高市早苗の「単車・ヘビメタ・タイガース」 | トリップちゃんねる

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自民党結党以来初の女性総裁となった高市早苗氏は、奈良県で生まれ、現在64歳です。彼女の笑顔はどこかぎこちなく、無理に笑わなくてもいいのにと思うほどの興味しか持てない人物でした。しかし、彼女の経歴を知ると、型にはまらない面白い人物であることがわかります。

● YOSHIKIさんの熱心なファン
高市氏は神戸大学に進学後、軽音楽部でヘビーメタルバンドのドラムを担当していた一面もあり、「XJAPAN」のYOSHIKIさんの熱心なファンだそうです。スマホの待ち受け画面もYOSHIKIさんとのツーショットです。

また、若い頃は愛車の「カワサキ・z400GP」を乗り回していたバイク好きであり、永田町きっての阪神ファンとしても知られています。2014年に取材した際には、阪神の和田監督が使っていたバットを見せてくれました。

彼女はかなり人生を楽しむタイプで、行動的で元気いっぱいのイメージがあります。

大学時代は政治に全く興味がなく、一般企業への就職活動を行っていました。たまたま大学内で松下政経塾の塾生募集パンフレットを読んだところ、研究費を受けながら最先端の勉強ができる点に魅力を感じ、入塾試験を受けました。最終面接で松下幸之助と直接会話し、入塾を決意しました。

1985年、高市早苗氏が24歳の時、日本はバブル景気の絶頂でしたが、松下幸之助から「1990年に入ると日本は長期不況に突入する」との指導を受け、衝撃を受けました。

「経営の神様である松下がそのような未来を予測しているなら、自分は国の仕組みを作ったり将来のリスクを最小化するための仕事をしたい」と考え、国政挑戦を決意したそうです。アメリカの議会スタッフを経験して日本に帰国し、テレビのキャスターとしても活躍し、フジテレビでは「朝だ!どうなる」の番組キャスターを務めました。

● 「サナエあれば、憂いなし」
1993年の衆院選に無所属で出馬し、初当選を果たして政界に進出しました。その後、新進党の結成に参加しましたが、1996年には自民党に移籍し、森派に所属しました。

2004年、高市氏の弟が秘書をしていたことがきっかけで、山本拓衆議院議員の事務所で雇われ、結婚に至りました。同年6月初旬、山本から「真剣に結婚相手を探しておられるんでしたら、僕もバツイチですので、立候補しますよ」と電話でプロポーズを受けました。

「即断即決で、1週間後にOKの電話を致しました」と、交際0日でプロポーズを受け入れたことを同年9月に自身の公式サイトで明かしました。山本拓は再婚だったため披露宴を行わないことを提案しましたが、初婚だった高市氏はウェディングドレスを着たいという強い希望を持っており、大阪と都内で盛大な披露宴が行われました。

2006年、第1次安倍内閣で初入閣し、少子化対策や科学技術などの担当大臣を務めたのを皮切りに、第2次安倍政権では女性初の自民党政調会長に就任しました。

2021年、高市氏は総裁選挙に初挑戦し、安倍元首相の支持を得て健闘しましたが、結果は4人中3位に終わりました。

そして昨年、2度目の総裁選に挑戦した際、「備え」と自身の名前「早苗」をかけた「サナエあれば、憂いなし。」というキャッチフレーズを掲げ、初回投票で1位を獲得し決選投票に進出しました。しかし、決選投票前の演説で持ち時間を超えてしまい、気合いが空回りしてしまい、石破首相に痛恨の逆転負けを喫しました。

● 昨日も今日も700通以上が追加で着信
その後、総務会長就任の打診を固辞し、石破政権とは距離を置きました。そして1年後に再び訪れた3度目の総裁選で、ついに自民党のトップの座を手に入れました。



10月6日、高市早苗氏がX(旧ツイッター)を更新し、感謝の気持ちを綴りました。

「一昨日の自民党総裁選で応援してくださった党員や議員の皆様、ありがとうございました。また、12日間の総裁選を見守ってくださった国民の皆様、ありがとうございました」と感謝の言葉から始まりました。

「総裁就任と同時に総裁としての実務が押し寄せ、車も大きな総裁車に変わり、夜にスマホを見ると600通以上のメッセージやメールが溜まっていました。昨日も今日も700通以上が追加で着信していました。返信できていない皆様、本当にごめんなさい!」と返信できていない状況を明かしました。

「臨時国会では、与野党で力を合わせて早期に効果を発揮できる物価高対策に取り組みたいと思います。頑張ってまいります!」と締めくくりました。
 

参照:高市早苗 (Wikipedia)

   「単車・ヘビメタ・タイガース」 自民党結党以来初の女性総裁

   高市早苗氏「皆様、ゴメンなさい!」新総裁就任後初のX更新