1話 「アスチルベの宝石」
1人の女の子が2年B組のドアを潜り抜けた。筆で書いた辵部(しんにょう)のような涅色の髪に、誰も踏み入れたことのない素雪のような白い肌、そして一瞬で皆を虜にするオーラのようなものを醸し出した女の子が、30人近くの人間の眼球を操るように全員を釘付けにした。今まで物騒がしかった教室が、機械トラブルで音を無くしたライブのように静まりかえり、実瑠の狂気じみた眠気もその女の子に吸い込まれた。
「東京都から編入しました。大葉桜(おおばさくら)です。よろしくお願いします。」
よくある当たり前の挨拶だが、その声はアロマを焚いたヨガルーム並みに心地よく感じた。とにかく、初日1分でこの学校のマドンナ候補といっても間違いくらい輝いていた。すると担任は教室を見渡し、実瑠の隣である窓側の一番後ろの席を指さした。「席はあそこ。ではよろしく。」
よくある青春ものの、よくある恋愛小説のシチュエーションであり、とても王道な席の位置だったことを脳裏に浮かべた実瑠は、変な期待がバレないように、澄ました顔で、隣に来る桜を目で追いかけた。実瑠と桜は何も声をかける事なく小さくお辞儀をした。すると、席についた桜が実瑠に、
「寝癖すごいですね」
と口に手を置きながら微笑んだ。寝癖をつけて学校に来た自分を恨みながら、微笑む桜が宝石のように実瑠に映った。
これが桜と実瑠のはじめての出会い。このたわいもない事が、実瑠にとっても桜にとっても人生を変える最初の出会いだった。
つづく
1話「アスチルベの宝石」