「ユナボマー」 2026年製作 アメリカ 原題:Unabomber
2026年9月25日からNetflixで独占配信が始まったヤヌス・メッツ監督の映画『ユナボマー』は、実在した数学者であり連続爆弾犯でもあるセオドア(テッド)・カジンスキーを描いた心理サスペンスドラマです。
本作で描かれるのは、犯人となったテッドの特異な人生だけではありません。彼が大学時代に参加した心理実験も、倫理面で大きな問題を抱えたものとして知られています。また、テッドはFBIの歴史上、捜査に最も長い時間と多額の費用を要した容疑者の一人とされています。
今年観た映画のなかでも特に興味を惹かれた作品であり、事件の背景にある人物像や心理、そして社会との関係について深く考えさせられる映画でした。
● タイトル「ユナボマー」の意味
「ユナボマー(Unabomber)」は、1978年から1995年にかけてアメリカ各地で爆弾を送りつけた実在の連続爆弾犯、テッド・カジンスキーの呼び名です。
事件発生当初は犯人の正体が分かっておらず、FBIは主な標的となった大学や航空会社などの頭文字から「UNABOM」という事件名を付けていました。
UN:University(大学)
A:Airline(航空会社)
BOM:Bomber(爆弾犯)
その後、この「UNABOM」という呼び名がメディアにも広まり、爆弾犯を意味する「-er」を付けた「Unabomber」という名称が定着しました。
● 大学卒業からアルバイト生活へ
テッド・カジンスキーは、16歳でハーバード大学に入学した天才数学者でした。しかし、大学時代に参加した心理実験などをきっかけとして精神的に孤立し、やがて文明社会を拒絶するようになります。
最終的には山奥に小屋を建て、社会との接触を極力避けた自給自足の生活を送るようになりました。
では、ハーバード大学を卒業してから、山奥の小屋で暮らし始めるまでに何があったのでしょうか。
映画では、この時期の人生について詳しく描かれていません。
ハーバード大学を卒業したテッドは、ミシガン大学の大学院へ進学します。そこで数学、特に複素解析の分野を研究し、博士号(Ph.D.)を取得しました。博士論文は非常に高く評価され、数学者として卓越した才能を持っていたことがうかがえます。
1967年には、名門カリフォルニア大学バークレー校(UCバークレー)の助教授に就任しました。当時25歳だったテッドにとって、輝かしい研究者人生の始まりでした。
しかし、もともと人付き合いが苦手だった彼は、学生の前で講義することに強いストレスを感じるようになります。また、大学という組織や、科学技術によって社会が変化していくことに対しても、次第に強い嫌悪感を抱くようになりました。
そして1969年、バークレー校に就任してわずか2年で大学を辞職します。周囲から引き止められたものの、それを受け入れることはありませんでした。
大学を離れた後はイリノイ州の実家に戻り、しばらく定職に就かず、アルバイトをしながら親から金を借りる生活を送ります。この頃から社会との距離はさらに広がり、家族に対しても攻撃的な態度を見せるなど、人間関係そのものを拒絶する傾向が強まっていきました。
● 木造小屋を自ら建てる
1971年、テッドは近代文明から距離を置き、自然のなかで暮らすことを決意します。
そしてモンタナ州リンカーンの森のなかに、電気も水道もない小さな木造小屋を自ら建てました。大きさは約3m×3.6m(10×12フィート)ほどで、ここを生活の拠点として狩猟や自給自足を行いました。
彼が求めたのは、文明社会に依存せず、自然のなかで自分の力だけで生きる生活でした。
しかし、その静かな暮らしも長くは続きません。
周辺では道路建設や森林伐採、リゾート開発などが進み、彼が大切にしていた自然環境が変化していきました。こうした出来事を目の当たりにしたことで、社会や科学技術に対する彼の反発は次第に激しくなっていきます。
やがて、「テクノロジー社会を破壊しなければ、人間は救われない」という過激な思想を抱くようになり、1978年から始まる一連の爆破事件へとつながっていきました。
テッドは「科学技術の発展が人間を不幸にしている」という独自の思想を掲げ、大学教授や航空会社、コンピューター関係者など、近代技術を象徴する人々を標的にしました。
17年間にわたって手製の爆弾を送り続け、最終的に3人が死亡し、23人が負傷しました。
● 通称「マレー実験」と呼ばれる心理実験
テッドの人生を考えるうえで、もう一つ気になるのが、ハーバード大学時代に参加した心理実験です。
この実験が彼の人格形成や、その後の人生にどのような影響を与えたのか。もしこの実験に参加していなければ、テッドはその後も数学者として研究を続け、別の人生を歩んでいたのではないか。そんな疑問を抱かせる出来事です。
テッドが参加したのは、心理学者ヘンリー・マレー教授が指揮した実験でした。冷戦下の1959年から1962年にかけて行われ、後に「マレー実験」と呼ばれるようになります。
実験では、学生たちに自分の人生観や信念、価値観などについて詳細なエッセイを書かせました。
◇ 自分の「哲学・信念」を書かせる
被験者となった学生たちは、自分自身の人生観や信念、価値観など、内面に関わる内容を詳しく文章にして提出しました。
◇ 精神的な攻撃と侮辱
その後、学生たちは明るい照明のある部屋に連れて行かれ、心拍数などの生理的反応を測定する装置を装着されました。そして、別室から攻撃役の人物が、事前に提出されたエッセイの内容をもとに、学生たちの人格や考え方を激しく批判しました。自分自身の信念や価値観を否定されるような言葉を浴びせられることで、強い心理的ストレスが与えられました。
◇ ストレス反応を観察
この実験では、強い精神的な攻撃を受けた人間がどのような心理的反応を示すのかが観察されました。
テッドは、この実験に繰り返し参加したとされています。若いテッドにとって、自分の内面や信念をさらけ出したうえで、それらを徹底的に否定される経験は、大きな心理的負担になったと考えられています。
● CIAのマインドコントロール計画との関係
この実験について語る際、しばしば取り上げられるのが、CIAのマインドコントロール研究計画「MKウルトラ」との関係です。
当時は冷戦の真っただ中で、マレー教授にはアメリカの諜報機関で心理分析に携わった経歴がありました。そのため、マレー教授の研究とMKウルトラとの関連を指摘する説があります。
一方で、実験そのものがMKウルトラ計画の一環だったのか、またテッドが受けた実験がその後の人生にどの程度影響を与えたのかについては、慎重に考える必要があります。
いずれにしても、もともと社会との関係を築くことが苦手だったテッドにとって、大学という信頼すべき場所で自分の人格や信念を激しく否定される経験が、社会や人間に対する不信感を強める一因になったと考えられてきました。
映画『ユナボマー』では、こうした大学時代の経験が、その後の彼の人生に影響を与えた重要な出来事として描かれています。
● 「ユナボマー」はその後どうなったのか
映画はテッドが逮捕されたところで終わっています。しかし、彼はその後どのような人生を送ったのでしょうか。
1995年、テッドは爆弾による攻撃を停止することを条件に、新聞各紙に自らの主張をまとめた長文の論文を掲載するよう要求しました。その後、ワシントン・ポストなどに、現代文明や科学技術を批判する文章が掲載されます。これを読んだ弟のデイビッド・カジンスキーは、文章の特徴などから、ユナボマーが兄ではないかと疑い、FBIに情報を提供しました。
捜査の結果、テッドは1996年に逮捕され、1998年に終身刑を言い渡されました。
その後、テッドはコロラド州の連邦刑務所に収容されました。ここには、メキシコの麻薬組織の指導者として知られるホアキン・グスマン受刑者(通称エル・チャポ)も収容されていました。
2021年、テッドはノースカロライナ州の医療刑務所へ移送されます。
そして2023年6月10日、収容先で呼びかけに反応しない状態で発見され、その後、死亡が確認されました。81歳でした。
天才数学者として将来を期待されながら、大学を離れ、社会から孤立し、最終的には連続爆弾犯となったテッド・カジンスキー。
『ユナボマー』は、単なる犯罪者の半生を描いた作品ではありません。なぜ彼が社会から離れていったのか、科学技術と文明に対する憎悪をどのように深めていったのか。そして、大学時代の経験が彼の人生にどのような影響を与えたのか。
映画を観終えた後も、さまざまな疑問が残る作品です。
参照:「ユナボマー」死亡 米国の連続爆弾テロ犯、81歳
セオドア・カジンスキー (ウィキペディア)
