「マー -サイコパスの狂気の地下室-」アメリカ 2019年製作 原題:Ma
テイト・テイラー監督の「マー -サイコパスの狂気の地下室-」は、単なるサイコホラーに留まらない作品です。オスカー女優オクタヴィア・スペンサーが演じる主人公アンの怪演を軸に、人間の孤独や過去のトラウマ、そこから生まれる執着と復讐を描いたドラマです。
物語の中心となるのは、孤独な中年女性アンと高校生たちです。ある日、地元の女子高生から酒を買ってきてほしいと頼まれたことをきっかけに、アンは高校生たちに自宅の地下室をパーティー会場として提供します。
高校生たちは彼女を「マー(母ちゃん)」と呼び、親しみを込めて接するようになります。アンもまた、彼らに酒を提供したり、地下室を自由に使わせたりするなど、まるで面倒見のいい母親のように振る舞います。
ところが、そんな親切なアンの態度は、少しずつ異様なものへと変化していきます。高校生たちへの執着が次第に強くなり、やがて彼女は常軌を逸した行動に走ります。その背景には、アンが過去に受けた心の傷と、かつて自分をいじめていた同級生たちへの複雑な感情がありました。
ここで少し気になったのが、高校生たちがアンに酒を買ってくるよう頼む場面です。日本で暮らしていると、高校生がお酒を買うために、わざわざ大人に頼まなければならないという状況には、少し違和感があります。
調べてみると、アメリカでは飲酒に関する規制や年齢確認が日本以上に厳格です。スーパーや酒屋、バーなどで酒を購入する際には、写真付きの公的身分証明書の提示を求められることが多く、こうした文化の違いが物語の導入にもつながっています。
そして、この作品で何より印象に残るのが、オクタヴィア・スペンサー演じるアンです。
彼女は一見すると、愛嬌があり、どこか親しみやすい中年女性に見えます。ところが、その印象が物語の進行とともに少しずつ崩れていきます。普段の親しみやすさや知性を感じさせる役柄とは異なり、オクタヴィア・スペンサーは、狂気と不気味さを秘めたアンを見事に演じています。
特に前半で、高校生たちと一緒になって楽しそうに踊るアンの姿には、独特のおもしろさがあります。奇妙なキャラクターではあるものの、どこか愛嬌があり、完全には憎めない。その絶妙なバランスが、アンという人物を単純な悪役では終わらせていません。
だからこそ、彼女の変化が怖く感じられます。
最初は高校生たちに優しく接し、酒を提供してくれる「親切なおばさん」だったアンが、徐々に彼らへの執着を強め、異常な行動へと踏み込んでいきます。その変化が一気に描かれるのではなく、少しずつ積み重なっていくため、観ている側にも恐怖が伝わってきます。
さらに興味深いのは、アンが単純に「怖い人物」として描かれているわけではないことです。ふとした瞬間に見せる、まるで捨てられた子どものような孤独感や哀しさがあります。狂気の裏側にある寂しさや、誰かに必要とされたいという感情が垣間見えることで、アンという人物に複雑な奥行きが生まれています。こうした表現は、オクタヴィア・スペンサーだからこそ出せる深みだと思います。
物語が進むにつれて、アンがなぜ高校生たちに執着するのか、その親たちに対してどのような感情を抱いているのかが明らかになっていきます。高校生たちの親は、アンがかつて学校でいじめられていた同級生たちでもあります。
現在の出来事と過去の記憶が少しずつ結びつき、アンの行動の理由が見えてくる展開は、サイコホラーというより心理サスペンスとしての見応えがあります。
個人的には、アンが「親切なおばさん」から徐々に別の顔を見せていく前半に、特におもしろさを感じました。
何を考えているのかわからないアンが高校生たちの輪に入り、楽しそうに振る舞っている。その一方で、どこか不自然な言動を見せる。彼女は本当に高校生たちのことを気にかけているのか、それとも何か別の目的があるのか。そんな疑問を抱えながら観る時間が、この作品の大きな魅力だと思います。
後半になると、アンの狂気はより露骨になり、暴力的な行動へとエスカレートしていきます。もちろん、そこにもサイコホラーとしての怖さはあります。しかし、僕がより興味を惹かれたのは、アンの正体がまだはっきりせず、「この人はいったい何を企んでいるのだろう」と感じさせられる前半部分でした。
「マー -サイコパスの狂気の地下室-」は、狂気に走る一人の女性を描いたホラーであると同時に、過去のいじめによって傷ついた人間の孤独や執着を描いた作品でもあります。
オクタヴィア・スペンサーが見せる、親しみやすさと不気味さ、そしてその奥にある悲しさ。その複雑な表情を楽しめる映画だと思います。
