西川美和監督の映画『すばらしき世界』が、現在Netflixの「今日の映画TOP10(日本)」で7位にランクインしています。直木賞作家・佐木隆三の小説『身分帳』を原案とした本作は、人生の大半を刑務所で過ごした元殺人犯の男が、社会の中で生き直そうとする姿を描いた人間ドラマです。
● 5年ぶりに観ても、物足りなさは変わらなかった
劇場で本作を鑑賞した際、私は当ブログに次のような感想を記しました。
『期待が膨らみすぎたせいか、「すばらしき世界」は決してつまらない映画ではなかったものの、しっくりこない結末と相まって、どこか物足りなさが残った。』
公開されたのは2021年。それから5年が経ち、改めて本作を観直してみることにしました。
主演の役所広司をはじめ、西川美和監督の演出や脚本、さらに脇を固めた仲野太賀の演技には高い評価が寄せられています。実際、作品は数々の賞を受賞し、鑑賞者からも多くの称賛を集めています。
それでも、初めて観たときの私は、作品全体に焦点が定まらないような印象を受けました。物語が何を伝えようとしているのか、今ひとつつかめず、心に深く響くものもありませんでした。
もう一度観れば、当時とは違った感想を抱くかもしれない。そんな期待を込めて再鑑賞したのですが、残念ながら印象はほとんど変わりませんでした。同じ西川監督の『ディア・ドクター』(2009年)を観たときに味わったような感動も得られませんでした。
主人公の三上正夫を演じる役所広司の演技は、実にリアルで、確かな存在感があります。しかし、演技に説得力があることと、観客が物語に引き込まれることは別の問題です。三上という人物が現実にいそうだと感じられても、その日常を追い続けたいと思わせるだけの魅力が、私には十分に伝わってきませんでした。
やくざだった頃の三上には、暴力そのものが人物の激しさや生き方を象徴するような側面があったと思われます。ところが、刑務所を出てからの彼が直面するのは、チンピラとの小競り合いといった、比較的小規模な争いです。そのため、かつての三上が持っていた迫力が薄れ、スケールの小さくなった日常を見せられているように感じました。
さらに、後半には暴力沙汰を恐れるあまり、見て見ぬふりをするような態度を取る場面も登場します。社会の中で生きていくためには、かつての自分を抑えなければならない。その葛藤を表現した場面なのだとは思いますが、私には十分に腑に落ちず、後味の悪さだけが残りました。
● 西川美和監督が映画化したかったもの
西川美和監督は、佐木隆三の『身分帳』を映画化した理由について、次のように語っています。
『この小説は、凶悪犯が犯罪に至るまでのルポルタージュではなく、過去に犯罪に手を染めた人間が、社会生活をやり直すというだけの小さなテーマ。つまりそれは、多くの人が関心を寄せてないことなんですよね。何のドラマ性もないから。
血なまぐささもなければ、怨恨もない。淡々とした日常を描いたところが非常に面白いと思ったんです。淡々とした日記のような話なんだけれども、ありとあらゆるところで小さな衝突と、失敗がある。
かといって悪いことばかりではなく、本当に小さなふれあいや励ましに慰められたりと、喜怒哀楽が小さな波でずっと続いていくのが面白くて。自分では考えたこともないようなテーマで、これは盲点だったなと思った。だからこそやってみたいなと思いました。』
監督の言葉を読むと、本作が目指したものは明確です。犯罪そのものの凶悪さや過去の因縁を描くのではなく、罪を犯した人間が社会に戻り、周囲の人々との関わりの中で生活を立て直そうとする。その過程で起こる小さな衝突や失敗、ささやかな交流を積み重ねることに、作品の価値を見いだしたのでしょう。
しかし、私自身は、その淡々とした日常の描写にあまり興味を持てませんでした。ささやかなふれあいや他人からの励ましによって心が救われること、日々の暮らしの中で喜怒哀楽が小さな波のように繰り返されること。それらを映画として描く意義は理解できても、実際に観て心を動かされるかどうかは別の話です。
監督が魅力を感じた部分を、私は十分に魅力的だとは感じられなかった。結局のところ、この違いが作品に対する評価を分けたのかもしれません。
格闘シーンにも、気になる点がありました。
劇中には、二人のチンピラが中年男性を脅し、金品を巻き上げようとする場面があります。それを見た三上は男性を助けようとし、チンピラたちと争いになります。その最中、三上が相手に噛みつくような動きを見せるのですが、私には足に口元を近づけているだけのように見えました。
その後、三上のドキュメンタリーを撮影しようとしていたディレクターがカメラを回している映像では、相手に噛みついたと思われる動きが確認できます。しかし、最初に描かれた格闘シーンでは、その行為がはっきりと伝わってきませんでした。
こうした演出のためか、格闘シーンには緊迫感が乏しく、ありふれた喧嘩の場面に見えてしまいました。
ただし、喧嘩の後、顔に血をつけた三上が、自分を撮影しているディレクターの津乃田(仲野太賀)に向かって、無邪気に、どこか誇らしげに彼の名前を呼ぶ場面は印象に残りました。暴力的な一面を持つ三上の中に、子どものような純粋さが垣間見える瞬間だったと思います。
● 梶芽衣子と長澤まさみの存在感
本作で思いがけない楽しみとなったのが、梶芽衣子の出演です。
『さそり』シリーズで一世を風靡した彼女が演じるのは、三上の身元引受人となった弁護士・庄司勉(橋爪功)の妻、庄司敦子です。かつての梶芽衣子を知る者としては、彼女が本作に出演している姿を観られただけでもうれしいものがありました。
なかでも印象的だったのは、三上の就職が決まり、彼を温かく見守る人々がアパートに集まって、ささやかなお祝いの会を開く場面です。そこで梶芽衣子が一曲披露します。
素人らしさを出すため、あえて上手に歌わないようにしていたのかもしれません。それでも、私にとって彼女の歌といえば、『さそり』シリーズの「恨み節」が真っ先に思い浮かびます。そんな彼女が坂本九の名曲「見上げてごらん夜の星を」を歌う姿を観られたのは、うれしい発見でした。
もう一人、出演していたことをすっかり忘れていたのが長澤まさみです。彼女が演じるのは、少々男勝りなテレビ番組のプロデューサー。独特の存在感と色気があり、登場するだけで作品に華やかさを加えています。
三上がチンピラと喧嘩をした際、恐れをなして逃げ出した若手ディレクターを追いかけ、厳しい言葉を浴びせる場面も印象的でした。
ただ、その後は彼女の出番がほとんどなくなってしまいます。せっかく魅力的な人物を登場させているのに、その存在を物語の中で十分に生かし切れていないように感じました。
そして、この中途半端な印象は、長澤まさみの役柄だけでなく、映画全体にも共通しているように思います。
● エピソードが散漫で、物語の方向性が見えにくい
本作には、三上が社会に戻ってから経験するさまざまな出来事が描かれています。しかし、それぞれのエピソードが独立しているように見え、物語全体がどこへ向かおうとしているのか、最後までつかみにくい印象がありました。
個々のエピソードや登場人物の会話にも、期待を超えるような意外性や深みを感じられませんでした。どこかで見たことのある展開が続いているように思えてしまうのです。
たとえば、かつて世話になったやくざの親分の家に身を寄せる場面も、過去に別の映画で観たような光景を繰り返し見せられている気がしました。こうした場面が積み重なっても、三上という人物への理解や共感が深まっていく感覚は、私にはあまりありませんでした。
その結果、主人公だけでなく、周囲の登場人物にも十分に感情移入できないまま、映画の終わりを迎えることになりました。
とりわけ、結末には不満が残りました。物語を通じて描かれてきたものが、最後にどのような意味を持つのか。そこを十分に受け止められないまま、映画が終わってしまったように感じたのです。
思わず「これでは観客が置いてけぼりではないか」と言いたくなるような幕切れでした。
もちろん、日常の小さな出来事を積み重ね、明確な答えを提示せずに終わるという手法自体を否定するつもりはありません。ただ、本作の場合は、その余韻を味わうところまで気持ちがたどり着きませんでした。
西川美和監督は、今年10月16日に新作『わたしの知らない子どもたち』を公開します。『すばらしき世界』は私の好みには合わない作品でしたが、だからといって監督への関心が薄れたわけではありません。
次の作品では、どのような人物を描き、どんな物語を見せてくれるのでしょうか。今度こそ、心に深く残る作品であることを期待しています。
参照:映画「すばらしき世界」にみる社会復帰の難しさ 西川監督が小説「身分帳」に共鳴した理由
