「籠の中の乙女」 2009年製作 ギリシャ 原題:DOGTOOTH/Kynodontas

ヨルゴス・ランティモス監督の映画『籠の中の乙女』は、父親によって作り上げられた「洗脳空間」の狂気と、歪められた常識の中で成長する子どもたちの異様な日常を描いた作品です。

舞台となるのは、外の世界から隔離されたギリシャ郊外の豪邸です。そこでは、両親の手によって言葉や常識までも歪められた3人の子どもたちが暮らしています。父親の支配のもと、奇妙なルールに従いながら生活する彼らのもとへ、ある日、長男のために外の世界から女性が連れてこられます。その女性が持ち込んだ一本のビデオテープをきっかけに、それまで保たれていた家族の異様な秩序が少しずつ崩れ始めます。

本作はカンヌ国際映画祭で上映され、「ある視点」賞を受賞したほか、第83回アカデミー賞外国語映画賞にもノミネートされています。しかし、実際に見た印象としては、そこまでの名作とは感じませんでした。あまりにも内容が奇妙で思わず笑ってしまう一方、見終わったあとには嫌な感覚が残る映画です。鑑賞後には、むしろ思い切り普通の娯楽映画を見たくなるほどでした。

それにしても、邦題の『籠の中の乙女』は、非常によくできたタイトルです。ただ、このタイトルからは、どこかエロティックでスリラー的な映画を想像してしまいます。しかし、実際には「乙女」だけでなく長男も登場します。

物語の中で父親は、思春期を迎えた長男の性欲を処理させるため、クリスティーナという女性を雇います。クリスティーナは目隠しをされた状態で車に乗せられ、豪邸へ連れてこられます。そして長男と性行為をするのですが、その様子はまるで、惰性でおこなっているラジオ体操のようです。ここまで味気なく、色気のない性行為を映画で見るのは、ひさしぶりでした。

やがてクリスティーナは長男との関係だけでは飽き足らず、長女にも手を出します。その性的な関係の代償として、長女はクリスティーナが持っていたビデオテープを手に入れます。そこに録画されていた映像を見たことで、長女は初めて外の世界に興味を抱くようになります。ビデオには、『ロッキー』『ジョーズ』『フラッシュダンス』などの有名映画が含まれていました。

そして、物語の終盤で長女は、両親の結婚記念日を祝った夜、ある行動に出ます。以前から両親に「犬歯が生え変わったら外の世界に出られる」と教えられていた長女は、その言葉を信じ、嬉々として自分の犬歯を折ろうとします。

その方法がまた凄まじいものです。長女は自分の頬をめがけてダンベルを振り下ろします。何度も頬を殴りつけるたび、口から血しぶきが飛び散ります。洗面所は血だらけになり、口からも血を流したまま、長女は父親の車のトランクへと隠れます。

長女の姿が消えたことで、家族は慌てます。父親が外へ出て長女を探している間、母親、次女、長男の3人は犬の格好をして玄関前に並び、ワンワンと吠え続けます。

この異様な行動にも、「失踪した長女という人間の代わりに、家族を守る番犬が必要になった」という意味が込められています。つまり、一見すると意味不明に思える行動にも、この家族独自の歪んだ論理による理由があるのです。こうした場面はほかにも数多くあり、そこにどんな意味があるのかを考察しながら見るのが好きな人には、かなりハマる作品かもしれません。

やがて父親は長女を探すことを諦めます。そして翌朝、長女がトランクに入ったままの車で仕事へ向かいます。その結果、長女はついに生垣の外、つまり父親の勤務先である工場の駐車場まで運ばれることになります。

映画は、駐車場に止められた車のトランクを大写しにしたまま、ほとんど変化を見せずに終了します。

できれば、トランクの中にはすでに長女の姿はなく、どこかのタイミングで外の世界へ逃げ出していてほしい。そんなことを思わずにはいられません。もし最後に、長女がトランクの中で窒息死するという最悪の結末を直接見せられていたら、さらに救いのない映画になっていたでしょう。あえてその場面を描かず、観客の想像に委ねたことが、せめてもの救いなのかもしれません。