おおお・・
旅の後・・。怒涛のように用事が入り、更新ができなかった。
オリンピック観戦も忙しい。子供たちは興味があまりなく、Pもニュースや新聞で結果が分かれば良しというタイプだが、おじいちゃん(つまり私の父)と私だけは興奮して応援。
じいちゃんは終日テレビでオリンピックをチェックしているので、「今日の見どころは!」と聞けば、即座にその時間の番組と裏番組の2種類以上の競技の予定を答えることができるまでに・・。
私は訳も分からずにギャーギャー大騒ぎして応援したいだけなので、「水泳の北島は平泳ぎ次は何形の泳ぎで金メダルとったの?クロール?」などと、すっとぼけた質問をして、じいちゃんにあきれられた。
昨日は柔道の塚田の最後まで闘いの姿勢をとり続けた姿に感動し、一人号泣したり石井のコメントで笑ったりと私なりにオリンピックを楽しんでいた。
さて、そんなこんなで少々間が開いてしまいましたが、旅の続きをレポートします。
留萌ニシン番屋編
早朝5時。異常に盛り上がったテンションのまま出発。子供達も車中眠らずに一つ目のポイントで休憩。
留萌 小平町 道の駅「おびら鰊番屋」へ。
特に、ここに必ず立ち寄るといった計画もなく、トイレタイムに立ち寄ったが、まずは北海道の名付け親の「松浦武四郎」の銅像にPが反応。
「おおおお!北海道の名付け親だぞ」
銅像なんてどれも同じようなもんだと思っている私だったが、名付け親と聞くと写真を撮りたくなり撮影。
松浦武四郎像(名づけ中)
三脚を持ってきたので、4人で朝のテレビ「スッキリ」のスッキリポーズをして撮影したり・・。
完全に浮かれた4人は銅像の正面にある旧花田家番屋へ向かう。
旧花田家番屋(鰊番屋)は日本最北端の重要文化財だって!と娘が説明を読んでいた。
「そうか・・最北端なら仕方ないか・・」
今回の旅のテーマは最北端・・。
ほんのトイレタイムで立ち寄ったつもりだったが、「最北端」と名の付くものはチェックしておかねば・・と、見学することになったのだった。
ここで、漁夫150名他、船大工、鍛冶屋など総勢200名が生活していたとあって中はとても広い。
寝台から撮影した居間
これだけの規模の建物。当時はさぞかし大量ににしんが採れたんだろうなと想像することができる。
親方の部屋、帳場なども面白い。特に客間や仏間など・・奥の方は漁夫たちの生活スペースとは完全に分かれていて、使う食器も明らかに豪華なものだった。どの部屋もあり見ごたえがあった。
しかしデジカメを息子に好き勝手に撮影していいよと持たせたが、とんでもないものばかりを撮影。
・番屋の修復を行う際に土中から出てきたという観音像。囲炉裏の横に祀られていたが、その観音像を撮影。
・花田家の肖像画
・仏壇
・神棚
・ふすま
など・・迫力もあり、見たこともないものだからを思って撮影したのだろうが、カメラで撮影するのはちょっと・・戸惑うものばかりを撮影している。
こういうものは撮影しちゃだめだよと言っておけば良かったね・・とPに言おうとしたが、Pのカメラはカメラで、客間の下にいる「縁の下の力持ちクン像」(勝手に命名)や陶器できた便器の写真、金庫など、こちらも「なんでこれを?」というものを撮影していた。
縁の下の力持ちクン像
便器その1
↑
便器その2
金庫
・・・。
この他にも当時の船の模型がたくさんあったり、魚場道具、生活用品などの展示物も興味深いものが多く、予想外に充実した館内だった。
お土産も充実していて、まだまだ先はあるというのに、思わず「にしんの燻製」を買う。
記念撮影したり、変なものを撮ったり、お土産を買ったり・・。
まずい・・時間がかかりすぎた・・。
留萌から海岸線を北上する「オロロンライン」と呼ばれる国道は、高速なみの速度で流れる長い長い道だ。
まだまだ先は長い。
いや。まだスタートラインに立った状態だ。
それだというのに、見学を終えてここを出たのが10時すぎ。
オレの予定では昼に稚内につくはずだったんだけな~。予想外に面白かったからな~・・と、ひきつった笑顔のPがいた。
「そうだ日帰りだった・・。まずは最北端を目指さねば、帰ってこれなくなる・・。もう、どこにも引っかかりませんように・・。」
と、気持ちを引き締めて車に乗り込んだ私たちだったが、その後もまんまと引っ掛かってしまうのだった。
天塩しじみ編へ続く・・
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