子供が小さかった時はブログのネタに困らなかったな~と思うこの頃・・。


お久しぶりにリターンズものです。


「向かって左」シリーズを題したのは、2日に渡って日記に書いているからです。最初は子供のいい間違いの話だったのが、いつの間にか、Pと熱く討論する展開になっています。


では一日目から・・・・


ハッツにゴッツ  2004年3月8日


息子にはどうしても覚えられないことがある。日にちの読み方と数の数え方だ。

国語の宿題で本の読み取りがある。
たぬきは「ニつ」の目玉をキョロキョロさせて~と読むところの「二つ」がどうしても「ふたつ」とすらすら思い出して読めない。
「ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ、」と続けていうと思い出せるのだがいきなり2や5の数え方を聞かれると分からなくなってしまう。

「あ~(ふたつ)かぁ・・・。うん。分かった。」というので「じゃあ、5はなんて数えるの?」と聞くと


「・・・・・・・・・・・。ごっつ」と、にやけた顔で答えた。


頭がくらくらしたが、いやな予感がしたので、続けて「じゃあ、8は?」と聞くと


「・・・・・・・・・・・・・・・。はっつ」と息子は答えた。


「うーーーーん。はっつもごっつも間違っているよね」と自分の間違いには気がついているらしい。それだけが救いだ。

日にちの読み方もよく忘れる。「ついたち、ふつか、・・・・よっかにようか、はつか」まで。

まあ、覚えればなんてことはないけど、私も「むかって左」の意味が何度、教えられても分からなかった思い出がある。

なんで「ムカッテ左」と右は同じなのか?なぜ向かい合うと左手は右側に変化するのか?というか、どうなっていたのか当時の私の頭?

小学校1年生の時は「ハタチ」の意味が何歳かわからず、「私のお母さんはハタチだよ」と言った記憶がある。きっと脳みそが覚える気になれないのだろう。この母にしてこの息子なのかもしれない。

覚えるまでには先が長そうだが、気長に覚えさせるように努力しようっと。でも間違っても「ウチのおかあさんはハタチだよ」なんて事は言わせないようにしなければ・・・。



続けて二日目の日記をどうぞ。


続・向かって左 2004年3月10日


昨日の日記で向かって左側の話を書いたが、それをPがそれを読んで、向かって左、向かって右について夜寝る前に真剣に話し合ってしまった。

Pは向かって左とはつまり向かう方向に向かってに左、つまりただの左側と同じだよ。
(書いているだけでもややこしい)

と説明してくれたが、私は「それは分かるけど、もし向こう側の人から見ると、こっちは左でも右だよね。と言ったら、


「いや、向こう側に人なんていない」と言う。

少しムカッとしたので「なんで断言できるの?人がいないなんていえるの!」というと、

「百歩譲って、向こう側が舞台で、舞台の役者さんからみれば向かって左は右ってことだな」なんて言う。

第一、「向かって左」とただの「左」が同じというなら、「向かって左」という言葉はそもそも必要ないでしょ。というと、Pは吹きだしそうになりながらも、「そんな事を言う人はあんたしかいないよ」と言う。

私からすれば「向かって左」の向こう側には人がいない。なんて人はあんたしかいないよ。といいたい。
二人とも自分の意見をいうばかりなので、ばかばかしいから寝ようという事になった。

しかし、書いているだけでもややこしい。私は間違っているのだろうか。結局大人になった今でも「向かって左」の意味がわかっていないのだろうか?

地下鉄から降りて、アナウンスが「向かって左側の黄色い階段を~」なんて聞くとじゃあ反対側から見た人は右側の階段なのかな?なんて混乱する私なのだ。こんな大人がいてもいいのだろうか?


あれ?

子供が小さいからという事には関係がないネタだったか。

今でも「向かって左」については完全に納得できていませんが、世の中全部を納得して生きたら、それも寂しいなと思うので、あやふやなままにしておこうと思います。

う~ん。

こんな風に考えるようになったのも、大人になったんだろう。

ん?