4度の結婚と離婚を経験した女性と聞いて、ドラマ「Tシャツが乾くまで」で蒼井優さんが演じた瀬尾咲子を思い浮かべます。しかし、現実にはドラマの主人公にも負けないほど波瀾万丈な人生を歩んだ女性がいました。作家の宇野千代です。

数々の男性と恋愛を重ね、4度の結婚を経験した宇野千代。その生涯は、単に「恋多き女」という言葉では語り尽くせません。文豪や芸術家たちとの出会い、激しい恋愛、そして失恋を糧にした創作活動。彼女は恋愛だけでなく、仕事においても自らの道を切り拓いていきました。

NHK連続テレビ小説『ブラッサム』で石橋静河さんが演じる主人公・葉野珠。そのモデルとなったのが宇野千代です。恋愛や結婚をめぐる大胆な生き方はもちろん、作家として、実業家として活躍した姿も、ドラマの題材として興味深いものです。彼女の人生をどこまで描くのか、放送への期待が膨らみます。

● 黒柳徹子も驚いた、あまりにも率直な恋愛談
「僕の家に来ませんか、と言われたのでついていったの。そいで、寝ちゃったの」

晩年にテレビ朝日系の『徹子の部屋』に出演した宇野千代は、後に恋人となる画家・東郷青児との出会いを、こう振り返りました。

その飾らない語り口に、黒柳徹子さんも驚いたといいます。「あんなに寝た寝たと、まるで昼寝でもしたようにお話になる」と感心したエピソードは、今もよく知られています。

明治30(1897)年に生まれた宇野は、大正、昭和、平成の3つの時代を生きました。女性の生き方に対する価値観が今とは大きく異なっていた時代に、自由奔放な恋愛を重ねた彼女は、周囲からも異色の存在として見られていたようです。

晩年、宇野は自身の境遇について、こんな言葉を残しています。

「私はふしだらな女として、故郷の人から嫌われている」

自由に恋愛を楽しんだ一方で、その生き方が周囲の理解を得られなかったこともあったのでしょう。世間の評価にさらされながらも、自分の信じる道を歩み続けた姿がうかがえます。

● 尾崎士郎との同棲生活と、作家としての出発
宇野の最初の結婚は、明治44(1911)年。14歳のとき、父親の意向で従兄弟の藤村亮一と結婚しました。しかし、結婚生活はわずか10日で終わります。

それから8年後、宇野は亮一の弟である忠と再婚しました。最初の夫と離婚した後、朝鮮の京城へ渡っていた宇野は、帰国後、義弟との縁を頼って忠のもとを訪れ、同棲生活を始めます。

その後、上京した宇野は、東京大学近くにあったフランス料理店「燕楽軒(えんらくけん)」で働き始めました。店には芥川龍之介や菊池寛といった文壇の著名人が足繁く通っており、文学に触れる機会も少なくありませんでした。そうした環境のなかで、宇野は次第に「自分も小説を書いてみたい」という思いを強めていきます。

店では彼女に言い寄る作家もいたといいます。後に恋人となる画家の東郷青児とも、この時期に出会いました。

忠の就職を機に札幌へ移った宇野は、そこで短編小説『脂粉の顔』を執筆します。この作品が「時事新報」の懸賞小説で一等に選ばれ、作家としての道が開かれました。そして二等に入選したのが、後に3番目の夫となる尾崎士郎です。

当時、宇野はすでに流行作家として活躍していましたが、尾崎はまだ無名に近い存在でした。宇野は経済面でも尾崎を支えます。しかし、そうした関係が尾崎にとって負担になったのか、やがて彼は若い女性に心を移してしまいます。2人の関係は、結婚からわずか6年で終わりを迎えました。

● 東郷青児との出会いは、心中未遂事件がきっかけ
尾崎士郎との関係が終わった後、宇野が恋愛関係を深めたのが、燕楽軒で出会っていた画家の東郷青児でした。



2人の接近には、東郷が起こした心中未遂事件が関係しています。宇野は男女がガスを使って情死を図る状況を知るため、東郷に取材しました。東郷は海軍少将の娘とガス心中を図り、互いに喉を切るという事件を起こしていたのです。

首に包帯を巻いた東郷は、宇野を事件現場となった自宅へ招きました。そして、男女の血痕が残る布団の上で、2人は結ばれたといいます。まるで小説の一場面のような、衝撃的な出会いです。

東郷との同棲生活から生まれた作品が、宇野の代表作『色ざんげ』でした。恋愛の経験を創作へと昇華させたところに、彼女ならではの生き方が表れています。

しかし、2人の関係も永遠には続きませんでした。5年間を共に過ごした後、東郷は心中未遂事件の相手だった女性とよりを戻し、宇野との同棲を解消します。

東郷青児といえば、どこか幻想的で、柔らかな雰囲気をまとった女性の絵を思い浮かべます。その作品からは想像しにくいほど、本人もまた激しく情熱的な人生を送っていたのです。

宇野の結婚や同棲は、いずれも長続きしませんでした。後年、彼女はインタビューで、自身の恋愛観を次のように語っています。

〈夫婦になっても、私は4年か5年で必ず別れてるんだけど、人間も動物と同じでね4、5年たつと雄と雌の感情がもうおしまいになっちゃうのよ。だから別れるの〉(「女性セブン」1996年6月26日号)

宇野にとって、恋愛や結婚は一生変わらない関係を維持することよりも、その時々の感情に正直でいることが大切だったのかもしれません。

● 北原武夫とは25年間の結婚生活を送る
4度目の結婚相手となった北原武夫は、宇野が最も長い結婚生活を送った男性です。2人の関係は25年間に及びました。

出会いは昭和11(1936)年。宇野がファッション誌『スタイル』を創刊した年のことです。新聞記者として取材に訪れた北原に、宇野は一目惚れしたといいます。

北原は宇野より10歳年下でしたが、すでに100人を超える女性と関係を持った経験があったとも伝えられています。恋愛に積極的だった宇野と北原は、こうして結婚へと進んでいきました。

では、なぜ過去の結婚が短期間で終わった宇野が、北原とは四半世紀もの時間を共にできたのでしょうか。

日本近代史学者の刑部芳則氏は、2人の関係について次のように説明しています。

「尾崎も東郷も別の女性に走りました。北原もほかの女性と不倫を繰り返しましたが、いつも宇野のもとに帰ってきて、裏切った北原を受け入れました。奔放だと語られる一方で、宇野は好きになった男性にはとことん尽くす女性でした。決して自分からは裏切らなかったのです」

恋愛遍歴だけを見ると、宇野は自由気ままに男性を渡り歩いた女性のように映るかもしれません。しかし、実際には、愛した相手に深く尽くす一面も持っていました。相手の裏切りを受け止めながら関係を続けたことが、北原との長い結婚生活につながったのでしょう。

● 95歳でも「今が結婚適齢期」。最期まで前向きに生きた宇野千代
宇野千代は、失恋しても悲しみに暮れ続けることはありませんでした。恋愛で味わった喜びや苦しみを小説の題材にし、創作活動へとつなげていきます。

さらに、彼女の活躍は文学の世界だけにとどまりません。日本初のファッション雑誌とされる『スタイル』を創刊したほか、着物デザイナーとしても活動しました。恋愛に限らず、仕事においても自らの可能性を広げ続けたのです。

そんな宇野の生き方を象徴する作品が、自伝的エッセイ『生きて行く私』です。85歳で出版されたこの本は、100万部を超えるベストセラーになりました。自身の恋愛遍歴や人生経験を率直につづった内容は、多くの読者の心をつかみました。

彼女の人生を知るほどに、『生きて行く私』を読んでみたいという思いが強くなります。

95歳になっても「今が結婚適齢期」と語っていた宇野千代。98歳で亡くなるまで、恋愛にも仕事にも情熱を注ぎ、前向きに生き続けました。

「恋多き女」という一言では収まらない、作家としての才能と、自分らしく生きる強さ。宇野千代の生涯は、今を生きる私たちにも、自分の人生をどう切り拓いていくのかを問いかけているようです。
 

参照:「私はふしだらな女として、故郷の人から嫌われている」朝ドラ『ブラッサム』モデル