要を受けたが、それをきっぱり拒否して、26年獄中で自殺した。
「私はかねて人間の平等ということを深く考えております。人間は人間として平等であらねばなりません。そこには馬鹿もなければ、利口もない。強者もなければ、弱者もない。地上における自然的存在たる人間の価値からいえば、すべての人間は完全に平等であり、したがってすべての人間は、人間であるという、ただ一つの資格によって人間としての生活の権利を完全に、かつ平等に享受すべき筈のものであると信じております」(金子文子・第12回尋問調書)
一切の望みに燃えた私は、苦学をして偉い人間になるのを唯一の目標としていた。が、私は今、はっきりとわかった。今の世では、苦学なんかして偉い人間になれる筈はないということを。いや、そればかりではない。謂うところの偉い人間なんてほどくだらないものはないという事を。人々から偉いといわれる事に何の値打があろう。私は人のために生きているのではない。私は私自身の真の満足と自由とを得なければならないのではないか。私は私自身でなければならぬ。
私はあまりに多く他人の奴隷となりすぎて来た。余りにも多く男のおもちゃにされて来た。私は私自身を生きていなかった。
私は私自身の仕事をしなければならぬ。そうだ、私自身の仕事をだ。しかし、その私自身の仕事とは何であるか。私はそれを知りたい。知ってそれを実行してみたい。
私はあまりに多く他人の奴隷となりすぎて来た。余りにも多く男のおもちゃにされて来た。私は私自身を生きていなかった。
私は私自身の仕事をしなければならぬ。そうだ、私自身の仕事をだ。しかし、その私自身の仕事とは何であるか。私はそれを知りたい。知ってそれを実行してみたい。
金子文子は物的証拠がないにも関わらず死刑判決を受け、政府は理不尽な方法で自らの悪事を隠蔽した
自ら無国籍者として生まれ、貧困、虐待を経験しながらも『人間は平等である』という信念のもと朝鮮人や弱いものに寄り添い権力者に立ち向かった彼女は本当にかっこいいと思いました
最後に
日本が原爆投下によって敗戦国となり
その結果、日本の悲惨な植民地支配から解放された韓国
これは韓国の歴史において切り離すことができないありのままの事実です
それを正当化したり無視して納得しないのであれば冒頭のアメリカ人を思い出してください
自分達の気持ちを理解してくれないことがどれだけ虚しいか十分理解できるはずです
日本は昔から自分の悪事を隠すために
相手を悪者に仕立てあげる癖があります
残念ながら今回はバンタンが悪者に選ばれてしまいました
日本の非を認めない本当に下らない人間たちです
人間は因果応報
善い行いをすれば善い結果が得られ
悪い行いは悪い結果をもたらす
原爆投下も様々な側面から考えなければいけません
かなーり長ーい、重ーい話になりました
韓国は日本にひどいことをされましたが日本の文化をたくさん受け入れています
バンタンが日本に来てくれたり日本語で歌ってくれたり、これは当たり前じゃなくて奇跡なんです
いつか、すべての日本人が正しい歴史を理解して未来思考になれる日が来ればいいなと私は願っています
일본인은 진실을 알고하지 않습니다
나는 일본의 죄를 인정합니다
정말 미안해요…
방탄소년단의 음악을 사랑합니다
일본아미는 당신들을 사랑합니다
일본아미가 지켜줄게요
방탄소년단 앞으로도 응원하고 있어요 힘내세요~
