
「インサイド・マン」 2006年製作 アメリカ 原題:Inside Man
スパイク・リー監督の『インサイド・マン』を再び観ました。
初めて観たのは、2006年の日本公開時です。当時から評判の高い作品でしたが、なぜか自分にはいまひとつピンときませんでした。その記憶が残っていたので、今回Netflixで配信されているのを知り、改めて観直してみることにしました。
本作は全米公開時に初登場1位を記録し、世界累計興行収入は1億8400万ドルを超える大ヒットとなりました。スパイク・リー監督作品としても最高の興行成績を記録した映画です。
では、約20年ぶりに観直した印象はどうだったのでしょうか。
結論から言えば、1度目とほぼ同じでした。面白くないわけではありません。むしろ、適度な緊張感にユーモアも加わり、最後まで退屈せずに観られます。しかし、観終わったあとに、どうにもスッキリしない感覚が残ります。物語の随所に「これはどういうことなのか」と引っかかる部分があるのです。
おそらく、映画のネタバレ解説を読んだうえで、もう一度観れば印象は変わるのでしょう。実際、現時点では「三度目の視聴が必要なのではないか」と思わせる作品です。
物語の舞台はマンハッタンの銀行です。ダルトンら強盗グループが銀行を襲撃し、人質を取って立てこもります。現場の交渉にあたるニューヨーク市警のフレイジャー刑事(デンゼル・ワシントン)は、犯人たちの不可解な言動に翻弄されながら、事件の真相を探っていきます。
そこへ、銀行側の女性顧問弁護士マデリーン(ジョディ・フォスター)が交渉役として現れます。警察、強盗、そして弁護士。それぞれが異なる思惑を抱えたまま、事件は思わぬ方向へ進んでいきます。
本作の最大の見どころは、「犯人たちは何を目的に銀行を襲ったのか」という謎と、「どのようにして完全犯罪を成し遂げようとしているのか」という手口をめぐる心理戦です。
単純な銀行強盗を描いたアクション映画ではありません。警察と強盗、さらにそこへ弁護士まで加わり、それぞれが相手の思考を読み合います。随所に伏線が張られているため、観客も「本当の狙いは何なのか」と考えながら物語を追うことになります。そのため、本作は一級品のクライムサスペンスとして高く評価されているのでしょう。
タイトルの「Inside Man」にも仕掛けがあります。
文字通りに解釈すれば、「銀行の内部(Inside)に潜んでいる男」という意味になります。一方、クライムサスペンスなどで使われる「inside man」という表現には、「内通者」や「スパイ」という意味もあります。
つまり、このタイトルそのものが二重の意味を持っています。観客や捜査官に先入観を与え、物語の本質から目をそらさせる、一種の心理的な目くらましとしても機能しているのです。
そのことを象徴するような場面が、犯人のダルトンがフレイジャーに電話で出すクイズです。
「1ポンドの羽毛と、1ポンドの金。重いのはどっちですか?」
一見すると、単なるなぞなぞにしか思えません。直感的には「金のほうが重い」と答えたくなります。しかし、どちらも1ポンドなのですから、実際の重さは同じです。
このクイズは、単なる犯人のいたずらではありません。
ダルトンはフレイジャーに対して、「お前たちは目に見えるものや先入観にとらわれています。その思い込みのままでは、俺の計画の本質を見抜けません」と挑発しているように見えます。
そして、この「見えているものをそのまま信じてはいけない」という考え方は、本作全体を貫くテーマにもなっています。
もう一つ、今回の再鑑賞で強く印象に残ったのが、ジョディ・フォスター演じるマデリーンです。
彼女が登場する時間は、それほど長くありません。それでも、画面に現れたときの存在感が非常に強いのです。実はこれまで、ジョディ・フォスターを見て「綺麗だ」と思ったことはありませんでした。しかし、この作品で初めて、彼女の魅力に気づきました。
マデリーンという人物自体が謎めいていることもあり、ジョディ・フォスターの知的で冷静な雰囲気が役柄によく合っています。
また、本作にはスパイク・リー監督らしい社会的な視点も織り込まれています。
ニューヨークに根深く残る人種差別や移民への偏見、さらに権力者が過去に抱えていた秘密などが、銀行強盗事件の物語に巧みに組み込まれています。
その象徴的な場面の一つが、人質になったシーク教徒の銀行員ヴィクラムの扱いです。
彼はターバンを巻き、髭を生やしているというだけで、警察から「アラブ人のテロリストではないか」と疑われます。本人には何の落ち度もないにもかかわらず、外見だけで危険人物と判断されてしまうのです。
こうした描写によって、単なる銀行強盗の謎解きにとどまらず、社会に存在する偏見や先入観そのものにも目を向けさせられます。
さらに興味深いのが、人質一人ひとりへの警察の尋問を、物語の途中に何度も挟み込む構成です。
強盗事件が進行する現在の場面と、人質への尋問によって明らかになる情報が交互に描かれます。そのため、観客も捜査官と同じように「この中に何か隠している人物がいるのではないか」と疑いながら物語を見ることになります。
その結果、観客自身が犯人探しに参加しているような感覚を味わえます。
『インサイド・マン』は、派手な銃撃戦やアクションで押し切るタイプの映画ではありません。むしろ、「見えているものを信じていいのか」という疑念を観客に抱かせながら、警察、強盗、弁護士、それぞれの思惑を少しずつずらしていく映画です。
ただ、二度観ても、やはり自分の中にはいくつかの疑問が残りました。
そこが本作の面白さなのか、それとも自分にはまだ作品の仕掛けを十分に理解できていないということなのか。いずれにしても、もう一度、解説を読んだうえで観直してみたいと思います。