あけましておめでとうございます。

ずいぶん長らく更新してませんでした。。。

すみませんチーン

 

 

毎日寒いですね。

お休み2日目だったワタシは、1日寝てましたよ(笑)

 

なんて自堕落な生活!

こんな実情も夕飯時に旦那に報告する我が家です(笑)

 

うちの父親が知ったら怒り狂って頭の血管切れるかもしれないなぁ。。。

 

ワタシの両親は、ワタシたち夫婦とは全然違う夫婦です。

父親は九州出身の長男教地域で育った長男。

母は転勤族だった祖父母に連れられて、あちこちでいろいろな価値観の中で育った次女。

恋愛結婚だったっていうので、なんでそうなったのか小一時間ほど母を問い詰めたい。

 

父親は亭主関白(ワガママ)で某有名家電メーカー勤務、母は良妻賢母の専業主婦。

※あくまでもそこに生まれ育ったワタシの感想です。 育ててくれたことに感謝はしています。

そんな両親の長女として生まれました。

 

父親は営業マンで、祖父母と同じように転勤族。

小さい頃からいろんなところに引っ越ししながら育ちました。

幼稚園は年少、年中、年長の3年間で4ヵ所。

小学校は3ヵ所、中学校は2ヵ所。

高校生になって初めて、入学式と卒業式を同じ体育館で行うことができました。

 

弟は年子で、だいたい通っていたところは同じ。

妹はワタシが年中のころに生まれたのですが、その時住んでいたところには半年しかいませんでした。

母は、妊娠中(安定期に入ったくらい?)に引っ越しをし、妹を産んで首が据わる前にまた引っ越し・・・。

しかも、ワタシと弟は5歳と4歳。

手伝うどころか、母からしたら目も離せない年齢。。。

父親は早朝に出勤し、帰ってくるのは真夜中。

育児は母が一手に引き受けていた状態でした。

まぁ、いまのように男性が育児参加することなど一般的ではなかった時代だったとはいえ・・・。

母は大変だったろうなぁ、と思います。

 

ワタシたち家族にとって、父親は絶対的な存在でした。

平日は母と子どもたちだけで夕飯まで済ませましたが、週末は父親が居たため、たくさんの制約がありました。

 

・土日祝日は遊びに行ってはならない(ほかのうちもお父さんが休んでいるから)

・父親が家にいる時には騒いではいけない(お父さんは仕事で疲れているから)

・食事は必ず家族そろって食べる(週末くらいしかそろわないから)

・食事の際、父親が箸をつけていないさらには手を付けてはいけない(Why?とっとと食え)

・父親がリビングにいる時には子ども部屋に籠ってはいけない(Why?!会話もないのに)

好き嫌いは自分で稼ぐようになってから(あーはいはい)

等々・・・。

 

ちなみに、平日の門限は17時。(この門限は原則20歳になるまで続きました)

平日は夕方に父親が帰ってくることはまずなかったのですが、たまに早く帰ってきたりするときには、母が慌てて呼びに来てくれたりしました(笑)

 

父親はことあるごとに母やワタシたちを怒鳴っていました。

罵倒というんですかねぇ。

バカ、グズが多用されてましたね。

もちろん?張り倒されることもしばしば。(これはワタシと弟だけ)

 

あとは、さんざん怒った後に「反省して来い!」です。

この「反省して来い」=「誰もいない部屋で目をつぶって正座しとけ」です。

この正座は父親がもういいというまで続きました。

短くても1時間。

最長は3時間くらいだったかなぁ・・・。

子どものころの感覚なのでよくわかりませんが、長かった~。

真夏に蒸した部屋で、真冬にキンと冷えた部屋で。

身動きすることもできず、ひたすら「もういい」と言われるまで耐える。

 

でも、幼稚園児や小学生が長時間正座をさせられて、

「あぁ、自分のこういうところが悪かったなぁ・・・。お父さんはこういうことを教えようとして怒ったんだな」

なんて反省するはずもなくww

 

目をつぶって正座をしながら思うことは、

「あ~、足しびれてきた」

「今日はどのくらいで終わるかな」

「なにを反省したんだ!って言われたらなんて言おうかな」

「失敗したな」

「お父さん機嫌悪いな。今日まだ土曜日なのに・・・」

「あ~、お母さんが困ってるっぽい」

くらいなもんです。

 

だって、当時のワタシからしたら、「なんで怒られてるのか」わからないから。

父親が行儀のことや約束を破ったことなどで怒るのならまだわかる。

でも、怒られるのはたいてい「父親の機嫌を損ねた時」だったから。

 

いまは大人になったので、「いやいや、ちょい待てぇい!」と思えますが、子どものころのワタシにとって父親はひたすら怖い人でした。

逆らってはいけない人、かな。

常に父親の顔色を母が、ワタシが、弟妹が、うかがっている環境で育ちました。

世の中ってそういうもんだと思っていました。

 

時は流れて、ワタシ18歳。

高校生になったワタシは、とにかく実家を出たくて!(笑)

高校3年間のうち2年間は、父親が単身赴任していたので割りと自由な高校生活を送りましたが、高校卒業の少し前に父親が帰ってくることになっていました。

高校1年生のころから、母方の祖母や伯母が住んでいる地域の看護学校への進学を公言しており、オープンキャンパスも学校見学もそこ一択!

ワタシの実家と、母の実家は新幹線で半日の距離だったので、高校卒業したら絶対そこに行く!!と決めていました。

ワタシは高校で生徒会に2年間所属、うち1年は生徒会長。

文化部ではありましたが、部活にも3年間所属し、部長もやったし、クラスではクラス委員も兼任していたので、正直なところ内申点は問題なし。

成績も全体の上の中くらい。(成績が落ちたら生徒会を辞めさせると言われていたため)

学校からは大学受験も進められましたが、とにかく早く家を出て、1年でも早く自立して自由になりたかった。

 

4年も(恩着せられながら、行きたくもない)大学に行くなんてとんでもない!!

 

と本気で思ってました。

 

が!

 

ここでも父親から物言いがつきます。

 

父「大学に行け。ただし、公立でのところに行け。私立だったら奨学金を取れ」

私「・・・は?」

 

なに言ってんだこのじじぃ。。。

と思いましたが、とりあえずその理由を聞いてみると、とってもどうでもいい理由でした。

 

要約すると、「父親は高卒で就職したため、後から入ってきた若い大卒組にどんどん出世を追い抜かされた。学歴は大事。だから大学に行け」ということらしい。

 

はい、どーでもいい。

 

ワタシはサラリーマンになりたいわけじゃないし、看護師にだって専門卒も大卒もいるだろうけど、現場に出たら実力勝負じゃん。

そもそも、看護師になって出世することが目標じゃないし。

ワタシは正看護師の資格を取って、ひとりでも生きていける人生を手に入れたいの。

旦那の稼ぎに頼って、旦那の顔色うかがって生きていくのは嫌なの!

お前の学歴コンプレックスなんて知ったことか~!!ムキー

 

と言ったわけではありませんが(笑)、断固として大学受験を拒否!

無事、希望の専門学校に合格し、実家を出ました。

 

まぁ、ワタシも若さゆえにだいぶとんがってたけど・・・。

こんだけ偉そうなこと言っといて、専門学校3年間はガツガツすねかじりましたけどねてへぺろ

 

長くなったうえに、まだまだまだまだまだまだまだまだいろんなことはあったんですが、そんなこんなで社会人になりました。

 

大人になって、きょうだいで子どものころの話をすると、弟も妹も苦笑します。

弟は長男としてのプレッシャーをかけられ続け、最終的に右から左に受け流すスキルを身に着けたそうです。

妹は、「は?知らん」という強力なシャッターを耳とメンタルに装備していると。

 

「お姉ちゃんくらいじゃない?正面から戦うの」

 

と妹に笑われる長女がワタシですww

たぶん、父親の気質を一番色濃く受け継いでいるのはワタシだと思います。

大人になって、自立してからは「イヤなもんは絶対にイヤ!!シャーーー!!(威嚇)ムキー」と父親とぶつかることも増えました。。。

母とは昔よりも本音で話せることが増えて、大人同士の良い関係を築けていると思います。

 

結婚して、自分が妻になって、母の苦労がより身近になった気がします。

そして、申し訳ないとは思いますが、自分が育ったような家庭は作りたくないと思ってしまうのです。

 

ワタシが旦那に求めるのは、経済力でも強さでもなく、パートナーシップ。

夫と妻、父と母が対等に協力しながら生活できる家庭。

いまのところ、意見交換も、家事協力もしながら生活できているので、心穏やかに暮らしています。

 

いろんな家庭があるんだな、と知れば知るほどうなづくばかりのワタシです。