「私は生き延びた: 韓国を揺るがせた悲劇の中で」 2025年製作 韓国アメリカ
原題:나는 생존자다/The Echoes of Survivors: Inside Korea's Tragedies
チョ・ソンヒョン監督によるNetflixのドキュメンタリーシリーズ『私は生き延びた: 韓国を揺るがせた悲劇の中で』の第1話を見ました。この作品に興味を持ったきっかけは、文春オンラインで紹介記事を読んだことです。どのような事件を扱った作品なのか気になり、実際に視聴してみました。
● 「兄弟福祉院」に強制的に収容
『私は生き延びた』は、実際に凶悪な事件を生き延びた人たちの証言を軸に構成されています。事件を再現する映像を過剰に挿入するのではなく、当事者自身の言葉を中心に据えているため、かえって強い恐怖や緊迫感が伝わってきます。
第1話で証言しているのは、かつて「兄弟福祉院」に強制的に収容され、その後も生き延びた人たちです。現在の年齢は表示されていませんが、証言者の多くは50代前後に見えます。
インタビューでは、当時の経験を涙ながらに語る人もいます。それだけでも、彼らにとって当時の出来事がどれほど過酷なものだったのかが伝わってきます。さらに、口から語られる内容は、にわかには信じがたいほど凄惨です。
証言者の中には、総入れ歯になっている人も多くいます。施設内で繰り返し暴行を受けたことで、若いうちから歯に深刻なダメージを受け、失ったといいます。映像に映る現在の姿と、そこで語られる過去の出来事との落差も、この作品の恐ろしさを際立たせています。
このドキュメンタリーが扱っているのは、「韓国版アウシュビッツ」とも呼ばれ、韓国社会を震撼させた事件です。しかし、韓国でこの問題が広く知られるようになったのは、2010年代に入ってから調査が進み、メディアでも取り上げられるようになってからでした。それ以前は、社会における知名度も決して高くなかったといいます。まして日本ではほとんど知られておらず、ぼく自身もこの作品を見るまで存在を知りませんでした。
兄弟福祉院をめぐって、特に大きな問題となっているのが、浮浪者などを一斉に強制収容し、深刻な人権侵害を行っていたことです。その中心となった期間は1975年から1987年までの12年間でした。
● 施設を管理する者たちによる性的暴行
第1話の冒頭で証言する男性は、1982年に強制収容されました。
当時、彼は学校から帰る途中でした。道を歩いていると、タバコを吸っていた警官に呼び止められ、そのまま警察署へ連れていかれました。カバンの中にはパンが入っていました。警官から盗品ではないかと問い詰められ、「学校でもらった」と答えたところ、棍棒で何度も殴られたといいます。
さらに裸にされ、性器に火をつけられました。「真実を話せば帰す」と言われたため、彼は暴行から逃れるために「パンを盗んだ」と認めざるを得なかったと証言しています。
その後、帽子をかぶった2人の男が現れました。男性は彼らによって無理やり車に押し込まれ、そのまま兄弟福祉院へ連れていかれました。
途中で車は何カ所かに立ち寄り、そのたびに子どもたちが乗せられました。最初は1人だった子どもが、いつの間にか7~8人になっていたといいます。車体には「釜山労働者 更生車」と書かれていました。
兄弟福祉院に到着すると、子どもたちは男女に分けられました。その後、入浴させられ、裸のままベッドに入るよう命じられたといいます。
泣き疲れて眠った子どもたちを待っていたのは、施設を管理する者たちによる性的暴行でした。当時14歳だった男性は、自身が受けた被害について次のように証言しています。
「何者かが私の肛門にペニスを挿入してきた。痛みで悲鳴を上げた。でも彼は私の口を塞ぎ、性的暴行を続け、レイプした」
彼はその後も連日にわたって性的暴行を受けました。同じような被害に遭った子どもたちはあだ名で呼ばれ、繰り返し襲われたといいます。
暴力は性的暴行だけではありませんでした。1人の行動が原因で、小隊に所属する全員が罰を受けることもありました。女子たちは、モップの柄の先にビニールをかぶせたものを膣や肛門に何度も入れられたといいます。
● 「不都合な人々」を排除する
第1話だけを見ても、兄弟福祉院が極端な暴力と人権侵害に支配された施設だったことがわかります。しかし、これほど凄惨な状況が長年にわたって放置されていたことにも大きな問題があります。
その背景には、当時の軍事政権による国家的な後押しがあったとされています。社会にとって「不都合な人々」を排除することが容認され、その仕組みを行政や警察などが支えていたのです。
1988年のソウル五輪開催が決まると、軍事政権は韓国を「先進国」として国際社会にアピールすることに力を入れました。そこで進められたのが、街から路上生活者や貧困層、身なりの整っていない子どもたちなどを排除する政策でした。
行政である釜山市は施設に多額の補助金を出し、警察は「街をきれいにする」という名目のもと、令状や法的な手続きを経ずに市民を連行して施設へ送り込んだとされています。
行政、警察、施設のそれぞれに利益が生じる構造ができあがっていたため、施設内で何が行われているのかが表に出にくい状況が長く続きました。結果として、内部で繰り返されていた暴力や人権侵害は隠され続けることになりました。
ここで気になるのが、突然子どもを奪われた親たちはどうしていたのかということです。なぜ、子どもを迎えに行かなかったのでしょうか。
もちろん、親たちは子どもを見捨てたわけではありません。そもそも、子どもが兄弟福祉院に収容されていること自体を知らなかったのです。施設の存在を知っていた場合でも、そこに自分の子どもが収容されているとは考えませんでした。
子どもを探すため、全国を駆け回った親もいました。全国各地の児童養護施設を一軒ずつ訪ね歩いた人もいます。
当時の釜山には貧しい家庭が多く、子どもを探し続けるうちに財産を使い果たしてしまった親も少なくなかったといいます。そして、子どもを突然奪われたことで、家庭そのものが次々と崩壊していきました。
この事件について特に衝撃を受けたのは、施設の中で起きていた暴力そのものだけではありません。それほど深刻な人権侵害が長期間にわたって続いていたにもかかわらず、それを可能にする仕組みが社会の中に存在していたことです。
『私は生き延びた』の第1話は、単に過去の凄惨な事件を紹介する作品ではありません。なぜこれほど多くの人が収容され、なぜ被害が長年にわたって見過ごされたのか。その背景まで証言を通して浮かび上がらせています。
ぼく自身、このドキュメンタリーを見るまで兄弟福祉院という施設の存在を知りませんでした。だからこそ、実際に生き延びた人たちの証言を聞くことで、この事件が決して過去の遠い出来事ではないのだと感じました。
参照:「14歳の少年に挿入を…」性器に火をつけ脅迫、少女達はモップで…657人が死亡した韓国
