脳死を人の死としていいのだろうか・・・


臓器不足と嘆くことの意味するものは・・・


今日は昨日よりつっこんでる部分のお話をまとめてみた。正直、小松先生が教えてくださらなければ、自分ではとうてい想像できないものばかりだ。



・「脳死=人の死」とする倫理とその批判的検討

 大前提として、人の死=有機的統合性の崩壊

          有機的統合性の無二の司令塔=脳

          すなわち、脳死=人の死 である。

 これに対して検討する。

 1:脳死判定基準・・・脳波の測定などをするのだが、測る場所によって脳波が感じ      とれない場合もある。

 2:ラザロ兆候・・・脳死患者の、おどろくほどになめらかで、意識があるように感じとれる四肢の動き。今でもあの映像は目にやきついている・・・

 3:臓器摘出時の対処・・・血圧・脈拍の急上昇により、激しい動きがみられるので、提供者に麻酔や筋肉弛緩剤を投与。

 4:長期生存脳死者の存在・・・最高は21年。死後解剖は、驚くことに脳の神経細胞や、脳幹構造は完全に消失していた。それなのにいきていた。



 これらのことをふまえると、脳=有機統合性の無二の司令塔 ということは覆される。そう、ホメオスタシス、免疫反応、自然治癒、エネルギー代謝、などは脳に統御されていないのである。実際に、講演会のVTRでみた、脳死患者の子は、汗もかいているし、爪だって伸びている。

 はたして、このような反応をしめす脳死患者を、死者としてみとめることができるのだろうか。


 もし、自分のかけがえの無い人が、ある日脳死状態になり、

汗をふいてあげたり・・・

爪を切ってあげることもできる・・・

いきなりなめらかに手足を動かしたりしたり・・・

目の前で動いているのに・・・



その人は死んでいる



そんなこと、認められるだろうか



きっと、自分はできない・・・



臓器不足を嘆いている。


世界中で、新しい臓器があれば延命することができる命がある・・・


でも、その命のために、


同じ世界に生まれた、同じ重さの命が、死者として認められることになる


去年決まった日本の臓器移植法は、上記にもあるような、動きをみせたりもする脳死者を




一律に死、とみなすのだ。


(臓器移植の場合のみ)


ものごとには多面性がある。


この臓器移植法の改定により、あらたに何が問題となるのか、しっかり考え、うけとめなくてはならない。


夜空きらきら!!Heal the world.

Make it a better place for you and me and the entire human race.

There are people dying if you care enough for the living.

Make a better place for you and for me.