1996年9月9日、東京都葛飾区柴又の住宅で、上智大学外国語学部4年生だった小林順子さん(当時21歳)が殺害され、自宅が放火される事件が起きました。
事件が発覚したのは午後4時過ぎです。2階の寝室で発見された順子さんは、両手両足を粘着テープで縛られ、首を複数箇所刺されていました。死因は右頸動脈を切断されたことによる失血死でした。
一方で、着衣に乱れはなく、性的暴行を受けた形跡も確認されていません。なぜ順子さんが狙われたのか、そして犯人がどのような目的で住宅に侵入したのか。その動機はいまも明らかになっていません。
事件から30年が経過した現在も犯人は逮捕されておらず、未解決のままです。平成の時代に発生した凶悪事件のなかでも、「世田谷一家殺害事件」「八王子スーパーナンペイ射殺事件」と並ぶ代表的な未解決事件として知られています。ぼくにとっても、長く記憶に残っている事件の一つです。
● 事件の10日前、順子さんが感じていた異変
順子さんの父親・小林賢二さんは、生前の娘について次のように語っています。
「明けても暮れても『お母さん、お母さん』って、甘えん坊でどうしようもなかった。だから、1年ぐらい海外留学で1人で生活すれば、少しは一人前になって」
順子さんは事件の約3カ月前、家族4人で箱根旅行にも出かけています。
この旅行には、順子さん自身の希望がありました。米国留学と姉の結婚が決まり、「もう家族4人で旅行することはできなくなるかもしれない」と考えた順子さんが、家族旅行を提案したのです。
順子さんは将来、ジャーナリズムの仕事に就くことを夢見ていました。
父親の賢二さんは、当時の娘についてこう振り返っています。
「娘は将来ジャーナリズムの仕事を夢見ていました。殺害されなければ、2日後には米国シアトル大のコミュニケーション学科に留学する予定だったんです。焼け残った遺品のなかには、憧れていた筑紫哲也さんの著書『多事争論』がありました」
ところが、その留学を目前にして、順子さんの人生は突然奪われました。
実は事件の約10日前、順子さんはすでに身の危険を感じる出来事を経験していました。
最寄りの京成電鉄柴又駅から自宅へ帰る途中、誰かにつけられていることに気づいたのです。
順子さんは駅の公衆電話から自宅に電話をかけ、母親に「誰かが後ろを付けてきて、道を曲がっても、次にまた曲がっても付いてくる。だから駅まで戻った」と訴えました。
電話を受けた母親は駅まで迎えに行き、順子さんを自転車の後ろに乗せて帰宅しました。その間、不審な人物の姿は確認されませんでした。
「変な人はいなくなったね」
2人はそう話したといいます。
しかし、それからわずか10日ほどで、順子さんは自宅で何者かに襲われました。
● 別の事件との類似性
この事件については、インターネット上などで、2009年に千葉県松戸市で発生した「松戸女子大生殺害放火事件」との関連を指摘する声があります。
同事件の犯人である竪山辰美は、女子大生を刃物で刺殺したうえ、証拠隠滅のために現場へ放火していました。女子大生を刃物で殺害し、その後に住宅へ火を放つという犯行手口には、上智大生殺害放火事件との類似点があります。
しかし、竪山辰美が上智大生殺害放火事件に関与した可能性は、捜査上否定されています。
上智大生殺害放火事件の現場からは、マッチ箱や布団などから犯人のものとされる「A型」のDNA(血液型)が検出されています。一方、竪山辰美の血液型は「B型」であり、現場に残されたものとは一致しません。
さらに、事件が起きた1996年9月9日、竪山辰美は窃盗や恐喝などの罪によって服役中でした。そのため、物理的に犯行現場へ赴くことはできず、事件への関与を否定する明確なアリバイがありました。
● 捜査を難しくしたいくつもの壁
事件の解決を阻んできた背景には、いくつもの捜査上の壁があります。
まず大きかったのが、犯行後に住宅へ放火されたことです。現場の多くが激しく焼損したため、残されていたはずの指紋や微物など、重要な証拠の多くが失われました。事件発生直後から、捜査は大きな困難に直面することになりました。
また、事件当時はDNA鑑定の技術がまだ運用初期の段階にありました。
現場からは犯人のものとみられるA型の血液が検出されています。しかし、当時は現在ほどDNA鑑定の精度が高くなく、照合できるデータベースも十分に整備されていませんでした。そのため、DNAが犯人の特定に直結する決定的な証拠にはなりませんでした。
さらに、犯人の動機についても謎が残されています。
当初は、米国留学を目前にしていた順子さんに対するストーカー的な犯行ではないかという見方が有力でした。しかし、その後、室内から現金がなくなっていることも判明しました。
犯人の目的は怨恨だったのでしょうか。それとも金銭を狙った強盗だったのでしょうか。あるいは、両方の目的があったのでしょうか。
事件から長い年月が経った現在も、犯人の動機や人物像は絞り切れていません。
事件直前には、現場周辺で「茶色のレインコートを着た男」などの不審者も目撃されていました。しかし、年月の経過とともに当時の記憶は薄れ、新たな有力情報を得ることも難しくなっています。
● 遺族の活動が動かした「時効撤廃」
かつて、この事件の捜査における最大の問題の一つが、公訴時効でした。
1996年当時、日本の殺人罪には15年の公訴時効がありました。つまり、事件が解決しないまま15年が経過すれば、原則として捜査を打ち切らざるを得ませんでした。
順子さんの父親である小林賢二さんは、時効が成立すれば、国による捜査が終了し、犯人が罪に問われなくなるという現実に直面していました。
そこで、小林さんら遺族は法改正を求める活動を始めます。
時効成立まで3年となった2009年2月、小林賢二さんらが呼びかけ人となり、殺人事件の被害者遺族による「殺人事件被害者遺族の会」、通称「宙(そら)の会」が設立されました。
会には、柴又事件(上智大生殺人放火事件)だけでなく、「世田谷一家殺害事件」や「名古屋市西区主婦殺害事件」など、当時、公訴時効の成立が迫っていた未解決事件の遺族も参加しました。
遺族たちは、公訴時効の撤廃を求めて声を上げ続けました。
その活動と世論の後押しを受け、国会では法改正に向けた動きが進みます。そして2010年4月27日、殺人罪や強盗殺人罪など、死刑に当たる重大犯罪について公訴時効を撤廃する改正刑事訴訟法が成立し、即日施行されました。
これによって、上智大生殺害放火事件は時効によって捜査が打ち切られることなく、現在も捜査が続けられる事件となりました。
小林賢二さんは、9月5日放送の『news LOG』で、犯人に向けて次のように語っています。
「16年前に時効が撤廃になったわけだし、(犯人は)逃げ切るわけにはいかない。そういった法律ができあがったわけですから、犯人は覚悟を決めて『自首なり出頭なりしてきなさい』と画面を通じて訴えたいと思います」
● 国内で一致しない犯人のDNA
それでは、犯人は現在どこにいるのでしょうか。
一つの可能性として考えられているのが、犯人がすでに国外へ逃亡しているケースです。また、事件当時に日本へ滞在していた外国人が犯行後、帰国した可能性も考えられます。
順子さんは事件のわずか2日後、米国シアトルへの留学を控えていました。そのため、交友関係の捜査では、海外旅行や留学準備の過程で知り合った人物、国際的なコミュニティに属する人物、外国籍の人物などについても、関与の可能性が完全に否定されたわけではありません。
さらに、現場では順子さんの両手首が「からげ結び」と呼ばれる特殊な方法で縛られていました。
この結び方は日本の日常生活ではあまり一般的ではないとされ、「船乗り」「造園業」「建築関係」など、特定の職業で身につけた技術ではないかという見方や、海外の軍隊・特定の文化圏で用いられる技術ではないかという見立てもありました。
こうした点から、特殊な技能や背景を持つ人物が犯行に及び、その後、国外へ出国した可能性も考えられています。
警視庁はこれまで、延べ12万人以上の捜査員を投入してきました。国内の犯罪者データベースをはじめ、別件の容疑者や不審者などについても、現場から検出された犯人のものとみられるDNA型(血液型A型)との照合が続けられてきました。
しかし、これほど大規模な捜査が行われてきたにもかかわらず、国内のデータベースから犯人と一致する人物は見つかっていません。
事件から30年。
犯人の姿は、いまだに見えません。
それでも、公訴時効はすでに撤廃されており、この事件の捜査が時間の経過だけを理由に終わることはありません。
順子さんが命を奪われた自宅には、いまも事件の痕跡が残されています。家族との最後の旅行を楽しみ、わずか2日後には米国への留学を予定していた21歳の女性が、なぜ突然、命を奪われなければならなかったのか。
その答えは、30年が経った現在も明らかになっていません。
参照:「自首なり出頭なりしてきなさい」 娘を殺害した犯人を追う父親の執念 ー殺人放火事件
