黒い目出し帽で顔を覆った男たちが、ホテルの廊下を足早に進んでいきます。ドアを開けると、ためらうことなく室内へ突入します。3人がかりで部屋にいた男性を床に押し倒し、うつぶせにしたうえで腕を背中側にねじ上げ、手錠をかけます。まるで犯罪映画に登場する逮捕シーンそのものです。男たちが着ている黒い上着の背中には、ロシア語で「FSB」の文字が記されています。ロシア連邦保安局です。

この一連の逮捕劇は、10月13日、ロシア極東のサハリン州ユジノサハリンスクで起きました。逮捕されたのは、北海道新聞の記者、今井裕紀さん(34)です。逮捕の様子は克明に撮影され、編集を施されたうえで、国営タス通信を通じて世界に配信されました。

この映像は、TBSの「サンデージャポン」でも取り上げられました。番組内で、おそらくデーブ・スペクターさんだったと思いますが、「これはでっちあげですから」と発言していたのが印象に残っています。

ロシア側は、今井記者について「日本の情報機関の指示を受け、ウクライナ侵攻に伴う動員兵などに関する防衛情報を収集・保管していた」と主張しています。しかし、日本政府や報道関係者、多くのメディア解説者は、こうした容疑に疑問を呈しています。スパイ容疑はでっちあげであり、ロシア側による一方的で不当な拘束である可能性が高いという見方が広がっています。

● 今井記者はロシアについて何を報じていたのか
それでは、今井記者はこれまでロシアについて、実際にどのような記事を書いてきたのでしょうか。

日本の旧ソ連地域研究者で経済学者でもある服部倫卓(はっとり みちたか)教授は、北海道新聞のデータベースを使い、今井記者が関わったとみられる記事を検索して内容を確認しました。

見つかった記事は、事実関係を中心に淡々と伝えるものが多く、ロシア当局が強く反応するような内容とは考えにくいものでした。また、記事の署名は今井記者個人の名前ではなく、「本紙取材班」となっていたといいます。

以前、別の新聞社の関係者から、近年はロシアやウクライナをめぐる問題について、ロシア側からの迫害を避けるため、記者の個人名を記事に記載しない場合があると聞いたことがあります。北海道新聞も、同様の配慮をしていたのかもしれません。

そこで服部教授は、今井裕紀さんの名前でも記事を検索してみました。すると、最初に目に留まったのが、「<まちかど>ユジノサハリンスク*北朝鮮の一端に触れる」という記事でした。

この記事は、ユジノサハリンスクの街を歩いていた際、北朝鮮から来た出稼ぎ労働者にたばこをせがまれたというエピソードを導入にしたコラムです。

もう一つ、「<まちかど>ホルムスク*工場解体 消え去る歴史」という記事もありました。こちらは、旧王子製紙真岡工場の廃墟が撤去された現場について報告したものです。

こうした記事を見る限り、今井記者の個人的な体験をもとにしたコラム形式の記事では本人の名前を出し、それ以外の記事では個人名を伏せていたようです。

● 容疑は「身勝手な不当拘束」である可能性
ロシア側が問題視しているのは、ウクライナ侵攻に関する情報収集です。しかし、こうした情報を集めて報じることは、ジャーナリストにとって通常の取材活動の範囲内と考えられます。それにもかかわらず、ロシア当局は取材活動を一方的に「スパイ行為」とみなし、今井記者を拘束した可能性があります。

今回の事件を考えるうえでは、悪化する日露関係にも目を向ける必要があります。

日本政府は、ロシアによるウクライナへの全面侵攻を受け、厳しい制裁を維持しています。また、事件の直前には、ロシア側が指名手配していた国際刑事裁判所(ICC)の赤根智子所長に関し、日本政府が身柄の引き渡し要請を拒否し、ロシア側が強く反発する経緯もありました。

こうした背景から、今回の拘束についても、日本政府に圧力をかけるための政治的な嫌がらせ、あるいは外交交渉の材料として人質を利用する行為ではないかとの見方が出ています。

ロシアには、過去にも同様の事例があります。米紙ウォール・ストリート・ジャーナルの米国人記者をスパイ容疑で逮捕し、その後、捕虜交換の対象として釈放したケースです。

今回の事件も、こうした過去の事例と同じ構図ではないかと指摘されています。今井記者の拘束が正当な法執行なのか、それとも政治的な思惑に基づくものなのか。ロシア側の主張をそのまま受け入れるのではなく、事件の背景と実際の取材内容を冷静に検証する必要があります。

 

参照:ロシアで拘束された北海道新聞記者は、ハッカー集団「キリン」の囚人交換要員だった?
   道新の今井記者はロシアについてどんなことを報じていたのか