昨日は私の母の13回忌だった。


もう12年もたったのか~!


そうか~。私の母は私の負けず劣らず面白い人だった。そして料理好きだった。料理にかける情熱は半端なものではなかった。


私はよく友人に面白いね~と言われる事があるが、考えてみればこれは間違いなく母のDNAを受け継いだものだと思う。


料理の方はまだまだ母を超えられていないが、毎度ブログでおかしな事を世間に公表するようになったので面白さでは超えられたと思っている。


今日は、そんな母を偲んで、母の面白エピソードを書こうと思う。



状況


父と私と母の3人家族。私は小学生くらい

週末の夕飯時。


父と私はTVを見て夕飯が出来るのを待っていた。


母は得意の手作り餃子を作っている最中の出来事。


ご飯や味噌汁、副菜などもテーブルに乗り、箸も並べ終わる。後は焼きたての餃子を皿に乗せるだけ。


ジュージューDASH!


我が家の餃子は片面のみカリッと焼き、その後小麦粉を溶いた水を流し込み、フタをして蒸し焼きにするオーソドックスな作り方だったが、とても美味い。母が湯気が立ち込める中で焼き上げる餃子は本当に大好きだったのを覚えている。


父&私「おいしそ~~~~~~!早く焼けないかな~~~」


母「ちょっと待ってて~!すぐに蒸し焼きにするから・・・」とここで小麦粉水を注ぐ。


母「!!???フタは?フタがない!フタどこ?」


慌てる母。


何も出来ない小学生の私と父。


母「いや~~~~!もうフタをしてすぐに出来上がりなのにフタが・・フタがないのよ!!!」(半泣きで絶叫)


何も出来ない私&父「大丈夫?」


「フター!!!」

母「ええい!このフタでいい!!!」


・・と、とっさに使ったフタが土鍋のフタだった。



母「あ~良かった。このタイミングでフタをしないと仕上げられないもの(^_^)v」


・・・と母が安心したのもつかの間、また母の絶叫が聞こえる。




母「フタが取れないわー(((( ;°Д°))))」

母「フタがどうしても開かないのよ~!」


フライパンに土鍋のフタをして、圧力が掛かったらしく、どうしてもフタが開かなくなってしまった。


すると父は

「どれ!お父さんが開けてあげるから大丈夫!」

・・と軽く考えてフタを開けてみたが、男の力でもフタは全く開かないのだった。


父はすぐにあきらめ・・

「もう、餃子なしで食べようや!」と言うと・・母は・・・


「絶対にいや!もうフタを開ければ食べられるっていうのに!なんでこういう事になっちゃうのよ~~~~~!!!・°・(ノД`)・°・(絶叫)」


そんなに落ち込まなくても別のおかずで食べりゃいいじゃん!と私も父の意見に心の中では賛同していたが、母の餃子を家族に食わせたい!という気迫に二人とも何も言えずにいたのだった。


すると母は何を思ったか土鍋のフタをしたフライパンを持ってベランダに行く


私&父「!?え!そこまで思いつめなくても!Σ(・ω・;|||」

(まさか・・・餃子が完成しなかったくらいで・・早まるな!)


と一瞬驚いたが、母はにっこり笑って


母「こうなったらフタをカチ割ってやるわ~い゛(`ヘ´#)」


といいながらハンマーを持ち出して・・・


「どりゃ~~~~~~ヾ(。`Д´。)ノ」


・・・と土鍋のフタをカチ割った。


私&父「・・・・( ̄□ ̄;)!!」


まさかとは思ったが、母は本当に土鍋のフタをカチ割った。


母「ふん!フタ割ったわ!開いた!開いた!開けてやったわ( ̄▽ ̄)=3」と大満足。


当然、こっぱみじんに砕けた土鍋のかけらが入っている餃子は一つも食べられなかった。

でも、もう食べられたか食べられなかったかは全く関係ないのだ。


母は土鍋のフタに勝ったのだ!:*:・( ̄∀ ̄)・:*:


後から落ち着いて考えると自分でもなんであんな事をしたのか分からなかったらしい。

冷えるのを待てば良かったものを、夕飯に間に合わせようとした焦りからそんな行動にでたと言っていた。その時の事を思い出しては家族で大笑いしていた。


母はこのエピソードを大変気に入っていて、友人にこの自虐ネタをしては大笑いさせていたらしい。母の葬儀の弔辞でこのエピソードを母の友人の方は話していた。


自分の葬儀でこのネタを話してもらって、母もうれしかったに違いない。



そして12年経って私も確実に母と同じような失敗を毎日繰り返しているのだった。

どこかで私の失敗をみて笑っているんだろうか?


面白さで本当に母を超えられただろうか?