「聖なる証」 2022年製作 イギリス,アイルランド,アメリカ 原題:The Wonder
Netflix映画『聖なる証』は、19世紀のアイルランドを舞台に、4カ月間食事をしていないという少女の謎を描いた作品です。少女の身に何が起きているのかを探る心理戦に加え、科学的な視点と宗教的な盲信が対立する構図が、物語に緊張感をもたらしています。
「神の力(マナ)によって生きている」と主張する少女アナ。彼女を奇跡の存在として崇める村人たちのもとに、イギリスから看護師のリブが派遣されます。リブは科学的な観点から少女の状態を観察し、食事をとらずに生き続けているという話の真偽を確かめようとします。
しかし、時間がたつにつれて衰弱していくアナを前にしても、村人たちの信仰は揺らぎません。少女の命を守ろうとするリブと、信仰や伝統を守ろうとする村の権力者や家族。両者の対立を通して、大人たちの身勝手さや盲信が浮き彫りになっていきます。
人間は、食事を一切とらず、水だけで生きられる期間は一般的に、「約2週間〜1ヶ月(最大で約2ヶ月)」とされています。水分を摂取できても食事をとらない状態が長期間続けば、深刻な健康被害を招きます。個人差がありますが、4カ月もの間、何も食べずに生き続けるというのは、通常では考えにくいことです。それにもかかわらず、アナを聖なる存在として崇め、彼女の主張を信じ続ける村人たちの姿には、不気味さを覚えます。
人間には、常識では説明できない存在を特別視し、神に近いものとして祭り上げたいという欲求があるのかもしれません。目の前にある事実よりも、自分たちが信じたい物語を優先してしまう。そんな人間の心理が、村人たちの振る舞いから見えてきます。
主演のフローレンス・ピューは、看護師リブ・ライトの複雑な内面を見事に表現しています。強い意志を持ちながらも葛藤を抱える姿には、思わず引き込まれます。村の閉鎖的な空気や理不尽な状況に直面しても、リブは少女の命を救うために奔走します。周囲の圧力に屈せず、現実を見極めようとする姿勢は、本作の大きな見どころです。
ただ、リブの少女を救おうとする意志があまりにも強いため、少し気になる点もありました。なぜ彼女は、そこまでアナを救うことに強くこだわるのでしょうか。少女の命を守るという目的は理解できますが、その思いの強さに至るまでの心理的な過程については、もう少し描写があってもよかったように感じます。
本作が描いているのは、少女が食事をせずに生きているという謎だけではありません。人間が自分にとって都合のよい「物語」を信じ込み、その物語に合わない事実を無視したり、ねじ曲げたりする心理にも鋭く切り込んでいます。信仰や因習、集団心理が絡み合うことで、客観的な事実さえも簡単には受け入れられなくなるのです。少女の命をめぐる物語でありながら、人間の心に潜む危うさを浮き彫りにする作品だといえます。
映画に登場するアナは架空の人物ですが、その背景には歴史上の事例が存在します。モデルとなったのは、16世紀から20世紀にかけてヨーロッパや北米で注目を集めた「断食少女(Fasting Girls)」と呼ばれる人々です。特に19世紀のヴィクトリア朝時代には、食事をとらずに生きているとされる少女たちが社会的な関心を集めました。
キリスト教の歴史において、断食は自己犠牲や魂の浄化、神への献身を象徴する行為とされてきました。こうした宗教的な価値観を背景に、食事をせずに生きる少女たちは、神聖な存在として受け止められることがありました。しかし、19世紀になると、断食少女をめぐる現象は単なる宗教的な奇跡として語られるだけでなく、見世物的な関心や詐欺の疑いとも結びついていきます。
『聖なる証』は、こうした歴史的な現象を題材に、信仰と科学、そして人間の心理が複雑に絡み合う物語を描いています。何を信じ、何を事実として受け止めるのか。少女の謎を追う過程で、観る側にもその判断が問いかけられる作品です。
