先日、横浜に行ってきた。
山下公園、赤レンガなど定番も行ったけど
一番のメインは
日本新聞博物館!!!(笑)
名前からして、一見地味な印象を受けますが、
学びが多く、何気に面白い博物館だった。
下記学んだことをまとめました。
大きく2点、新聞の歴史と新聞広告の歴史です。
①新聞の歴史
まず新聞の誕生は
江戸時代後半。
ペリーの黒船来航の幕末。
外国船が持ち込んだ、海外の新聞を
翻訳した冊子が最初だった。
これは私にとって、とても意外だった。
私の中のイメージ、
アテネのマラトンの戦いみたいに
「戦にかったどー」
っていう知らせ(号外)みたいな紙切れが
戦国時代あたりに配布され始め、
それが新聞の始まりなのかなと思っていたから。
また新聞はほんの一部の地域の
限られた人しか見ることができなかった。
明治に入ってもしばらくは庶民は買えず、
情報を得る為、新聞を読む掲示板のような公共の場所に行って
読んでいたそう。
インターネットが普及した今は、情報があまりにも多すぎて
全然消化できない時代。
誰でも手に入れられて、便利になったけど、
どんどん新しい情報が出てきて、追いつけない。
息切れしちゃう。
情報がなくて、それに飢えていた時代が信じられないし不便だろうけれど
情報がないのはないなりに、情報の洪水に溺れず、幸せだったのかもしれないな
とも思った。
それに新聞ができるまでの
過程もだいぶ進化していて、
ビックリした。
印刷技術ももちろん目覚しい発展をしたけれど
携帯やモバイルPCができて、新聞記者の原稿がこんなにも
安全にスピーディに新聞社の編集部に届けられるようになったんだと知った。
というのも、それまで、新聞記者が書いた原稿は、
伝書鳩の足にくくりつけて新聞社に送っていたそう。
衝撃。
さらに、1匹が何かあっても大丈夫なように、2匹の伝書鳩をとばしていたらしい。
だから、新聞社の周りは鳩だらけだったそう。
時代は変わるんですね。
②新聞広告の歴史
新聞広告の変化
も面白かった。
最初の頃の新聞広告は明治初期。
商品の絵と「~に効きます」など一言という
そんなんで売れるの?っていう広告しかなかった。
が、それでもモノが売れた古き良き時代。
戦争時代は「無理矢理じゃん!」ってつっこみたくなる
広告ばかり。
例えば、兵隊さんがお菓子食べてる絵が描いてある
お菓子メーカーの広告とか。
「○○食べてお国の為に」
的な戦争を鼓舞するようなコメントも添えられたりする。
なんか不自然。
戦後の日本がだんだん豊かになっていくのも
広告の変化を見るとわかる。
広告もだんだんクリエイティブになっていくし、
環境とか社会問題と絡めた広告が増えてきたり。
面白い広告も増えていった。
にんじんの形の広告
はしごの形のなが~い広告
広告がない広告
折りたたみ式広告などなど。
新聞広告って、硬いイメージあったけど
こんな面白いことできるんだって
いろんな発見があった。
などなど、学び要素盛りだくさんの
日本新聞博物館。
横浜に行ったら、定番デートもいいけど、
新聞について学ぶ知的デートもいいかもしれません。