高橋ユキ著『つけびの村 噂が5人を殺したのか?』は、2013年に山口県周南市金峰(みたけ)地区で起きた「山口連続殺人放火事件」を追ったノンフィクションです。

事件が起きたのは、わずか12人が暮らす限界集落でした。2013年7月21日、一晩のうちに高齢の住民5人が殺害され、2軒の民家が放火されました。事件は当時、メディアによって「都会からUターンしてきた男が、閉鎖的な集落で『村八分』に遭い、孤立した末に復讐した」という構図で報じられました。

● 殺人、放火? そんなもんやってない
犯人とされたのは、無職の保見光成です。事件当時63歳でした。事件を知った当時のぼくも、「頭に血が上った人間が、衝動的に連続殺人を起こしたのだろう」という程度に考えていました。

ところが、本書を読むと、事件はそれほど単純ではありません。

保見は逮捕直後には犯行を認めていたとされています。しかし、その後は一転して否認しました。事件について、本人は次のように主張しています。

「最初、認めたのは混乱の中で『お前がやった』『犯人だろが』と刑事に言われ、パニックになって話しただけ。冷静になってからは否認していた」

さらに、

「事件の日、また自分の陰口を集落の連中が言っていると聞いた。そこで家に乗り込んで、棒で足や腰は叩いた。それだけだ。殺人、放火? そんなもんやってない。警察、検察のねつ造だ」

と語っています。

保見をよく知る人物は、彼について次のように話しています。

「保見の家の中を見たことはないだろ。居酒屋風になっとるんだ。サロンみたいになっていて、いつでもお客が来られるようにしていたんだよ。言ってみれば彼は〝泣いた赤鬼〟なんだ。保見という心の弱い赤鬼が、人に認めてもらえない寂しさを爆発させ殺人を犯してしまったんだよ」

この言葉が示すように、保見という人物を単純な「凶悪犯」として捉えるだけでは、事件の背景は見えてきません。

● 抱え込んだ気持ちを知ってほしかった
印象に残ったものの一つが、保見の家の窓に貼られていた川柳です。

『つけびして 煙り喜ぶ 田舎者』

この言葉だけを見ると、集落への放火を予告した犯行声明のようにも読めます。ぼくも当初は、「つけび」や「煙り」という言葉から、保見が集落に対して放火の意思を示していたのではないかと感じました。

しかし、保見自身は別の意味を説明しています。

担当弁護人に対して、「つけびして」は集落内で自分の悪い噂を流すこと、「田舎者」は集落の人を指すと説明し、紙を貼り出したのは「周囲の人たちの反応を知りたかった。自分の中に抱え込んだ気持ちを知ってほしかった」からだと語っています。

本書では事件を「被害者=善、犯人=悪」という単純な図式では描きません。「凶悪犯と閉鎖的な村」という二元論だけでは捉えきれない、人間関係の複雑さや、集落の中で積み重なっていった感情が浮かび上がってきます。

事件の舞台が、わずか12人しか暮らしていない限界集落だったことも、事件に独特の異様さを感じさせます。中国地方の山あいにある小さな集落で起きた惨劇という点では、横溝正史の『八つ墓村』のモデルとなった津山事件(1938年)も思い浮かびます。津山事件では、都井睦雄が2時間足らずの間に30人を殺害し、その後、自ら命を絶ちました。

もちろん両事件には大きな違いがありますが、どちらも中国地方の山間部にある小さな集落で起きた凄惨な事件です。

そのため、ぼくは本書を読む前からかなり期待していました。特に知りたかったのは、「保見光成は、なぜ住民5人を殺害するほど追い詰められたのか」という点です。ニュース記事だけではわからない事件の背景を、もっと深く知りたいと思ったからです。

ところが、実際に読んでみると、少し期待とは違いました。

本書では、事件そのものだけでなく、金峰地区の昔の様子や地理、歴史などについてもかなり詳しく書かれています。それ自体は取材の厚みを感じさせる部分ですが、個人的には話があちこちに広がりすぎているように感じました。

正直なところ、この部分は少し退屈でした。事件の核心を追うという目的から考えると、こうした背景説明は3分の1程度に圧縮してもよかったのではないかと思います。

● 妄想性障害を患った状態
ニュース記事には、2019年に記者が見た保見の様子も書かれています。

保見は何かに追われるように、自分の無罪を訴えていたといいます。

「犯人の靴とされているが、自分の持ち物とは色が違う」

「この靴、警察で見せられた時は、新品のような感じだった。だが、裁判所に出てきた靴の写真は泥だらけ。警察と検察に証拠をねつ造された」

記者が「弁護士に話した方がいいですよ。判決前日ですから」と声をかけると、保見はこう答えています。

「判決が明日? 心境も何も待っているしかないわ。心境もクソもない。とにかく、時間がない」

記者は、その様子について、死刑判決を前にしても「不安」などないように振る舞っていた一方で、一方的に話し続ける様子から、これまでにない慌てぶりを感じたと書いています。そして、話すことで不安を打ち消そうとしていたのではないかと感じたようです。

強く感じたのは、保見が妄想性障害を患った状態にあったのではないかということです。著者も何度か保見と面会するうちに、正常な会話ができる状態ではないと判断し、面会をやめています。

そうした精神状態にある保見に死刑判決を下すことの問題についても、著者は本書で触れています。

また、保見の家の窓に貼られていた「つけびして 煙り喜ぶ 田舎者」についても、興味深い事実が明らかになります。

この句は犯行声明ではなく、集落で起きた不穏な出来事に合わせて貼られたものだったと、著者は取材を通じて知ります。

ただ、その説明は事件当時に保見本人が語っていた内容とは微妙に異なります。この点については、著者が保見本人にもう一度確認してほしかったと思いました。

● 〝塩漬け状態〟にしてしまった
本書を読んでいて、事件そのものとは別の意味で意外だったのが、著者自身の出版までの苦労です。

高橋氏は、取材した保見光成と事件について書籍化しようとしました。しかし、出版社などからなかなか相手にされず、その状況を率直に書いています。

「もともとそれほど持ち合わせていなかった自信も、さらになくなった。しかも、これだけ取材して原稿にしたうえで、収入ゼロは正直苦しい。夫も、少し怒っている。取材のために子供を見てもらっていたのだから、当たり前だ。慌てて何度か、一部分のみをムックや雑誌に掲載させてもらい、わずかな原稿料を得た。そうして、そのあとはいわゆる”塩漬け状態”にしてしまった。お蔵入りである。」

せっかく時間をかけて取材し、原稿まで書いたにもかかわらず、それが世に出ない。取材を続けるための経済的な負担もある。その苦しさが、この文章から伝わってきます。

その後、著者はお蔵入りになっていた「つけびの村」をnoteというウェブサービスで公開します。オリジナル版を6つの記事に分け、3本目からは100円の有料記事にしました。

ところが、最初はそれほど読まれませんでした。記事の購入数は月に数十本程度だったといいます。

状況が変わったのは、SNSでインフルエンサーと呼ばれる人たちが記事を紹介したことでした。そこから購入者が一気に増え、やがて出版社から書籍化の依頼が届くようになります。

この一連の出来事は、事件の内容とはまた違った意味で非常に興味深いものでした。

文章を書いて生計を立てる作家が抱える苦労や、せっかく書いた作品が世に出ない現実。そして、noteやSNSによって、一度は「塩漬け状態」になった作品が読者に届き、最終的に書籍化されるまでの流れ。そこには、現在の出版やコンテンツ流通の変化がよく表れています。

『つけびの村』は、山あいの小さな集落で起きた凄惨な事件を追ったノンフィクションですが、単に事件の真相を追うだけの本ではありません。集落の人間関係、保見光成の精神状態、事件をめぐる報道、そして著者自身の取材と出版までの過程までが描かれています。

そのため、ぼくが最初に期待していた「保見光成はなぜ5人を殺害するほど追い詰められたのか」という問いに対する答えが、一直線に提示される本ではありませんでした。

むしろ、さまざまな証言や出来事を読み進めながら、事件の背景にあった人間関係や感情を自分なりに考えさせられる本です。事件を単純な善悪の物語としてではなく、複雑な人間関係の中で起きた出来事として考えたい人には、興味深い一冊だと思います。