
「顔を捨てた男」 2023年製作 アメリカ 原題:A Different Man
映画『顔を捨てた男』は、ルッキズム(外見至上主義)が人間の心に及ぼす影響を描いたダークコメディであり、不条理スリラーでもあります。外見によって人の価値が決められる社会の歪みと、自分が自分であることの意味、そして他者から認められることへの執着が、皮肉たっぷりに描かれています。
主人公のエドワードは、顔の変形を伴う神経線維腫症(しんけいせんいしゅしょう)を抱え、内向的な生活を送っていました。しかし、画期的な治療によって、誰もが羨むようなハンサムな顔を手に入れます。
これまでの自分を捨て、「ガイ」として新しい人生を歩み始めるはずでした。ところが、長年抱えてきた劣等感やコンプレックスは、顔が変わっただけでは消えてくれません。外見を手に入れた男が、内面に残る醜い執着にとらわれ、破滅へと向かっていく。そんな皮肉な展開が、予想もしない方向へと物語を転がしていきます。
見終わったあと、何ともいやな映画を見てしまったという感覚が残りました。あれほど顔が歪んでいたエドワードが、せっかく理想的な顔を手に入れたのに、相変わらず劣等感に満ちた表情を浮かべているのです。見た目が変われば、人生も変わる。そんな期待を裏切るように、彼はいつまでも自分自身に満足できません。
その姿を見ていると、いたたまれない気持ちになります。もちろん、エドワードのような境遇にあるわけではありません。それでも、他人と自分を比べたり、自分に足りないものばかりが気になったりする感覚には、どこか身に覚えがあります。
だからこそ、彼の姿を笑い飛ばすことも、完全に他人事として片づけることもできません。嫌な気分になるのに、目をそらせない。自分の中にも似たような感情が潜んでいるのではないかと、考えさせられるからです。
本作には、思わず目を背けたくなるような強烈な場面もあります。特に印象に残ったのが、治療の効果によって、エドワードの顔にできていたこぶが溶け、顔面からずるりと剝がれ落ちていくシーンです。
これまでにも気持ちの悪い映像が登場する映画を何本も見てきたので、ある程度は耐性があるつもりでした。しかし、この場面は想像以上にグロテスクで、かなりの衝撃を受けました。その生々しさが、作品全体に漂う不快感をいっそう強めています。
そして、美しい顔を手に入れたエドワードの前に現れるのが、かつての彼と同じ顔の特徴を持つオズワルドです。物語の鍵を握るこの男は、エドワードとは正反対の人物として描かれています。自分の容姿を悲観するどころか、きわめてポジティブで、カリスマ性にもあふれています。人懐っこく、誰とでも自然に打ち解け、その場にいる人々をたちまち魅了してしまいます。
同じような外見的特徴を持っていても、本人の振る舞いや自信、周囲との関わり方によって、他人からの評価は大きく変わります。エドワードが欲しがっていたものを、オズワルドは特別な努力もしていないかのように手に入れているのです。
その存在は、エドワードにとって耐えがたいものだったのでしょう。せっかく手に入れた美しい顔も、オズワルドの前では優位性を保つための武器になりません。むしろ、かつての自分と同じ顔を持つ男が、誰からも愛され、楽しそうに生きている姿を見せつけられることで、彼の劣等感はさらに膨らんでいきます。
しかも、オズワルドはエドワードの気持ちなどお構いなしに、まるでストーカーのように付きまといます。いつも楽しそうに、親しげに話しかけてくるのですが、その無邪気さがかえって厄介です。
悪意をむき出しにして攻撃してくる相手なら、怒りをぶつけることもできるでしょう。しかし、オズワルドには、エドワードを苦しめようという意図がほとんど感じられません。だからこそ、彼の存在そのものがエドワードの心を追い詰めていきます。
さらに皮肉なのは、エドワードが好意を寄せていた女性の心までも、やがてオズワルドに傾いてしまうことです。ここまでくると、エドワードに感情移入しているので、オズワルドに腹が立ってきます。
結局のところ、ルッキズムを批判する物語を見ているはずなのに、自分自身もその価値観から自由ではありません。この映画の居心地の悪さは、そんなところにもあるのだと思います。
ところで、映画を見ている間、オズワルドを演じている俳優のアダム・ピアソンは、特殊メイクを施して役に臨んでいるのだと思っていました。しかし、実際には、アダム・ピアソン自身が神経線維腫症を抱えており、特殊メイクではなく、自身の顔で出演していると知って驚きました。
単に外見の異なる二人を対比させた物語ではなく、実際にその容姿で生きてきた人が演じることで、作品のテーマにいっそうの重みが加わっているように感じます。
監督のアーロン・シンバーグ自身も、先天性の唇顎口蓋裂(しんがくこうがいれつ)の治療を経験し、外見をめぐる問題によって深く傷ついてきた過去を持っています。
監督はインタビューで、アダムが出演を承諾してくれなければ、この映画を作ることはなかったと語り、彼なしには成立し得ない作品だったと最大級の賛辞を送っています。
『顔を捨てた男』が描いているのは、単純に「人間は見た目ではない」という教訓ではありません。外見によって評価される社会の理不尽さを描きながら、その価値観を自分自身も内面化してしまう人間の弱さや醜さにも、容赦なく切り込んでいます。
エドワードは顔を変えることには成功しました。しかし、他人からどう見られるかという執着や、自分より恵まれているように見える人への嫉妬までは捨てられませんでした。
見ていて気分が悪くなる。それなのに、途中で見るのをやめられない。そんな不快さこそが、この映画の強烈な魅力なのかもしれません。顔を変えれば人生をやり直せるのか。人から認められれば、自分自身を好きになれるのか。見終わったあとも、そんな問いが嫌な余韻とともに残り続ける作品です。