2018年6月26日、富山市の静かな住宅街にある奥田交番で、日本の警察史に残る凶悪事件が起きました。元自衛官の島津慧大(けいた)被告(当時21歳)は、交番勤務の稲泉健一警部補(当時46歳)を殺害したうえ、警部補から奪った拳銃で近くの小学校にいた警備員・中村信一さん(当時68歳)を射殺したとして、強盗殺人などの罪に問われました。
● 「夫は死なずに済んだ」と遺族が提訴
警察官を襲撃して拳銃を奪い、その拳銃を使ってさらに殺人を重ねるという凶行は、富山県内にとどまらず、全国に大きな衝撃を与えました。
事件後、とりわけ問題となったのが、富山県警の初動対応です。警察官が襲撃された直後、拳銃が奪われた可能性を県警が把握していたにもかかわらず、近隣住民や通学路、小学校に対する注意喚起や安全確保の指示が遅れました。その結果、第二の被害となる小学校正門前での警備員殺害を防げなかったのではないかという批判が起きました。
殺害された警備員の遺族は、「警察が適切に初動対応していれば夫は死なずに済んだ」として、富山県を相手取り損害賠償を求めて提訴しました。裁判では2025年、警察の対応に違法性は認められないとの判断が示されました。一方で、この事件は、重大な危機が発生した際に情報をどのように共有し、周辺住民の安全を確保するのかという警察の危機管理体制に課題を突きつけました。
また、当時警察官が使用していたホルスター(拳銃入れ)は、拳銃を奪われにくくする機能が十分ではありませんでした。これが拳銃の強奪を容易にした要因の一つとされ、事件を受けて警察庁は、構造を複雑にして拳銃を抜き取りにくくした「新型ホルスター」の導入を全国の警察で進めることになりました。
● いじめと家庭内暴力
裁判や精神鑑定を通じて明らかになったのは、島津被告が幼少期から周囲との関係に悩み、社会から孤立していった過程でした。その背景には発達障害の特性もあったと指摘されています。
島津被告は、両親と姉の4人家族の長男として、富山県立山町で生まれ育ちました。幼い頃には、将棋などの個人種目を一人で楽しんだり、自宅で飼っていた犬を可愛がって散歩に連れて行ったりする穏やかな一面もありました。
しかし、集団生活が始まると、周囲との「ズレ」が目立つようになります。
保育所時代から集団行動になじめず、運動会の入場行進に参加したくないと動かなくなったり、カマキリを捕まえられなかったことに腹を立て、校外学習に行かず学校に残ったりすることがありました。特定の行動や考えに強くこだわる傾向も見られました。
小学校高学年になると、周囲になじめないことから孤立し、「ズボンを下ろされる」などのいじめを受けるようになりました。
中学生になってからも状況は変わりませんでした。同級生から「死ね」と机に落書きされるなど、嫌がらせを受けていました。
その中でも、被告の心に深く残ったのが、同級生のシャープペンシルを折った出来事です。相手からちょっかいを出されたことがきっかけでしたが、被告は「なぜ自分だけが怒られるのか」と激昂しました。その後、この出来事を突然思い出しては「死にたい」と泣き叫び、運転中の母親を突然殴ることもあったとされています。
取り調べの中で、被告は刃物を持つようになった経緯について、次のように供述しています。
「14〜15歳のころ学校に行かなくなってから、ナイフを持つようになった。登校していた頃に不良にからまれ、徒手のみでは抵抗できない可能性を考えて持つことにした。危害を加えられることがあれば威嚇し、それでも来るならナイフで加害も辞さないと思っていた」
さらに被告を追い詰めたのが、家庭内での「体罰」でした。公判では、父親が、被告が言うことを聞かなかった際などに顔を平手で叩くことがあったと証言しています。
学校ではいじめを受け、家庭でも安心して過ごせる場所を失った被告は、次第に金属バットやカッターナイフを使った激しい家庭内暴力を繰り返すようになりました。
中学校から不登校となっていた被告でしたが、18歳で自衛隊に入隊すると、生活に一時的な安定を取り戻します。部隊で表彰を受けたり、給料で両親にプレゼントを贈ったりするなど、穏やかな生活を送っていました。当時は自ら「なぜあんな暴力をふるっていたのかわからない。申し訳なかった」と話していたとされています。
しかし、対人関係のトラブルをきっかけに4年間の任期を全うできず、わずか2年で退職することになりました。その後、電気工事会社に勤めましたが、そこでも解雇され、家庭内暴力が再び激しくなっていきました。
● ファストフード店でのトラブル
事件当日、島津被告の暴走を直接引き起こしたとされるのが、勤務していたファストフード店でのトラブルです。
犯行当日、正社員の女性従業員から油かすの掃除を頼まれたことをきっかけに口論になりました。見かねた店長が仲裁に入り、「嫌な仕事でも率先してやってほしい」と注意した直後、被告は店長に激しい暴行を加えました。
店長は法廷で、当時の状況について次のように証言しています。
店長:「レジカウンターの左横にいた被告から頭突きを2回され、胸ぐらを掴まれて倒され、顔や腹にげんこつで複数回殴られました」
説教を受けている途中で、突然、激しい暴行に及んだ被告。法廷では、取り調べの音声データも再生されました。そこから浮かび上がったのは、暴行に及んだ直後でさえ、自分自身の心理状態をある程度冷静に分析していた被告の姿でした。
被告は、当時の心理について次のように説明しています。
被告:「アルバイトのおれと正社員のおばさんとでは、できること・能力の差があるから、単純作業はおれみたいにできることが少ない人がやる方が効率がいいんじゃないかということを言われた。言わんとしてることは理解できるし、おれもそう思う。けど、けど……言ってることは正しいんだけど、だからこそ気に食わない。相手に対する不信感、嫌悪感。結局黙りこくったんです」
相手の言葉を理解しながらも、その感情を言葉にして伝え、対話によって問題を解決することができなかった被告は、自分が幼い頃から繰り返してきたパターンに陥ったと振り返っています。
被告:「相手と意見交換して落とし所をみつけて問題の解決を図る、そういう経験値が少ない。おれはおれで意見主張を分かりやすく伝える能力が稚拙っていうかうまくできなくて、結局おれの方がさじを投げる。もっと分かりやすい直接的な手段を行使する。
小さい頃からそういうのばっかりで、他のやり方をよく知らないし。だからこそなのか頭は割と冷静でいることが多い。自分の不利益とか周りからの目とかどうでもいいことに思われて、相手を傷つけ屈服させることしか頭に残らなくなる。『もういいや、このおっさんぶっ飛ばしてもうやめよう』とおれの方から暴力をふるった」
この供述からは、被告が自分の感情や行動をある程度客観的に認識していた一方で、それを言葉で伝えたり、対話によって問題を解決したりすることができず、最終的に暴力へと向かってしまった経緯がうかがえます。
「自分の不利益とか周りからの目とかどうでもいいことに思われて、相手を傷つけ屈服させることしか頭に残らなくなる」という心理状態が、その後の重大な犯罪行為にもつながったと考えられます。
● 2年4か月の歳月を経て――差し戻し審
事件をめぐる裁判は、長い年月をかけて大きく動きました。一審の富山地裁は、被告に無期懲役を言い渡しました。しかし、その判決は控訴審で破棄され、審理は富山地裁に差し戻されることになりました。
検察側は死刑を求刑していましたが、一審の裁判員裁判では「強盗殺人罪」の成立が認められませんでした。被告が主張した「警察官を襲ってけがをさせた後、たまたま拳銃が目に入ったため奪った」という説明を、一部受け入れたためです。
一審では、被告が最初から拳銃を奪う目的で警察官を襲撃したとは言い切れないと判断されました。そのため、強盗殺人罪ではなく、殺人罪や窃盗罪などを組み合わせ、無期懲役を言い渡しました。
これに対し高裁は、警察官を襲撃して抵抗できない状態にした直後に拳銃を奪ったという一連の行為を踏まえ、強盗殺人罪が成立するかどうかをより慎重に判断する必要があると指摘しました。
高裁は自ら最終的な判決を下すのではなく、現場に残された証拠や当時の事実関係を一審の地裁でもう一度審理する必要があるとして、事件を「差し戻す」判断をしました。
2024年3月、被告側は「無期懲役とした一審判決は正しく、差し戻しは不当だ」として上告していました。しかし最高裁は、高裁が示した「一審の事実評価には合理性がなく、強盗殺人罪の成否について改めて審理すべきだ」とする判断は妥当だとして、被告側の上告を退けました。
その後、2年以上にわたって13回の期日前整理手続が行われ、事件は再び一審の富山地裁で審理されることになりました。差し戻し審となる裁判員裁判の初公判は、2026年10月5日に富山地裁で開かれる予定です。判決は12月8日に言い渡される予定となっています。
参照:【連載】証言で辿る 富山・奥田交番襲撃事件の深層(2)「正論だから気に食わない」
【連載】証言で辿る 富山・奥田交番襲撃事件の深層(1)2年4か月を経て差し戻し審へ
